第97話 名前のない世界最強
「マスター、ストップ! ストップ!」
唐突にサリーが割り込んでくる。
「どうした?」
「竜ってさ、寝起き悪い系モンスターじゃん」
「は?」
「ファンタジーの定番っしょ。『その竜目覚めし時、世界は終焉を迎える』みたいな」
急に声色を変え、やたら重たいナレーション調で言いやがる。映画の予告編そのものだ。無駄に上手いのが腹立つ。
「それは……困るな」
胸の奥の重さが、ふっと軽くなる。
「でしょでしょ? だからさ~、起こす前に作戦立てよ?」
「作戦、か……」
視線を上げると、清々しいくらい青い空が広がっている。その空を見ていると肩の力が抜け、頭が冴える気がする。
「まず、どうやって起こすかだな」
「ちがうって! もっとこう……“気になるあの子のハートをゲット!”とかじゃん」
「はぁっ? そんなのあるなら教えてくれ」と、思わず鼻で笑う。
「ベストセラー本をおススメ。“恋のバイブル竜サマ攻略編”」
「へえー、そんな本があるのか」
「サリー著」
「おまえかよ!」
呆れて物が言えないとはまさに――
「必勝法その1。“好きなものをリサーチせよ!”これはガチ」
「まあ、アリだな」
理屈としては筋が通っている。しかし問題は対象が竜だという一点だけだ。
「竜ってさ、お宝集めるの好きらしいじゃん」
「確かに、竜の宝が欲しくて戦いを挑む構図をよく見る」
「でしょでしょ~? だからさ、アクセとかプレゼントしたら絶対よろこぶって~」
「だがこの竜は例外だ」
「なんでなん? ワケ言いなよ、ワケ~」
周囲を見回す。
黒い岩がごろごろしているだけだ。光るものも、加工されたものも、人工物の気配すらない。
「この竜はミニマリストだ。周囲に宝の欠片も落ちてない」
「うわ、ストイック」
「他人の趣味にケチつけるな」
「じゃあ必勝法その2。“パーソナルスペースを尊重せよ!”。いきなりボディータッチはNGだゾ!」
「触ってみたいが、結界が邪魔で無理だ」
正確には、触る以前の問題だ。あの鱗に指が届いたとして、無事で済む気もしない。
「ってか、好きな子の手も握れんとか、マスター、マジヘタレだったわ~」
「結界さえなければ、もっとアレやコレやしてるわ!」
「引くわ~マジで引くわ~。幼気な美少女に手を出すとか都条例違反で捕まっちゃえ」
「すみません通報しないでください」
「次行くよ次、必勝法その3。“良いところを褒めよ!”」
「良いところ? ……大きいですね」
「高身長を気にしている女子ならフツーにキレるやつじゃん」
「歯が白くて素敵ですね」
「うっわ~、初対面で歯を褒めるとか、ふつーにキモくね?」
「赤い鱗が綺麗ですね」
「肌の色とか、一番センシティブな話題だよ。地雷だよ地雷」
「アレはダメ、コレもダメ。どうしろってんだ」
ワガママ女子に振り回されている感覚だ。
「え、なにそれ~、そこまで動揺するってさ、経験値ちょい低めってこと~?」
「失礼だな、女性経験は豊富だ。ただ、竜経験がないだけだ」
「へぇ~ほぉ~ふぅ~ん」
間延びした相槌が、妙に腹立つ。
「言い過ぎた。そんなに経験はない」
「素直でよろしい」
ふと、視線の端で何かが動く。
反射的に振り向いた瞬間、背筋が凍る。
竜の目が開いていた。
いつからだ。
まぶたが動くところは見ていない。気づいた時にはもう、エメラルドグリーンの巨大な瞳がこちらを見ている。
黒い瞳孔が、俺を映していた。
火口も、空も、岩肌も消える。
視界にあるのは、その目だけだ。
心臓が跳ねる。
一拍じゃ済まない。暴れるみたいに打ち始める。
思わず、体がのけぞる。
サンクチュアリの上でバランスを崩しかけ、慌てて腕で支える。
逃げるか。
いや、無理だ。
今さら背中を見せる方が危ない気がする。
視線を逸らせない。
逸らした瞬間、何かが終わる、そんな確信めいたものがある。
「ふむ、あいつではない生き物と意志疎通できるとは」
――喋ったぁぁぁぁっ!!
反射的に叫びそうになるのを、なんとか飲み込む。
声は、中性的だ。
男とも女ともつかない。感情の起伏もほとんどない、平坦な響きが落ちてくる。
竜の口が、ほんのわずかに開いている。
だが動きは最小限で、ほとんどは視線だけでこちらを縛っている。
落ち着け俺。
深呼吸をし、無理やり同じリズムをなぞる。
とりあえず、寝起きで暴れるタイプじゃなくて、本当に助かった。
……いや、待て、今、何て言った。
この世界には、他にも竜がいるのか。
「あいつとは誰ですか?」
「黄色いやつだ」
黄色?
一瞬、サンクチュアリの翻訳精度を疑う。
だが、すぐに引っかかりが解ける。これは言語の問題じゃない、呼び方だ。
「“黄色いやつ”とは、名前ですか?」
「名前? それは何だ」
個体識別の概念がない。
なら、一人称も持っていない可能性が高い。自己を区別する必要がないなら、言葉も発達しない。
「“黄色いやつ”は」、指先で目の前の巨体をさし、
「何と呼びますか?」
「“赤いの”と呼ぶ」
“黄色いやつ”のネーミングセンスを疑う。“赤いの”って、シンプルすぎるだろ。
それはそれとして、言葉を知らないやつに敬語を使っても意味はない。たぶん言葉遣いが悪くて失礼だ、と怒ることもないだろう。
「赤いの。人間を知っているか?」
「人間?」
自分を指さし、
「同じ姿の。山のふもとに、固まって生活している、小さい生き物だ」
説明を足すと、竜の瞳がほんの少しだけ動く。焦点が遠くをなぞるように揺れたあと、またこちらに戻る。
「あれを人間と呼ぶのか。覚えておこう」
淡々としていて、興味があるのかないのか、表面からは読み取れない。
だが、ひとつはっきりした。
少なくとも、人間とは会話していない。
知識として認識しているだけで、言葉を交わした形跡がない。
意思疎通できる相手は、限られている。
俺と、そして、“黄色いやつ”。
言葉の断片的な使い方を見る限り、あちらから教わった可能性が高いが、今はそっちを追う場面じゃない。
視線をまっすぐ“赤いの”に固定し、集中する。
「赤いの、仲間はいるか?」
「仲間?」
「赤いのと、姿形が同じ生き物だ」
わずかに間が空く。
考えているのか、それとも記憶を探っているのか、判断がつかない沈黙だ。
「“黄色いやつ”とは形や大きさが違う。仲間はいない」
この竜は、世界に一匹。少なくとも本人の認識では、同種は存在しない。
そして別種の“黄色いやつ”。
意思疎通ができる、もう一つの例外。
自分の胸を指し、
「夕凪と呼んでくれ」
竜の瞳が、ほんのわずかに細くなる。変化としては小さいが、確かに反応している。
「ユウナギ。人間。覚えておこう」
「敵意はない。赤いのと話がしたくてやってきた」
「話……」
巨大なまぶたがゆっくり閉じて、ゆっくりと開く。それだけの動作なのに、やけに時間が長く感じる。
「いいだろう」
――よっし!
胸の内で、小さく拳を握る。
表には出さないが、確実に一歩進んだ手応えがある。
第一関門突破、だ。
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