第95話 火口の底で眠るもの
町を出ると、ジュディは街道から外れ、ためらいもなく脇道へ折れる。鎧の継ぎ目がかすかに鳴るが、足取りは重いままで、こちらを振り返る気配もない。
「こちらです」
短い一言だけが残り、会話はそこで途切れる。
……まあ、そりゃそうか。
冷たく当たっている自覚くらいはあるし、気まずさを解消する義理もない。
踏み固められた道はあるが、幅は心許ない。草が両側から張り出し、靴同士がすれ違うのがやっとで、荷車どころか荷を背負った人間でも窮屈に感じるだろう。
けれど、サンクチュアリは木々や草を歪ませて進むので問題ない。平然と彼女の背中を一定の距離で追う。
「竜の住処へ行く道は二つあります。一つは、赫竜教が管理している関所を通る道。もう一つが閣下がお作りになられたこの道です」
説明は丁寧だが、声に張りがない。義務として言っているだけ、という響きが混じっている気がする。
なるほど、宗教を通さない裏口、というわけか。赫竜教を嫌うクソ禿らしい発想だし、俺をここに通す理由としても筋は通る。
踏み固められている以上、誰かが何度も往復しているはずだ。竜のもとへ足を運んだ記録が、この細い道にそのまま残っている。それでも、俺に押し付けてきた以上、成果は出ていないと見るのが自然だ。
しばらく進むと、足元の感触が変わる。土が乾き、ざらつきが増して、わずかに色もくすんでいく。周囲の木々もまばらになり、空が広がる。
地面に転がる石が増える。丸みのあるものは少なく、角ばった岩がごろごろと露出していて、昔はもっと激しく崩れた場所だったのかと想像がつく。黒ずんだ土が混じり、ジュディが踏みしめるたびに乾いた音が小さく返る。
やがて道は山へ入り、そのまま斜面に張り付くように伸びていく。勾配が一気にきつくなり、ジュディの歩幅がさらに狭くなるのが背中越しにわかる。滑り落ちればそのまま下まで転がりそうな斜面を、細い道が無理やり縫っているような形だ。
岩と土の境目が曖昧で、どこに足を置くべきか迷いそうになる。もっとも、俺は歩かないので関係ないが、見ているだけで神経を使う道だ。
周囲は妙に静かだ。鳥の声も聞こえない。風が岩肌をなぞる乾いた音と、前を行くジュディの足音、それに混じる荒い呼吸だけが、細い道に残る。
俺はその背中に、あえて事務的な調子で声をかける。
「クソ禿が道を作らせたってことは、竜退治に挑んだことがあるんだろ」
「そう聞いています」
返事はすぐだが、続く言葉に息が絡む。
「ボクはまだ入隊していませんでしたので」
ふう、とひとつ。肩がわずかに落ちる。
「詳しくは知りませんが」
また息を吐き、歩幅が少しだけ縮む。
「主教の話にあった通り」
呼吸を整えようとしているのが、背中越しにも伝わる。無理に平静を装っているが、体は正直だ。
「誰も竜には近寄れなかったらしいです」
最後は、少しだけ声が細くなる。言い切ったあとも足は止めないが、勢いは明らかに鈍っている。
話しながら登るには、きつい道だ。
肩が上下し、呼吸が荒くなるたびに、鎧がかすかに擦れて鳴る。
対して俺は、何も変わらない。サンクチュアリの上で、斜面をそのまま滑るように進んでいるだけだ。視界も安定しているし、息が上がることもない。
もし前を歩いているのがケイシーだったら、二階を出して休ませている。むしろ、最初から歩かせる選択などしない。
だが、目の前の背中には、そういう発想が一切湧かない。自分でも驚くくらいに。
まあ、当然か。
この状況を作った側の人間だ。本人がどうこうという話ではないが、感情はそう簡単に切り分けられない。
それよりも。
“竜”。
言葉だけが、妙に軽く頭に浮かぶ。半信半疑のまま、視線を先へ流す。黒ずんだ土と、むき出しの岩が続く斜面の先へ。
その先に本当にいるのか、と考えながら、俺は黙って山道を進み続ける。
そろそろ山頂だと、感覚でわかる。斜面の角度が変わり、足場の悪さが一段増しているからだ。
黒い岩がむき出しになり、草すら生えない乾いた地面。
前を歩いているジュディが、不意に足を止める。肩が大きく上下したあと、わずかに息を整えてから口を開く。
「ここです」
振り返らないまま、横へ半歩ずれる。その動きで視界が開ける。
俺はその先へ目を向ける。
……火口だ。
地面が円形に大きくえぐれている。縁の岩は黒く焼けたようにくすみ、内側へ向かってなめらかに落ちている形は、巨大な中華鍋のようだ。
底は思ったより広く、距離があるはずなのに、輪郭が妙にはっきり見える。
そして――
視線が、止まる。
火口の底で、竜が横たわっている。
赫い鱗が幾重にも重なり、光を弾くというより、むしろ吸い込んでから鈍く返しているように見える。
大きな翼は地面に沿って広がり、その影が火口の一部を切り取るように沈んでいる。
長い尾は緩やかに曲がり、岩肌をなぞる線を描いたまま、動かない。
腕を枕にしている姿は、ただ眠っているだけに見える。だが、その静けさの奥に、何かが詰まっている気がする。音もないのに、圧だけがじわりと上がってくるような、妙な感覚だ。
距離はある。冷静に見れば、安全圏にいるはずだ。それでも、視界の奥から押し返されるような感覚が消えない。存在そのものが、こちらへ張り出してきているみたいだ。
目を閉じている。それでも、いや、だからこそか、隙が見えない。
この静けさごと、力の一部に思える。
――冗談だろ。
喉の奥で、言葉が引っかかる。
これを、倒せ、だとっ――
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