第93話 その剣は誰の喉元に
通りを進むうちに、景色が少しずつ変わっていくのがわかる。さっきまで肩をぶつけるように並んでいた商人の店が、気づけばまばらになり、その隙間を埋めるように石の壁が目立ち始めている。
人の流れも違う。騒がしさが引いて、足音だけがやけに整って聞こえる。妙に落ち着いているというか、活気が削ぎ落とされたような空気だ。
そんな中で、ひとつだけ異様に目を引く建物がある。
石造りの外壁は無駄に高く、見上げるほどの壁面いっぱいに、巨大なレリーフが刻まれている。円形の紋章だ。外周を鱗が連なり、その内側で、ひときわ大きな竜が身を丸めて眠っている。
前を歩いているジュディが、ぴたりと足を止めて振り返る。
「ここが赫竜教の本部だ」
「……なるほど」
――そりゃあ、目障りにもなるか。
思わず、視線が上に引っ張られる。
宗教施設にしては、規模がいきすぎている。飾りも彫刻も、いちいち手間がかかっているのがわかるし、そのぶん金が流れ込んでいるのは明白だ。
クソ禿が放置したくない理由としては十分すぎる。
視線を下ろすと、建物の前に何人か立っているのが見える。ローブのような服だから、門番というわけではなさそうだ。
動きは少ないが、完全に止まっているわけでもない。出入りする者を見て、時折会釈をしている。
「ユウナギ殿」
「なんだ」
「案内できるのはここまでだ。後ろから監視している。好きに行動したらいい」
「ああ」
「逃げるなよ。……逃げられるとボクが困る」
「逃げるわけがないだろ。ケイシーは必ず助ける」
そう返すと、ジュディの視線がすっと落ちる。ほんの一瞬、迷いが混じったように見えて、次に聞こえた声は、小さく、歯切れが悪い。
「ボクは……、人質を取るなんて、聞いていなかった。あんなの、卑怯者のやり口だ……」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にどろりとした何かが湧く。熱でも冷たさでもない、ただ形の悪い感情が、じわりと広がる。
気づけば、ジュディを睨みつけている。
「それ、俺の前で言わないほうがいい。それと監視がオマエ一人とは限らない」
ジュディがはっと顔を上げ、慌てて周囲に視線を走らせる。壁際、建物の影、人の立つ位置。露骨すぎる動きだ。
「声の届く場所にはいないから構わない」
――本気で言ってるのか。
無自覚なバカほど相手の神経を逆なでする。
声が、自然と低くなる。
「理解が足りないようだな。オマエの正義感なんて知るか。俺から見れば、オマエはクソ禿の共犯者だ」
ぴくりと、ジュディの肩が強張る。その反応を見ながら、視線を落とし、腰に差した剣を指で示す。
「その剣。今この瞬間も、ケイシーの首筋に触れているのと同じだ。その自覚を持って俺の前に立て」
言い終わるころには、ジュディの顔色がはっきり変わっている。唇を固く結び、何かを飲み込むように喉が動いた。
「誘拐犯の懺悔を、黙って聞けるほど人間が出来ているわけじゃない。犯罪者が被害者に隙を見せるな」
――ああ、嫌になる。
言葉を置き去りにするみたいに、視線を外す。
分かっている。これはただの八つ当たりだ。状況にぶつけられない苛立ちを、目の前の相手に押しつけているだけ。
それでも、わずかに奥歯を噛みしめるしかない。
胸の奥に残っている濁りを押し出すみたいに、大きく息を吸って、ゆっくり吐く。うまく消えた気はしないが、そのまま引きずるほどでもない。
視線を建物の入口へ向ける。簡素な赤い衣をまとう男。背筋は伸びているが、どこか手持ち無沙汰にも見える。おそらく受付役だ。距離を詰めながら、声をかける。
「すみません。赫竜教について少し聞きたいのですが」
男の肩がわずかに揺れ、こちらを見た顔に、はっきりとした驚きが浮かぶ。
「赫竜教を?」
「ええ、詳しく知りたくて」
男の視線が一瞬だけ泳ぐ。俺を値踏みするような視線。嫌になる。
やがて、男は小さく息を整え、
「少々お待ちください。主教を呼んでまいります」
そう言い切ると、踵を返す動きがやけに速い。ほとんど逃げるように、赤い衣を翻して建物の中へ消えていく。
入口の前で、そのまま待つ。
石の壁は無機質で、さっき見上げた竜のレリーフも、今は視界の端に沈んでいる。
「あの……」
背後から、小さく声が落ちてくる。振り向かないまま、耳だけ向ける。
「先ほどは失礼した」
「気にするな。黙って監視してろよ」
視線は前に固定したまま返す。
この鈍いヤツには“黙ってろ”と、はっきり言ったほうが伝わるだろうか。
しかし、会話をしたいとは思えない。
少しの沈黙。
「ボクにも……手伝いをさせて欲しい」
胸の奥で、何かが一気にせり上がる。さっき押し込んだはずの濁りが、形を変えて膨らんでいく。
コイツには、俺を苛立たせる才能でもあるのか。
「ならさあー、すぐにでも屋敷に戻ってケイシーを連れ出してくれよー、それ以上は望まないからさあー!」
抑える前に声が出る。自分でもわかるくらい、音量が跳ね上がっている。
「たぶん地下の独房にいる。そこには見張りもいる。連れ出すのは――」
その一言で、思考が途切れる。頭の奥が、じわりと熱を持つ。
「ケイシーを、独房に、だと……」
ゆっくり振り返ると、視界に入ったジュディの顔が、一瞬だけ遠く感じる。
「罪を犯していない少女を、地下牢に閉じ込めたのか! ふざけるなよ!!」
拳を伸ばす。
痛っ。
胸倉を掴むつもりだったが、結界に遮られた。
行き場を失った怒りが、逃げ場を探して頭の中をぐるぐると回る。
突き指した手を握り締め、結界に押し当てる。
目の前のジュディは、目を見開いている。怯えと戸惑いが混ざった表情で、わずかに後ずさる。
こめかみに鈍い痛み。
クソ禿への憤怒が、そのまま表情に滲み出ているのが自分でもわかる。
「もしケイシーの身に何かあれば――」
そこで言葉が切れる。
自分でも、その先を口にしたくない。
だが、止まらない。
「クソ禿も、その手先も、全員、殺す」
建物の扉が、軋みも立てずに静かに開く。さっきまで閉ざされていたはずの内側から、すっと人影が現れる。
女性は背筋をまっすぐ伸ばし、無駄のない動きで歩いてくる。その足取りはゆったりしているのに、不思議と間延びしない。距離が自然と詰まる。
赤を基調とした長衣が、歩みに合わせてわずかに揺れる。胸元には竜の紋様。外のレリーフと同じ意匠が、丁寧に刺繍されているのが見える。
俺の前で足を止めると、女はわずかに首を傾けた。
「どうされました? あの、怖い顔をなさって――」
落ち着いた声だ。抑揚は強くないが、通る。
喉の奥に引っかかる感覚を押し込むように、深く息を吸って、ゆっくり吐く。
「いいえ何も。お手数おかけします」
女性は小さく視線を巡らせる。俺だけじゃない。建物の前に立つ連中や、少し離れた位置にいる気配まで、まとめて把握しているような動きだ。
「ここでは邪魔になりますね。ついていらっしゃい」
短くそう告げて、ためらいなく踵を返す。
俺は何も言わず、その後ろに続く。
少し遅れて、ジュディの気配もついてくる。
顔を見合わせることもないまま、自然と列ができて、赤い背中を追いかける形になる。
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