第92話 竜を倒す準備
クソ禿の邸宅を、ほとんど追い出されるようにして門をくぐる。
背後で門扉が重く閉じる音が響き、その鈍い余韻がしばらく耳に残る。まるで“用は済んだ”と言われた気分だ。
「ボクが案内する」と、前に立つ少女が短く言う。
確かジュディという名だ。こちらに向けられる視線は鋭いが、敵意のような感じはしない。どちらかといえば、俺との接し方を測っている。そんな迷いが、ほんのわずかに混じっている気がする。
「そうか。なら赫竜教へ案内してくれ」
そう告げると、ジュディの眉がぴくりと動いた。
「竜の住処へ行かないのか?」
「手ぶらで行けと言うのか」
「だったら武器屋だろ」
「武器が通じる相手なら、オマエたちが既に倒しているだろ」
「それは……」と、視線をそらす。
――図星か。
ふと気づいたように、視線を俺に向けると、
「ユウナギ殿は異世界人、なのだろう? だったら、ボクたちの知らない力があるんじゃないのか」
「教える気はない。それに、オマエが俺の力を知らないように、俺も竜の力を知らない。そんな状況で挑むほどバカじゃない」
「……そ、そうか」
ジュディは視線を落とし、考える素振りを見せる。
彼女に与えられた命令は“竜の住処まで案内しろ”だ。命令違反が気になるのか、それとも別の理由があるのか……。
「本部がある。そこへ案内する」
ジュディは踵を返して歩き出す。
もしかすると、寄り道は許容範囲と判断したのかもしれない。しかし足取りは重そうだ。
俺はその後ろについていく。
揺れる背中を自然と目で追う。
鎧はまだ新しく、光の反射が硬い。背は高めで、体つきは細い。だが頼りない印象はまるでない。むしろ無駄が削ぎ落とされている分だけ、動きに隙がないように見える。
顔はろくに覚えていない。目つきが鋭かった気はするが、それ以上はどうでもいい。
言葉数は少ない。無口なタイプか、それとも俺相手で、やりにくいだけか。どっちにしても、気楽に雑談できる雰囲気ではない。
「サリー、緊急事態だ」と、前を行くジュディの背中を見ながら、小声で囁く。
「聞いてたし。ケイシーちゃんマジヤバじゃん」
「だから猫の手でも借りたい」
「サリーに手はないけど、超高性能な頭脳ならあるし! 沈没船に乗った気でいるがいいさ!」
「突っ込む余裕がない」
進みながら言い捨てる。
サリーに答えを求めているわけではない。思考を整理するための刺激が欲しいのだ。
「クソ禿はケイシーを解放する条件を出してきた。竜を倒せ、だと」
「竜とか無理ゲーすぎて草なんだけど~。犯人センスなさすぎイミフ」
「おそらく竜退治はフェイクだ。遠回しに“死ね”と言っている」
「じゃあ約束は守られないパターン?」
「その可能性はある」
言いながら、胸の奥に鈍い塊が沈む。形にならないまま、ただ重い。
それでも進み続ける。止まってはいられない。
「だが、ケイシーの命を天秤にかけて、相手の出方を試す気はない」
「なるなる~。つまり竜をどうにかしなきゃってことじゃん」
「そうだ」
「マスター戦えないじゃん? RPGなら初期装備でラスボス行くレベルなんだけど」
「だから相談している」
「そだね~、竜ってさ、倒す以外にも攻略法あるっしょ?」
「……交渉か」
その一言で、頭の中の霧がわずかに晴れる。コイツとの無駄話も役に立つ。
「そゆこと! ファンタジーに登場する竜ってプライド高い系じゃん? 『人間ごときが』つって」
「……まずは話が通じるか確認する必要があるな」
「そんでさ、竜に土下座して『ケイシーを助けてくださいっすよぉ~旦那~』って同情ひくの、どうよ?」
「ケイシーが助かるなら、土下座で星を割ってやるよ」
「マスターは鳥籠の中だし。地面に頭つけられないじゃん」
「そうだった……」
サリーの軽口を聞いているうちに、肩に入っていた力が少し抜ける。胸の奥に沈んでいた重さが、ほんの少しだけ位置を変えた気がする。
サリーの提案は悪くない。クソ禿の要求を、そのまま受け取る必要はない。竜と交渉し、協力を取りつける。それができれば、無理な戦いを避けたまま、ケイシーを救う道が見えてくる。
「竜が協力的であることを祈るしかないな」
「大丈夫大丈夫。もし交渉決裂したら、全力で逃げればオケマル!」
「逃げる前提か」
「そりゃそーでしょ。生きて帰るのが最優先っしょ?」
ほんの少しだけ声が柔らかくなり、
「ケイシーもさ。『私を助けるために死ぬなんて嫌』って絶対言うよ」
俺よりもケイシーのことを理解していると言われた気がして腹が立つ。
「例えケイシーに嫌だと言われようと、俺の命で助けられるのなら、差し出すのに何の躊躇もない」
「三流ドラマみたいなセリフ、ウケルんだけど~」
「飾らない、陳腐なセリフだからこそ、そこに真実があると思わないか?」
「えっ、ちょっ、マスターがかっこよく見えるし。サリーに目はないけど」
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