第91話 信仰を潰すための依頼
振り返った辺境伯の目に、さっきまで押し殺していた苛立ちがそのまま浮いている。細くなった瞳が、露骨にこちらを射抜いてくる。
「忌々しい。結界さえなければ、キサマの首など刎ねてやったわ」
吐き捨てるように言ってから、口元だけが歪む。笑っているのに、温度はまるでない。
「だからキサマが一番苦しむ方法で、ジェラルド殿下の無念を晴らしてやるのじゃ」
その一言で、思考が一気に繋がる。
「ケイシーをどこへ連れて行った!」
叫んだ瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなる。視界の端が黒く滲む。拳が震えて、爪が掌に食い込む。
辺境伯はわずかに眉を動かし、それから面白がるように目を見開いた。
「安心するのじゃ。早々に殺したりはせぬ。ひとつ条件を出してやろう」
その“殺す”の一言が、怒りの炎に冷たい刃を突き立てる。
一瞬、呼吸が止まる。
殺す? こいつが?
ふざけるな。今すぐ殴り倒してやりたい。喉元に手を伸ばして、二度とそんな言葉を吐けないようにしてやりたい。
――冷静になれ、冷静になれ、冷静になれ。
今ここで飛びかかったら、ケイシーがどうなる。
歯を食いしばり、胸の奥で暴れる怒りを必死に押し込める。
条件。
その言葉だけが、かろうじて俺の理性にブレーキをかける。
こいつの企みが何であれ、まずは聞くしかない。彼女を取り戻すために。
「クソッ……」
吐き出した声が震える。
油断していた。
ケイシーをサンクチュアリから降ろすんじゃなかった。
こんな町、来るべきじゃなかった。
その後悔が、胸の奥で渦を巻く。
歯を食いしばったまま、息を整える。
感情のまま動けば、確実に失敗する。
助ける方法を、考えるしかない。
「この地には竜が住んでおる」
唐突な単語に、思考が一拍遅れる。
「竜、だと?」
聞き返すと、辺境伯はわずかに眉をひそめた。確認するまでもないだろう、とでも言いたげな顔だ。
「その竜を神のごとく崇める連中がおる。赫竜教じゃ」
初めて聞く名だ。
黙っていると、それをどう受け取ったのか、辺境伯が鼻で笑う。
「知らぬのも無理はない。王都では大した勢力ではないからな。じゃが、この地では違う。領民の半分が教徒じゃ」
……半分。
それはもう宗派というより、もう生活そのものだ。
「それが?」
今の話が俺にどう繋がるのか見えない。
辺境伯の顔が、わずかに歪む。
「邪魔なのじゃ」と、低く吐き出すような声だ。
「強さの象徴だの、支配者だの、くだらぬことを言いおる。
この地を治めておるのは儂じゃ。竜などではない!
しかし、下手に弾圧すれば内乱じゃ。
辺境で内乱など起これば、国境どころではなくなる。
じゃからキサマに命じる。
竜を殺せ」
「……は?」
「竜がいなくなれば、赫竜教は根拠を失う。信仰など所詮は偶像じゃ。偶像が消えれば瓦解する。
異世界人なのだろう? 竜に対抗できる力があるやもしれぬ。
それに、都合も良い。もし失敗してもキサマが竜に食い殺されるだけじゃ」
クックッ、と喉の奥で笑う声が漏れる。
話の筋が繋がらない。いや、繋げたくないのかもしれないが、それでも無理がある。
「この世界に竜がいるのか。空想ではなく?」
辺境伯は怪訝そうに眉を寄せ、
「知らんかったのか?」
「ああ」
短く返すと、ほんの一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに興味を失ったように視線が流れる。
「まあ良い。キサマには監視役を付ける。おい、ジュディ!」
名を呼ばれ、ひとりの女性騎士が前に出ると、
「はい、閣下」と、胸に拳を当て、きびきびと応じる。
「こやつの監視を任せる。竜の住処まで案内するのじゃ」
「承知しました」
声ははっきりしているが、奥に緊張が混じる。
辺境伯は、もう一度だけ俺に視線を戻す。
「逃げるなよ異世界人。逃げれば、あの娘がどうなるか……分かるな?」
――わかりたくないわ! クソ禿が!!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
続きが気になると思っていただけたら、ブクマしていただけると励みになります。
全112話 毎日投稿します。
最後まで楽しんでいただけたら幸いです。




