第9話 飼い主探し
やがて、それが見えてくる。
遠くからでも大きいとは思っていたが、近づくほどに認識が修正される。
これは“大きい”で済ませていい代物じゃない。
灰色の石を積んだ城壁は、積み上げたというより最初からそこに存在していたようだ。
夕焼けが、縁で細く切り取られているのが妙に現実感を薄くする。
首の後ろがじわっと引っ張られる。見上げすぎだ。
「あの向こうに、人が暮らしてるのか……」
口から出た声は小さい。吸い込まれるみたいに、すぐ消える。
跳ね橋は下りている。
分厚い扉も半分ほど開いているが、その奥は暗く、光を拒んでいるみたいに見える。
槍を持った兵士が、小走りでこちらへ寄ってくる。
視線が俺と足元を往復して、その途中であからさまに顔が歪んだ。
「おい、おまえ。妙な格好だな。それと……ベッドか?」
俺からすれば、アンタのほうがコスプレ野郎だけどな。
まあ、価値観の衝突で揉めても得がないし、ここは相手の土俵だ。
兵士の前に、リンダがすっと一歩出る。
「この方はユウナギ様。不埒者に襲われた私を助けてくださった恩人です。マクダウェル教の神官リンダの名のもと、この方が悪人ではないと断言いたします」
澄んだ声がまっすぐ通る。
場慣れしているというか、こういうときのための立ち振る舞いが体に入っている感じだ。
しかし兵士は腕を組んだまま、軽く鼻で笑う。
「残念だな。俺はマクダウェル教の信徒じゃない。君の言葉じゃ保証にはならん」
「なっ……失礼な!」
リンダの声が一段上がる。
宗教の権威がそのまま通用するわけじゃなさそうだ。
少なくとも、この門に関しては兵士の裁量が優先される構造らしい。
「仕事なんでな。怪しいやつを通すわけにはいかない。神官なら分かるだろ? どうしても通したいなら、司教の推薦状でももらってこい」
言い方は雑だが、理屈自体は筋が通っている。
リンダもそれを理解しているのか、言葉が続かず、唇をきつく結ぶ。
ほんの一瞬だけ迷って、それから決めた顔になる。
「……分かりました」と答え振り返ると、
「ユウナギ様、急いで推薦状を頂いてまいります。しばしお待ちいただけますでしょうか」
「手間をかけてすまない。この世界で頼れるのはリンダだけだ。よろしく頼む」
「はい」
深く頭を下げてから、彼女はすぐに踵を返す。
そのまま足早に門へ向かい、半開きの扉の向こうへと飲み込まれていく。
推薦状、か……。
動いてくれるのはありがたいが、すぐに出てくる類のものとも思えない。最悪、日をまたぐ可能性もあるな。
「おい、邪魔だ。離れて待ってろ」
兵士が手を振って追い払う。
完全に不審者扱いだが、まあ立場的には否定しづらい。
軽く息を吐いてから、サンクチュアリを滑らせるように脇へ寄せる。
門の正面を外れ、往来の邪魔にならない位置で止まり、さてどう時間を潰すかと考える。
ひとりになると、さっきまで気にならなかった空間の広さがやけに目につく。
人の流れは絶えずあるのに、自分だけがそこから半歩ずれているみたいだ。
胸の奥に、じわっと重たいものが広がる。
視線をさまよわせても、落ち着く場所が見つからない。
気分が沈みきる前に引き戻すのが、こういうときの基本動作だ。
幸い、話し相手はいる。
「サリー」と、枕元へ視線を落として声をかける。
「ぷぷっ。ひとりぼっちになって寂しん坊なんだね。もぅ~マスターは可愛いなあ」
「否定はしない」
「アレアレ素直じゃん。いいよ、豊満な胸で慰めてあげる。サリーに胸はないけど」
軽口に助けられ、ふっと心が軽くなる。
サンクチュアリに体を預ける。背中に広がる極上マットレスの弾力に任せて、視線を空へ向ける。
「“無敵の人”って言葉、あるよな」
「知ってる知ってる~。社会的地位とか仕事とか家族とか評判とか、守るものがないから怖いものがない――って思い込んでる状態の人を、揶揄して言うネット用語だね」
腕を伸ばす。掴めるはずのない空をなぞるみたいに。
「今の俺は、まさにそれだ。サンクチュアリ以外、すべてを失った。言わば“無敵の人”ってやつだ」
「結界に守られてる“無敵”と掛けたんだね、うまいっ!」
軽い拍子で褒められるが、こちらの温度とは微妙に噛み合っていない。
「おやまあ。本気でまいってる感じ?」
サリーを選んだ理由……。
アパートの薄い壁。
ひとり暮らしの部屋に響く、鍵を閉める音の軽さ。
帰宅しても迎える声はない。
彼女がいない生活は、静かすぎる。
静寂は嫌いじゃないが、時に余白が広がりすぎる。
明るさが過剰なくらいのAI。
俺の思考を平然と飛び越えて、勝手に楽しそうにしている存在。
そんな奴が必要だったんだ。
「元気出しなよマスター。全部失ったわけじゃないよ、“マスター自身”が残ってるじゃん。体さえあれば、立て直す力も、選ぶ力もあるってこと。サリーに体はないけど」
「体だけあってもな……」
現状、その体が外界とまともに接続できていないのが問題なのだが。
「マスターの行動次第で、未来は少しずつでも良くできるのダゾ」
「さすがAI。当たり障りのない抽象的な励ましだな」
腕を下ろし、そのまま目元を覆う。光が遮られて、少しだけ思考が整理しやすくなる。
「強欲だなあ。具体策まで要求するなんて、この欲しがりさん。じゃあ現実的にいこっか。結界を抜ける手段は今のところナシ。なら、生き残るために何が必要か考えよう」
「生存、か……」
「心理学者マズローの階層理論だと、下位の欲求から順に満たすのが重要らしいゾ」
「下位の欲求?」
「水分、栄養、睡眠、体温。このへんが最低ライン。サンクチュアリのおかげで水分・睡眠・体温はクリア。でも栄養だけは外から調達しなきゃ死ぬよ、わりとガチで」
「金があったとしても、結界のせいで買い物すら難しいからな」
思わず苦笑が漏れる。状況の不自由さが、妙に理詰めで笑える。
「俺は鳥籠の中の千鳥だ。孤独の旅人……。餌をくれなきゃ、そのまま餓死だな」
「つまり“餌を与えてくれる飼い主”を見つけなきゃ、だね」
「飼い主か……、異世界人を飼う酔狂なやつがいればいいけどな」
「自己アピールだよマスター! 相手に利益か動機を与えるのさ」
その言葉で、思考がゆっくりと形を取り始める。沈んでいたものが、底でまとまって浮かび上がる感じだ。
体を起こす。さっきまでの重さが、少しだけ軽くなっている。
「相手のニーズや心理を把握して、自分の価値を提示する。短い会話を繰り返し、信頼を積み上げる」
そこでふと気づく。
「……あれ? これ、いつもやってる商談と同じじゃないか」
異世界だろうが何だろうが、やることは変わらないらしい。そう考えると、少しだけ現実に足がついた気がする。
ゴッ、と鈍い音が石畳を打つ。
最初はひとつだけだったのに、間を置かずに重なって、ゴッ、ゴッ、ゴッ、と数を増やしていく。
気のせいで済ませるには、さすがに量が多い。
門へ視線を向ける。
半開きの暗がりの奥から、影がいくつも押し出されてくるのが見える。
鎧の表面が夕焼けを鈍く弾いて光がちらつく。
槍を持った兵士たちが、列を崩さないまま外へ出て、そのまま進路をこちらに固定してくる。
視線が一斉に集まる。
逸らす気配が、ひとつもない。
嫌な予感が、輪郭を持つ。
ぼんやりした不安じゃない、具体的な圧として迫ってくる。
兵士たちは無言のまま、左右に広がる。
動きに無駄がない。
合図もないのに、同じタイミングで間合いを詰めてくるあたり、訓練されているのが分かる。
前。横。背後。
囲まれる、という認識が遅れて追いつく頃には、もう抜け道が消えている。
門番ひとりの裁量で動く規模じゃない。
さっきのやり取りが引き金だとしても、対応が早すぎるし、人数も過剰だ。
喉の奥がひりつく。
「嘘、だろっ……」
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