第88話 香辛料を探す旅
街道は、東へ、ひたすら東へと伸びている。
終わりが見えない、というより、最初から終わりなんて用意されていないみたいな道だ。
俺はサンクチュアリの上であぐらをかき、流れていく景色をぼんやり眺めている。
視界の端で、草の色がゆっくりと入れ替わっていくのを追いながら、特に意味もなく時間を潰しているところだ。
地平線まで、なだらかな起伏が続いている。起伏といっても控えめで、遠くから見れば、ただの平面にしか見えない。
王都はもう遥か西だ。国境まであと少し。そこを越えれば、この国のしがらみとも一旦お別れになる。
街道を行き交う人影は少ない。
荷車を引く農夫が、こちらをちらりと見てから視線を逸らす。
ロバに荷を積んだ商人は、最初こそ平静を装っていたが、途中で諦めたみたいに露骨に距離を取る。
杖を突く巡礼らしい男は、一度立ち止まり、祈るように何かを呟いてから端へ寄る。
誰もが同じ反応をする。
俺――いや、サンクチュアリに気づいた瞬間、ぎょっとした顔になる。そして、慌てて街道の端へ寄る。その動きに無駄がないあたり、野生の危機回避能力ってやつかもしれない。
宙に浮いたベッドが、街道のど真ん中を滑るように進んでくるのだ。そりゃまあ、避ける。俺でも逆の立場なら、関わらない選択を全力で取る。
「隣国って、どんなところなんでしょうね」
二階からケイシーの声が降ってくる。天井越しなので表情は見えないが、声は軽い。たぶん遠くの景色を眺めながら、心を躍らせているのだろう。
「見当もつかないよ。情報がなさすぎる」
視線を前に向けたまま答える。実際、断片的な話すら手に入っていない。地図も曖昧、文化も不明。ネットのない世界ではあたりまえなのだが。
進路を東に決めたのは、一番近い隣国が東にあるとアランから聞いたからだ。治安もそれほど悪くなく、戦争をしていない。確かな情報はそれだけだ。一刻も早く、この国から脱出しようとした結果、事前準備に時間がかけられなかったのは痛い。
「ですよねえ。でも――」と、言葉が一拍置かれる。
「でも?」
「料理は絶対ありますよね」
「そりゃあるだろう」
「パンとか、お肉とか、似た感じですかね?」
「それを、異世界人である俺に聞くのもどうかと思うけどね」
「確かに」と言い、クスクスと笑う。
この世界の食文化は、今のところ元の世界と比べ、極端な外れ方はない。
「違うのも食べてみたいですよね」
「まあな」
二階から移動する物音。そして、天井の縁から、ひょっこりとケイシーの顔の上半分が見える。長い髪が遅れて落ち、さながらホラー映画のワンシーンだ。
「ユウナギさんの世界って、どんな料理があるんですか?」
「危ないから顔を出すんじゃない」
「は~い」
そう言いながら顔が引っ込む。
「俺が好きなのは、カレーだな」
「カレー?」
「たぶんこの世界にはない料理だよ」
「どんな料理なんです?」と、興味がはっきり声に乗っている。
「簡単に言うと、煮込み料理だ。肉と野菜を煮る」
「それなら、普通ですね」
「ただし、味が異常に強い」
「異常に……?」
「香辛料を山ほど使うんだよ。辛いだけじゃない。香りが重なって層になる感じだ」
「層……?」
「一口で終わらない味って言えばいいか。最初に辛さが来て、あとから甘みとかコクとか、別のものが追いかけてくる」
言いながら、自分の中でも感覚をなぞる。舌に残る刺激と、あとから広がる香り。
「なんですかそれ……」
「しかも種類が多い。同じカレーでも、全然違う味になる」
「そんなにですか?」
「肉を変え、野菜を変え、香辛料の配合を変える。それだけで別物だな」
言葉を重ねるほどに、皿の色や湯気が浮かび、口の中に唾が溜まる。
「辛さも調整できる。ほとんど辛くないのもあるし、逆に頭がおかしいくらい辛いのもある」
「頭がおかしいって言いました?」
「比喩だよ」
ホントは比喩じゃないが説明が面倒だ。
二階から、くすっと笑う気配が落ちてくる。たぶん半分くらいは信じてない。
「あと、上に何か乗せることも多いな」
「乗せる?」
「卵とか、チーズとか、揚げたやつとか、果物とか」
「果物? 煮込み料理の上に? そんなことしていいんですか」と、声が一段高くなる。
「むしろそれが楽しい」
「自由すぎませんか?」
「どこの家庭もカレーが好きすぎて、味を追求し始めたんだよ。甘いお菓子を隠し味にしたり、牛乳を混ぜたり」
「こだわりが強いですね……」
半分呆れたような声。でも嫌がっている感じじゃない。
しばらくすると、二階からバンバンバンと音がする。
乾いた衝撃音が、頭上で連続する。たぶんマットレスを叩いてる音だ。
興奮しているのか?
「それ、やりましょう!」
「何を?」
「カレー屋です」
「突然すぎるだろ」
「絶対流行りますよ! だってそんな料理、聞いたことないですもん!」
「そりゃそうだろうな」
「私、料理得意ですし! 好きですし!」
「知ってる」
「ユウナギさんはメニューを考えてください!」
「無茶言うな、俺は作れないぞ」
「ヘイマスター、レシピならサリーが教えて、あ・げ・る」
「黙ってろ」
反射的に、小声で突っ込む。
「でも味は知ってるんですよね?」
「まあな」
「じゃあ大丈夫です!」
「簡単に言うけど、香辛料なんて、この世界にどれだけあるかもわからないし」
「探しましょう!」
「いや、そんな簡単に――」
「見つけます!」
――この子、押しが強いんだよな。
少し頭が痛くなる。俺に付いてくると言い出した時もそうだった。理屈を並べても押し切られた記憶がよみがえり、とりあえず条件だけ置いてみる。
「……店をやるなら、最低条件がある」
「なんですか?」
「香辛料が揃うこと。話はそれからだ」
「はい! 集めます!」
――即答かよ。
「本気か?」
「本気です」
大きなため息を零し、
「……揃ったら、考える」
「やった!」
次の瞬間、ドスンドスンと連続する振動が伝わってくる。マットレスの上で跳ねてるな、これは。
カレーなんて、この世界じゃ影も形もない料理だ。
なのに、ケイシーは本当に店を開く気でいるらしい。
香辛料を集めて、鍋をかき回して、知らない誰かに食わせる。
そんな未来を、当たり前みたいに信じている。
地平線の先へ視線を向ける。
少し前まで、生き残ることしか考えていなかったはずなのに。
未来、か……。
自然と口元が緩む。
――ケイシーが喜ぶのなら、香辛料を探してみるか。
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