第87話 白い花が最初に潰れた日
王子のクーデター翌日。
庭園は、ひどく静かだ。
人の怒号と、金属のぶつかる音が満ちていた場所とは、とても思えない。
視線を落とすと、花壇が目に入る。
花はほとんど茎の途中で折れている。泥に押し潰された花びらが、石畳にべったり張りついている。何度も往復した足跡が重なって、原形をとどめているものはほとんどない。
まあ、そりゃそうなるか。
戦場になった場所に、繊細さを求める方が間違ってる。
そう頭では理解してるのに、妙に目につくのは、たぶん“元が綺麗だった”せいだろう。
ふと、ジェイミーの言葉を思い出す。
『赤は高貴、黄は繁栄、白は安寧、青は知性。そういう意味があるのよ』
真っ先に潰された白い花。
なんて皮肉なんだ。
石畳の一角が、わずかに湿っている。掃き清めた跡が、逆に浮いて見えるくらいだ。
第一王子が倒れた場所。
血の色を、記憶ごと削り取るみたいに、痕跡が消されている。
視線を外す。長く見ていい場所じゃない気がして、無意識に首が動く。
隣では、アランが庭を見つめている。相変わらず表情は薄い。
けれど、どこか引っかかるものを抱えたまま立っているように見える。
「行かれるのですね」と、ぽつりと呟く。
風に紛れるくらいの声なのに、やけにはっきり耳に届く。
「やっぱりさ、息子を死に追いやったヤツが居座るなんて、無理だろ」
アランは小さく首を振る。
「陛下は、そのような心の狭いお方ではございません」
「分かってる。あの人は、父より王を選んだ。だからこそ、もう苦しめたくない」
「確かに」
「それにさ、家臣たちの目とかあるだろ」
「わたくしはユウナギ殿がいらしても、何のわだかまりもございませんが?」
その真顔、本音なのか建前なのか、わかりづらい。
俺は肩の力を抜いて、軽く笑う。
「ごめんごめん、俺が気になるから逃げるわ」
その言葉に、アランがくすりと笑う。
「左様でございますか。……そうですね、臆病者は逃げれば良いのです」
前に俺が言ったやつ。ちゃんと覚えてるあたり、性格が出てる。
「棘あるなあ」
軽く返すと、庭の静けさが少しだけ和らいだ気がする。
「これは宰相閣下からです」
アランが差し出した布袋をケイシーが受け取る。
ガクンと腕が伸び、
「重いっ!!」と、声が裏返る。
慌てて抱え込むように持ち直す。相当入っているっぽい。
「手切れ金だそうです」
「やっぱり煙たがられてるよね」
「お礼や褒美と言えば、きっとユウナギ殿は受け取りを拒否されるだろうから、そう言えと」
「なんだよそれ、断りづらいだろ」
完全に読まれてる。しかも対策まで打ってくるあたり、あの宰相、性格が悪いというか仕事ができるというか。
「その袋が空になるころ、またいらしてください。“わたくしは”歓迎いたしますので」
“わたくしは”ね。微妙に線を引いてくるあたり、こいつも大概だ。
「二度と来るか」と、鼻で笑って返す。
ケイシーは、よいしょと小さく声を漏らしながらサンクチュアリの引き出しへ袋を流し込む。
「じゃあな」
「お達者で」
アランが軽く手を振る。
別れの言葉にしてはあっさりしてるが、こいつらしい距離感だ。
「サリー、鳥居を試してみようか」
「おけまる。いでよ派手なオブジェよ!」
次の瞬間、石畳が“盛り上がる”でも“割れる”でもなく、まるで最初からそこに存在していたものが姿を現すように、鳥居が生えてくる。
根を張るように見えて、実際には石畳を傷つけていない。
下端は、確かに石畳に触れているのに、跡がない。
理屈をどうこう考えるのも無駄だと思えるほどの存在感。
石造りの鼠色だ。
目立つ赤じゃなくて、ちょっとホッとする。
柱の間は、ちょうどサンクチュアリが通過できるくらいの幅。
「これは!?」
アランの声が、はっきりと驚きに変わる。
見開いた目が揺れている。
「秘密だ」
「さすがは異世界人」
納得したような、してないような声。
俺はケイシーの方を見る。鳥居を見上げ、口が半開き。ちょっと間の抜けた表情が面白い。
「行こうか」と、声をかけると、すぐに視線を戻して、小さく頷いた。
「はい、ユウナギさん」
こうして俺とケイシーは、新天地へ向かうことになった――
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