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第86話 愚王が託したもの

 “鳥居”を使って、とっとと逃げてやる。

 そう決心をした直後。

 王が静かに口を開く。


「ジェラルド。そなたの考えは分かった。国を強くしたいのだな」


 穏やかだ。さっきまでの怒気が嘘みたいに引いている。低く、落ち着いた声が、場にすっと染みる。


「当然。弱き国は滅ぶ。それが世の理だ」

「その通りである。

 余も若き頃、同じことを考えた。

 戦えば勝てる。勝てば国は栄える。そう信じていた。

 だが、国とは、民である。

 戦は民を削る。勝っても削れ、負ければなお削れる」


 王子が鼻で笑い、

「弱い理屈です」と切り捨てる。話を受け取る気が最初からない声音だ。


 王は、また頷く。


「そうだな。余は強くない。だからこそ戦わぬ道を選んだ」

「弱き王など不要」

「そうかもしれぬ。

 だが父として言わせてほしい。

 戦わぬ国もまた、強さである。

 ジェラルドよ、そこのメイドの陳情をどう思った」


 王子の視線が、わずかに動き、ほんの一瞬だけケイシーを見る。


「弱き民など、戦争の役には立ちませぬ。邪魔でしかない」


 ケイシーが小さく息を呑む。その音が、やけに近く感じる。

 周囲の兵士たちがざわつく。抑えていたものが、漏れ出す。


「話は終わりです。父上は誓いを破棄なさらない」

「応」

「ならば――」


 王子が、ゆっくりと、手を、上げる。

 周囲の空気が一瞬で引き締まる。


 その瞬間――


「第二軍の騎士たちよ!」


 王の声が響く。

 震えている。だが、弱々しさとは違う。

 押し殺した感情が、無理やり押し出されているような響きだ。

 王の目に、光が滲んでいるのが見える。

 涙だ。


「そなたたちの任務に甘える愚王を許せ!」


 ――ああ、終わったな。


 王から騎士への謝罪。

 それはつまり、王が負けを認めたということだ。

 クーデターは成功する。


 そう、思った。そのとき――


「第二軍は! 民を守る盾である! 決して王族を守る剣ではないっ!!」


 王子の背後から低い声が唸る。

 反応する間もない。

 次の瞬間――銀の閃き。

 細く、鋭く、一切の迷いがない軌道で。

 刃が、背中から王子の胸へと突き抜ける。


 肉を裂く感触が、遅れて伝わってくるような錯覚。

 王子の体が、びくりと揺れる。


「な……」


 声にならない声。

 顔が歪む。理解が追いついていない顔。


「貴様!」


 振り返ろうとする。

 腕が空を掴む。

 膝が折れる。

 そのまま、ゆっくりと崩れ落ちる。

 地面に落ちる鈍い音が、やけに大きく響く。


 視線が遅れて動く。

 濡れた剣を握る第二軍の騎士は、荒く息をしている。

 その呼吸だけが、静まり返った庭園で生きている。


 誰も動かない。

 動けない。

 さっきまでの喧騒が嘘みたいに消える。

 その静寂の中で、王の声が落ちる。


「その忠節、(かく)と受け取った」


 ……そうか。

 “甘える愚王”、その言葉の意味。


 それは、自分の手で決着をつけられない弱さ。

 民を守れと第二軍に託した弱さ。

 戦わぬ強さを信じた王が、武力で問題を収めることを許した弱さ。


 だが騎士たちは悟ったのだ。

 自らを愚王と罵った王が、それでも自分たちの任務を信じてくれたことを。

 民を守る盾であれと。

 その思いを託されたことを。


 どこまで不器用なんだよ――


ここまで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になると思っていただけたら、ブクマしていただけると励みになります。

全112話 毎日投稿します。

最後まで楽しんでいただけたら幸いです。

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