第84話 国より重い願い
「今ここで陛下を脅しているあなたは、強い国を作る人間じゃなくて。ただの簒奪者だ」
俺の言葉で、庭園の空気が、凍りつく。
クックッと、王子が笑う。
喉の奥で鳴らすような、湿った笑いだ。静かなのに、嫌に耳に残る。
「面白いな異世界人。自分の立場が分かっているのか?」
「もちろん分かっていますよ。
俺は鳥籠の中の駒鳥。震えながら囀るだけの小生意気な鳥です。あなた様の力があれば、私の首などひと捻り」
自分の首に手をかける。ぎり、と締めるふりをして、わざと舌を出す。
「理解しておるではないか」と、勝ち誇ったような顔。
「だが、それは不可能だ」
「なんだと」
「誓いを壊したいのなら好きにすればいい。
だが、そんな手で王座を奪う者を、誰が王と認める?
民を恐怖で縛る?
貴族を剣で黙らせる?」
ケラリと笑う。乾いた音が、自分でも少し浮いていると分かる。
「そんな王に、いったい誰が、忠誠を捧げると思うのです?」
王子の拳がギリリと握られる。革手袋がきしむ音が、やけに大きく聞こえる気がする。
「あなたが欲しいのは“王座”でしょう。
だが王座は、ただの椅子じゃない。
人々の信頼と敬意が形を成したものだ。
奪うことはできる。
だが築けなければ、すぐに崩れる。
それでも剣を振り上げますか?」
王子を見据える。逃がさないように。
沈黙が落ちる。
さっきまでの緊張とは違う。もっと重くて、粘つくような静けさだ。
少なくとも俺の視界に入る連中は動かない。呼吸すら、抑えているように見える。
視線が一点に集まる。
王子の口が開くのを、ただ待っている。
その静寂を、静かな声が破る。
「ジェラルド殿下、ご無礼をお許しください」
場に似つかわしくない、柔らかい声だ。
俺は反射的に振り向く。
――ケイシー?! 嘘だろ?
視界に飛び込んできたのは、幼さの残る少女。
どう見ても、この場に相応しい役者じゃない。
なのに、背筋だけが、異様なほど真っ直ぐに伸びている。
王子を、真正面から見据えている。
「誰だ」
「ユウナギさんの専属メイドです」
一歩も引かず、立ち姿だけ見れば、どこぞの貴族令嬢みたいな堂々さだ。
「殿下は、魔術適性者が増えたことで、気が大きくなっているだけです」
ざわ、と騎士たちの間に波が走る。
王子の眉間に深い皺が寄る。
「歴史の勉強は、少しですがしています。
弓が弩弓に変わったときも同じでした。遠くから矢を放てるようになり、戦は変わると言われました」
小さな手が、胸の前でぎゅっと握られる。
「ですが、その優位は長く続きませんでした。
周辺国も同じ弩弓を持つようになったからです。
魔術も同じです。
誰でも習得可能な技術です。
ですから、すぐに広まります。
十年もすれば、周辺国も同じように使えるようになるでしょう。
そのとき、周辺国すべてを敵にした我が国は、どうなりますか?
そのあと続く数百年を、殿下はどうお考えですか?
私たち国民は……、何を願い、どう生きていけばいいのでしょう……」
ケイシーは、目を閉じ、強く祈る。
そして、震える声で訴える。
「お願いします、魔術適性付与薬を、侵略のために、使わないで」
まただ。胸の奥が、あの時と同じ痛みで軋む。
魔術適性付与薬が戦場に出るかもしれないと気づいたあの瞬間。
吐き気がするほどの恐怖と後悔。それを遮ろうとカーテンの影に逃げ込んだ。
でも、彼女の声が、それを押し流した。
今もそうだ。
震えているのに、泣きそうなのに、それでも王子に向かって願っている。
「使わないで」と。
王のためじゃない。
国のためでもない。
薬を恐れているからでもない。
ケイシーは、俺のために言っている。
あの日、王の前で誓いを求めたとき。
研究を後悔したとき。
戦争の引き金を引いたかもしれないと怯えていたとき。
ずっと隣で見ていたのはケイシーだった。
俺が忘れようとしていた苦しさを、彼女だけは覚えていた。
そこで初めて気づく。
ケイシーの足が、震えている。
小刻みに。今にも崩れそうなくらいに。
怖いに決まってる。相手は王子だ。
周りは武装した騎士だらけ。普通なら、視線を向けられただけで足がすくむ。
それでも、逃げない。
俺なんかのために。
俺が苦しまないように。
ただそれだけのために立っている。
こんな姿を見せられて、どうしてまだ“国のために”なんて言える?
どうして“正しい選択”なんて考えられる?
俺は何を守ろうとしていた?
王との誓いか。
国の未来か。
戦争のない世界か。
……違う。
本当に失いたくなかったものは、最初から目の前にいた。
王が死んでも国は残る。
戦争が起きても世界は続く。
だが。
ケイシーが傷ついたら。
その瞬間、俺の世界は終わる。
ああ、もういい。
国がどうなろうと、知ったことじゃない。
薬が戦争に使われてもいい。
死の商人と呼ばれてもいい。
全部まとめて、俺が背負えば済む話だ。
そんなことよりも、ケイシーが泣くほうが嫌だ。
彼女が苦しむくらいなら、この国が壊れようが、滅びようが構わない。
守りたいのは、ケイシーだけだ。
それが間違いでもいい。愚かでもいい。歪んでいようが関係ない。
だから王子。
お前が何を望もうと、知ったことか。
この願いだけは、絶対に踏みにじらせない!
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