第82話 静寂を踏み潰す足音
「――と言うような議論が、先日行われたそうです」
アランの報告は簡潔なのに、妙にリアリティが濃い。
内容を頭の中でなぞるほど、第一王子ジェラルドという男の輪郭が、嫌な形でくっきりしてくる。
思考の端がじりつく。落ち着いて整理しようとしているのに、どこか急かされるような感覚が消えない。
「ユウナギ殿は早くこの国から出たほうが良いと、わたくしは思います」
「なぜ?」
「ジェラルド殿下は手段を選ばないお方です。もしかすると……危害を加える可能性が」
そこで言葉が止まる。アランはほんのわずかに視線を逸らし、そのまま戻さない。
「初めてブライアーズ陛下に謁見した時、俺は、王制には権力者を止める仕組みがないことが問題だと言ったんだ」
「畏れ多いですね……」と、アランが目を丸くする。
「まあな。けれど陛下は怒らず、俺の理想論を聞いたよ。そのうえで、民に制度を託すのと、自分が後継者を育てることに差異はないと言い切った。だから、その言葉を信じることにする」
「国王陛下がジェラルド殿下をお止めになると、そうお考えなのですね」
「ああ。だから俺は逃げないよ。
魔術適性付与薬を作りました。あとはご自由にどうぞ。
なんて、そんなの許されるわけがない。俺には最後まで見届ける責任があるだろ」
アランはまっすぐこちらを見る。圧のある厳しい目だ。
「そんな責任などありません。断言致します。
戦争では敵の命を奪っても罪に問われることはございません。
なぜなら命令に従っているからです。
責任は命令を下す者。それは団長であり、総長であり、そして国王陛下です。
魔術適性付与薬をどう扱うのか。それは、ユウナギ殿の責任ではなく、国王陛下の責任なのです」
正論だ。しかし、それで済ませていい話じゃない。
アランの視線は揺れない。
けれど、その奥にある必死さが、妙に透けて見える。
俺に責任はないと言いながら、同時に、自分自身にも言い聞かせているのではないか?
傷を舐めあう仲間が欲しい。そうとしか聞こえない。
「理屈では理解しているつもりだ。
でも、胸の奥に残ったこの重さだけは、どうしても消えてくれない。
目を閉じると戦場の光景が浮かぶ。
焼けた大地、崩れた壁、そして名も知らぬ誰かの叫び声。
まだ起きてもいないはずの死が、まるで既に起こったことのように」
ふっと、アランが緩む。張り詰めていた糸が、一本だけ切れたような感覚。
「ユウナギ殿はお優しいですね、異世界人だからでしょうか」
「臆病なだけだよ」
アランはくすりと笑う。
「臆病な人間は、一目散に逃げますよ」
「かもな」
「逃げるなら、私も一緒に連れて行ってくださいね」
横から、軽い声が差し込む。ケイシーがあどけない笑みを浮かべていて、その無防備さに拍子抜けする。
さっきまで胸に刺さっていた棘が、すっと抜ける。完全じゃないが、触れても痛まないくらいには。
「俺と一緒にいると危険な目にあうって、もう分かっただろ」
わざと現実的なことを言う。少しでも距離を取らせるつもりで。
だが、ケイシーは胸を張る。小柄な体なのに、妙に堂々として見えるから不思議だ。
「そんなユウナギさんだから、専属メイドである私がお世話しないと死んじゃいます」
呆れ半分で息を吐く。けれど、口元が少しだけ緩んでいるのを、自分でも止められない。 頼もしい、なんて言葉で片付けるには雑すぎるが、今はそれで十分な気がする。
会話を遮るかのように、石畳を打つ硬い音が近づいてくる。
「フットワーク軽いな、ここの王様は」と、半ば呆れて呟く。
いつものように庭園の中央へ台座が運び込まれる。
手慣れた動きで据えられ、その上に王がどっかりとあぐらをかく。
この光景にも慣れてきた自分が少し嫌になる。
「これはこれは、ブライアーズ陛下。ご機嫌麗しゅう」
軽く頭を下げる。
アランとケイシーが一歩引いて膝を折る気配が、背後に静かに落ちる。
「うむ。面を上げ、楽にせよ」
王の声は明るい。機嫌は良さそうだが……。
「ユウナギと語らうには、実に良い晴れの日である」
「陛下と語らうなど、私はそれほど大した者ではございません」
「ユウナギ、余の人を見る目が曇っていると言いたいのか?」
軽く刺される。声色は柔らかいのに、言葉はしっかり刃を持っている。
「失礼いたしました」
「分かればよい」
王は楽しげに口元を緩め、そのまま言葉を重ねる。
「それにしても、己を卑下するわりに、余を呼びつけるとは。なかなか傲慢な面も持っておるではないか」
笑っている。だが目が笑っていない。
「読めぬ男よ。ユウナギでなければ首を撥ねていたぞ」
軽口の調子で、処刑の話を混ぜてくるあたりが王だな。しかも楽しそうに。
「私が? 陛下をですか? 滅相もない」
「急用があるから庭園に来いと伝えたであろう」
その視線が、わずかにこちらを測る。
「いいえ?」
王の目がキッと鋭くなる。さっきまでの余裕が消え、別人みたいに険しい。
「近衛!」と、低く、よく通る声が庭園に響く。
空気が震えた気がして、思わず背筋が伸びる。
「周囲を警戒せよ! 誰ぞ、ロックウッドを連れて参れ!」
命令が飛ぶたびに、場の温度が一段階ずつ下がっていく。さっきまでの穏やかさが嘘みたいに剥がれ落ち、張り詰めた何かだけが残る。
俺の隣で、アランの気配が揺れる。視線を向けると、顔色がはっきり分かるくらい青い。
「まさか、ジェラルド殿下が……」
かすれた声が、ほとんど空気に溶ける。否定したいのに、できない。そんな響きだ。
胸の奥がざわつく。さっきまでの焦りが、形を持ち始めている。
願うなら外れてほしい。だが、こういう予感は大抵当たる。嫌な方向に限って、やけに精度がいい。
その時だった。
石畳を叩く音が響く。
一つではない。重い鉄靴が、何十と連なっている。
庭園へ向かってくる。
まるで、この場所そのものを包囲するみたいに。
乾いた音が近づくたび、胸の奥が嫌な形に締めつけられていく。
逃げ場が、少しずつ塞がっていく感覚。
王が動いたからではない。ジェラルドが動いた。
そう理解した瞬間、背筋を冷たいものが這い上がる。
そして次の瞬間。
庭園の静寂は、鉄の足音に踏み潰された。
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