第70話 仮説という名の希望
「痛っ! イタタタ!」
テーブルに顔を埋め、ダニエルが苦しむ。
「どうしました?」
ケイシーが心配そうに声をかける。
ダニエルは顔を上げると、フォークをこちらへ向ける。
その先端には、菜っ葉と、拍子木切りにされた白い野菜が見える。
「どうって……なんだこれ? 口の中が切れたように痛い!」
「切り忘れた皮がはいってたのかも、ごめんなさい」
「誰しも失敗するものだ、気にするな」
あっさり許しつつ、ダニエルはその野菜をまじまじと確認する。指でつまんで裏返し、表面をなぞるが、それらしい“皮”は見当たらないようだ。
あたりまえだ。料理に関しては妥協を許さないケイシーにミスなんてありえない。ダニエルの口に土埃が入っていたんじゃないのか。
俺が眺めている間に、ダニエルは再びそれを口に放り込む。
次の瞬間、
「イタタタタ! 違う! 皮じゃない、この野菜が痛いんだ!」
肩をびくつかせて、今度ははっきりと身を引く。さっきより反応が大きい。
「そんなはずは……」
ケイシーは同じ野菜を一つフォークで刺し、ためらいなく口に入れる。ポリ、と軽い音がして、普通に噛んでいる。
「美味しいですよ?」
何事もない顔だ。痛がる様子は一切ない。
二人のやり取りを見ながら、頭の中で引っかかるものがある。
「ケイシー、その野菜、里に来て初めて食べたのか?」
「いいえ、どこでも食べているラフィド芋ですよ」
「ラフィド芋なら俺も食べるが、こんな食感じゃないぞ」
ダニエルが不満げに言いながら、フォークをテーブルに置く。
「そうか……、もしかしたら、その野菜が原因かもしれないと思ったんだけどな。違うのか――」
そこまで言いかけたところで、
「あっ!」と、ケイシーが小さく声を上げる。何かに気づいたような顔だ。
「調理方法かもしれません! 王国ではスープや煮物に入れて必ず火を通します。生で食べるのは耳長族の里だけかも。私もサラダでは初めて食べました」
「それだ!」
その一言で、頭の中のピースがぴたりと嵌まる。
「これは仮説だが。ラフィド芋は普段から食べられている食材で、珍しい物じゃない」
ケイシーが同意するように頷く。
「しかし、エルフ以外は加熱処理しないと痛くて食べられない。もしかしたら、エルフに魔術適性者が多いのではなく、エルフしか生で食べられないせいで、結果として種族差が生まれたんじゃないのか……」
「どうして火を通すとだめなんでしょう?」と、ケイシーが首をかしげる。
「食材には栄養素というものがあるんだ。その中には、熱に弱い性質のものもある。だから、スープにすると効果が消えてしまうのかもしれない」
「ユウナギさん、さすがです!」
何かを掴んだ。その思いが、無意識に拳に力を入れる。
「調べる価値はある。ダニエル、ケイシー。今日からラフィド芋を生で食べてくれ」
「はい」
「断る!」
即答だ。
ダニエルの眉間に深い皺が刻まれ、本気で嫌がっている表情。
「ユウナギ殿、食べてみりゃわかる。これは痛くて食えない。きっと耳長族だけが食えるんだ」
目の前のラフィド芋をフォークで刺す。さっきまで他人事だったそれを、自分の口へ運ぶのは正直ためらうが、検証しないわけにもいかない。
少しだけ躊躇してから、そのまま口に入れる。
「痛っ!!」
反射的に顔が歪む。舌の表面に細かい針でも刺さったような感覚が走り、じわじわと広がっていく。
「マジか……想像以上だな」
チクチクする。いや、それだけじゃない。口の中全体がざらつくような、不快な刺激がまとわりついて、飲み込むどころじゃない。
思わず視線を落とす。フォークの先に残った白い断面が、さっきまでと違って危険物にしか見えない。
たしか、こんにゃく芋も生では食べられないと聞いたことがある。
あれも確か、刺激だか毒だかが原因だったはずだ。なら、これも同種の性質を持っている可能性はある。
「だろ? だから言ったんだ。いくらユウナギ殿の頼みでも、これは拒否させてもらう」
ダニエルが腕を組み、顔を背ける。その態度は子どもじみているが、さっきの痛みを思い出せば無理もない。
ケイシーがぽんと手を叩き、
「生で食べられる方法を探しましょう。きっと何かあります」と、迷いのない声で、まっすぐこちらを見る。
「そうだな。きっと方法は、ある」
俺は声を潜め、
「サリー、粘性の高い食材を検索」
「りょ!」
軽い返事のあと、すぐに候補をピックアップしてくれる。
「粘りのある食材で包めば刺激が減るかもしれない。オクラ、納豆、長芋、里芋、なめこ、蜂蜜、思いつくのはこのあたりだ」
「聞いたことのない物もありますね」
「似たような食材でいい」
「探してきます!」
ケイシーは即座に動く。籠を掴み、そのままくるりと踵を返す。小柄な背中が、軽い足取りで広場を横切っていく。
残されたのは俺とダニエルだけだ。さっきまでの賑やかさが嘘みたいに引いて、広場には妙な静けさが落ちている。
互いに口をきかないまま、時間だけがじわじわと過ぎていく。
俺は音を立てずスープを飲む。ケイシーの作ってくれた料理を残すなんてもったいない。
やがて、その沈黙に耐えきれなくなったのか、
「もしかして……、試食するの、俺か?」と、ダニエルがぼそりと呟く。
視線は逸らしたままだが、声にははっきりとした警戒が混じっている。
俺は一度、ゆっくりと息を吸い込む。曖昧に濁す意味はない。ここははっきり言うべきだ。
「ああ、そうだ。ダニエルに食べてもらうつもりだ。
ただ、聞いてくれ。
これは勢いで言ってるわけじゃない。
俺たち、ここに来てから、もうだいぶ長く居座ってる。
手掛かりになりそうなものは片っ端から調べた。
文献も、生活習慣も、井戸の水も、全部だ。
けれど、何一つとして“決定的な要因”は見つからなかった。
このラフィド芋だけが、初めて“可能性があるかもしれない”一筋の光なんだ。
もしこれがダメなら、また振り出しに戻る。
だからこそ、今ここで試す必要がある。
“誰が”じゃない“誰なら意味があるか”だ。
俺は異世界人。
体の作りは“そちら側”とは違う。
正確な情報にならない。
ダニエルは、この世界の人間で、魔術の適性がない。
鍛え上げられた体格もあるし、根性もある。
痛いのは嫌だろうが、耐えられないほどじゃないはずだ。
ダニエルの献身で“この世界の人間に作用するかどうか”が分かる。
それが分かれば、次の段階に進める。
俺は鳥籠の中の百舌鳥。食材を託すことしかできないんだ。
誰かに頼らないと生きていけない俺を、情けないと笑ってくれ。
情に訴えるつもりはない。
けれど、消去法で、ダニエルにしか頼れないんだ。
考えて欲しい。
俺には、それしか言えない」
俺の考えは伝えた。
あとは、ダニエルの覚悟にかけるしかない――
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