第55話 邪魔な結界
庭園の花たちが、暖かな陽光を浴び、気持ちが良さそうに咲いている。そんな風景を、サンクチュアリの上にあぐらをかいて眺めている。
横に視線を流すと、ケイシーがいる。
結界にぴたりと沿う形で椅子が置かれていて、その上にちょこんと腰掛けている。
テーブルにはティーセット。白い陶器に細い金の縁取りが入っていて、いかにも貴族らしい趣味だ。
カップからゆらりと湯気が立ちのぼる。
ケイシーがそれを持ち上げ、ひとくち飲み、ほっと息をこぼす。
その横顔を近くで見ると、ふと思い出す。ケイシーは、化粧道具を一つも持ってないと言う。
化粧水も、リップも、日焼け止めも。
それなのに、この肌の綺麗さってどういうことだ。
世の女性が見たら、ため息をつくだろう。努力じゃ届かない、そんな美しさ。
張りのある頬をつまんでみたい。そんな思いが湧き上がる。けれど、それは叶わない願いだ。無意識に指に力が入る。
ケイシーがこちらを向くと視線が合う。見られていたのに嫌な顔ひとつせず、やわらかく微笑む。
「戸籍、あの三人に任せきりで良いのかな?」
「丸投げじゃないよ、適材適所だから」
ケイシーが首をひねると、長い髪がさらりと肩に落ちる。
「ダニエルさんは力技で押し切りそうですし……、ジェイミーさんは嘘を見抜きそうです。アランさんは……書くのが速そうですね」
「最後だけ雑だな」
「だって印象それくらいですし」
「そうだね。有能そうではあるけど」
彼女の眉が少し寄る。ティーカップの縁を指でなぞる仕草が、無意識っぽいのに目につく。
「……でも、ユウナギさんを見る目が怖いです。眼鏡をクイックイッって動かすのも気になりますし」
「ああ、あれ。神経質っぽいよね」
「ユウナギさんが手伝えば、もっと早く終わる気もします」
「どうかな。注目を集めて仕事にならないと思うよ」
「見られてますよね、今も……」
「鬱陶しいよな」
実際、視線は今も刺さっている。
庭園の端に立つ騎士や侍女たちが、ちらちらとこちらをうかがっている。露骨ではないが、隠す気もあまりない。
「不思議と声までは、かけられませんね」
「王の食客って肩書きが見えない壁になってるんだろうな」
「え? また見えない壁が増えたんですか。ますます近寄りがたい人に……」
ケイシーは大げさに目を丸くするが、声の調子は軽い。冗談半分、いや七割くらいは遊んでいるのだろう。
「ケイシーは壁があっても気にしないだろ」
「それもそうですね。ユウナギさんはユウナギさんですし」
あっさり言い切られて、肩の力が抜ける。妙な肩書きも、よくわからない距離感も、その一言でどうでもよくなるから不思議だ。
口元が、ほんの少しだけ緩む。
ここに籍を置くかは要検討。あくまで相手の出方次第だ。調査を終えた後、待遇が良ければ食客の立場に甘えよう。
まあ、調査に進展がなければ愛想をつかされて追い出されるだろうけど。
「そういえば、お城の人から、嫌がらせとかされてない?」
最初の数日だけ、宮廷料理が運ばれてきた。けれど今はもうない。代わりに彼女が用意してくれているから困ってはいない。
しかし、裏で何かあったんじゃないか。そんな考えが、頭の隅に引っかかっている。
「とても良くしてくれます。宮廷料理のレシピも教えてもらいました」
ぱっと顔が明るくなる。抑えきれない、というより抑える気がない笑みだ。言葉も弾んでいて、少なくとも今この瞬間に無理をしている様子は見えない。
――杞憂だったか?
気を遣って言わない、なんてこともあり得る話だ。安心するにはまだ材料が足りない。
ケイシーが結界に指を当て、軽く二度叩くと、乾いた小さな音が返ってくる。
「これさえなければ、ベッドメイキングとか、お洗濯とか、もっとユウナギさんのお世話ができるのに、残念です」
「給金が払えないんだ。そんなことお願いできないよ」
「知ってます? お屋敷を出てから、お金使ってないんですよ」
口元がわずかに上がる。その言い方が、ちょっと誇らしげで、妙に子どもっぽい。
「そうなの?」
「むしろ教会から報酬を頂いたので増えてるんです。それに、ここの調理室すごいんですよ!」
ぱっと両手を広げる。身振りが大きくなって、声が一気に加速する。
「高級食材が使いたい放題ですし、宮廷料理の指導まで受けられるんです! この待遇でお給金が欲しいなんて、舌が抜けても言えないです」
そこに含まれているのは遠慮じゃない。純粋な高揚だ。演技ならもっと隙があるはずだけど、これはそういう種類のものじゃない。これは大丈夫そうだ。
「お、おう、良かったね……って言うべきなのかな」
「はい! 今、とっても幸せですよ」
「なら良かった」
もし待遇が悪かったとして、俺は何ができる。
王の食客なんて肩書き、どこまで効力があるのかもわからない。
口を出す権利があるのか、出したところで通るのか、そのあたりが全部ふわっとしている。
宰相や騎士団総長の期待に応えれば、影響力は手に入るかもしれない。
しかし雲をつかむような問題が易々と達成できるとは思えない。
そんな俺に心配なんてされても、何もできないのだから黙っていろと言われかねない。
「ユウナギさん、考え事ですか?」
「ん? ああ、何でもない。暇だなって思っただけだよ」
とっさにごまかす。考えていた中身をそのまま出すには、少し重い。
「私はユウナギさんとおしゃべりができて楽しいですよ」
裏も含みもない、まっすぐな笑顔。
それを見ていると、さっきまで頭の中で渦巻いていた悩みが、どうでもよくなっていく気がする。
触り心地の良さそうな彼女の頭を撫でたい。その思いを遮るのはこの結界だ。
「ケイシー」
「はい」
「実験につきあってくれないか」
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