第45話 理想の統治
鎧の擦れる音が、規則正しく近づいてくる。視線を向けると、騎士が四人、木製の台座を担いで現れる。
四角い。高さは腰ほど。学校の朝礼で校長が乗る、あの簡素な壇をそのまま持ってきたような代物だ。飾り気はないし、威厳もない。言ってしまえば、ちょっと大きめの木箱にしか見えない。
なのに、この庭園に置かれると話が変わる。整えられた芝や、寸分違わず並ぶ木々に囲まれるせいか、その無骨さすら“意図されたもの”に見えてくるから不思議だ。
騎士たちは無言のまま、サンクチュアリの正面に台座を据える。だが、それで終わらない。押して、引いて、ほんのわずかに回す。位置を測るように何度も微調整を繰り返す。
――そこまでやる?
指一本分のずれも許さない、そんな執念が伝わってきて、軽く引く。
やがて、別の騎士が現れる。腕に抱えているのは、深紅の絨毯だ。厚みがあり、光を吸うような質感をしている。
それを台座の上に広げる。音もなく落ちる布を、両手で丁寧に整え、縁の垂れ方を揃えながら角を引く。指先で皺を伸ばす仕草がやけに繊細だ。
準備が終わると、騎士たちは一斉に散開する。四方へ、淀みなく。
すると、空気が変わる。さっきまでの“整っている”だけの庭園に、見えない線が引かれたみたいに、ぴんと張り詰める。
その中心へ、一人の男が歩いてくる。
護衛に囲まれているのに、目が行くのは自然とその人物だけだ。金糸の織り込まれた外套が、陽光を受けて控えめにきらめく。だが、歩みは静かで、これ見よがしなところがない。威圧しているわけでも、誇示しているわけでもないのに、そこにいるだけで周囲の景色が一段引く。
気づけば、背筋が伸びている。
――この人が王か。
男は台座の前で止まる。ほんの一拍、間を置いてから、そのまま自然な動きで上がる。
そして、絨毯の中央に腰を下ろし、ゆったりとあぐらをかく。
玉座でも椅子でもない。ただの台座だ。背もたれも肘掛けもないのに、その姿勢には妙な余裕があって、逆に“これで足りている”と言われている気分になる。
歩幅で言えば五歩の距離。かなり近い。それに、台座の高さはサンクチュアリのマットレスと合わせているのだろう。目線の高さが揃う。
次の瞬間。腕が動く。
爪甲礼。拳を地に置き、額を伏せる、俺が適当に広めた礼儀作法。
それを王が、俺に向けてやっている。
「異世界人の礼儀作法と聞き及んでおる。差異はないか」
「はい。お見事でございます」
――なにが?!
反射で返してから、頭の中でツッコミが爆発する。
いや、知らない。そんな正式な場での正解なんて持ってないし。そもそもこれ、俺がそれっぽくでっち上げたやつだ。
ふと横を見る。
気づけばダニエルがやっている。ジェイミーもやっている。ついでにケイシーまで、綺麗に同じ姿勢で揃っている。
――やめろ、広げるな。
自分の適当が、国家レベルで採用されている気がして、胃のあたりがじわっと重くなる。
「くっくっく……愉快よのう」
低く、喉の奥で転がすような笑いが落ちてくる。軽い調子に聞こえるのに、周囲の空気は一切緩まない。
「余はジャレッド・オル・ブライアーズである。遠路はるばる、よくぞ参った」
名乗りが、やけにすんなり耳に入る。肩書きの重さを押し付けてこないのに、逆らえない感じだけはしっかりある。
「ブライアーズ陛下、ありがたきお言葉、感無量でございます」
言いながら、自分で不安になる。貴族の礼儀なんて、研修どころか予習すらしていない。そもそも王と謁見する予定なんて、人生設計のどこにも書いてなかったはずだ。
「ユウナギよ、そのほう、王が不要だと説いたそうだな。詳細に説明してみせよ」
ざわ、と周囲が揺れる。鎧がわずかに鳴る音が重なり、すぐにぴたりと止む。
腹の奥がきゅっと締まるので、呼吸を一度止め、ゆっくり吐く。喉の乾きは、まあ無視するしかない。
「私が申し上げたのは、“王という人間”に国家の運命を委ねる構造は危うい、ということです」
「危うい、か」
「善王であれば国は栄えます。
しかし愚王であれば滅ぶ。
国家の命運が、たった一人の資質に左右される。
それは仕組みとして脆いのです」
視界の端で何人かの騎士が顔をしかめるのが見える。
そりゃそうだろうな、という内容だ。
「では問おう。貴様の世界では、どうしている」
「共和制と呼ばれる制度があります。
王を置かず、民が代表を選び、合議で政治を行う仕組みです」
「ほう。王なき国か。それは理想郷であろうな?」
首を横に振り、
「いいえ。うまくいっていません。
民意は分断され、短期の人気取りが横行する。
責任の所在は曖昧になり、決断は遅れ、派閥が国を裂く。
王の暴走は防げますが、その代わりに停滞が生まれます」
「つまり、どちらも不完全だと申すか」
「はい」
「ならば、そのほうの理想は何だ。空論でよい。申してみよ」
「あくまで理想論です」
「構わぬ」
深く息を吸う。肺が広がる感覚だけを頼りに、言葉を組み立てる。
「私が良いと思うのは、権力を持つ者が“存在し続けない制度”です。
王でも、議会でもない。
権力は一時的に“預かる”ものとする。
任期は短く、再任は長く禁じる。
退いた者の生活は保証し、地位に固執する理由を減らす」
「ふむ……」
「さらに重要な決定は、多数決ではなく“納得の深さ”で測ります」
「納得の深さ?」
「賛否だけではなく、不安、理解度、長期的影響への懸念を可視化する。社会の歪みが大きければ決定は保留される。強行はしない」
王はしばらく黙り込む。
視線は俺に向けられたままなのに、どこか別の場所で考えているようで、その間の静けさがやけに長く感じる。
「……理想的だ。しかし甘い」
「はい、大前提があります」
「申せ」
「民の倫理が高いことです。
欲に溺れず、恐怖に煽られず、他者を思いやれる。そんな民でなければ、この制度は機能しません」
「つまり制度ではなく、人を問うているのだな」
「はい。どんな制度も、人が未熟なら腐ります。
問題は権力者の存在ではありません。権力者を止める仕組みがないことです」
言い終えたところで、庭園の風がすっと抜ける。王のマントがわずかに揺れ、その動きだけがやけに目に残る。
王は、しばらく俺を見つめている。
やがて、小さく笑う。
「面白い。余を不要と断じながら、余を前提に語っておる」
「……どういう意味ですか?」
自分でも少し間の抜けた返しだと思うが、聞かずに流せるほど余裕はない。
「そなたの理想は倫理の高い民がなければ実現しない。であれば、その民は誰が育てる」
「……っ」
返せない。いや、考えれば何か出てくるのかもしれないが、この一瞬では組み立てが追いつかない。
「王が民を育てると言うのであれば、余が後継者を育てることと差異はない。ゆえに王政は進化できる、ということだ」
ああ、なるほど。
この人、自分の正しさを証明したいわけじゃない。
前に進める形を探している。
思うところはある。反論もできる気はする。けど、それをぶつける意味が薄い。
論破する場じゃない。
俺ごときの言葉で王が揺れるほうが、たぶん危うい。
王はゆっくりと立ち上がる。動作に無駄がなくて、さっきまで座っていたのが自然に見えていたのと同じくらい、立つのも自然だ。
「理想は遠い。だが語らねば、近づかぬ」
王は満ち足りた笑みを浮かべる。満足、というよりは、何かを確かめた後の顔に近い。
「有意義な時間であった。ユウナギ。そなたを食客として歓迎しよう」
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