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第32話 森の案内人

 森に入るのは、これで二回目だ。

 サンクチュアリは、段差に引っかかる気配も、張り出した根に乗り上げる様子もない。ヌルリ、と言うしかない滑らかさで森の中を抜けていく。

 サンクチュアリを避けるように木々が曲がるのを見て皆が驚きの声を上げる。その反応に口元が勝手に緩む。……まあ、悪い気はしない。




 森の中をゆっくりと進む。

 視線を上げて、二階を見上げる。

 スピスピ、と軽い音が一定の間隔で繰り返されている。それを聞いていると、こっちまで眠気を引きずられそうになる。


 ――夜の見張りに備えて、ってやつか。


 前方では、ダニエルとマシューが肩を並べて歩く。

 俺のすぐ後ろにジェイミー。隊列はぎゅっと詰まっている。

 森は未踏と言ってよく、踏み固められた道なんてない。足元には落ち葉と細い枝が散らばり、時折、低い草が彼らの膝に触れている。

 それでも三人の足取りは淀みがない。枝を踏む音も最小限で、慣れてるなと素直に思う。


「皆さん、まだ気を張らなくていいっすよ」


 マシューが振り返る。歩幅はそのまま、首だけでこちらを見る器用な動きだ。


「この辺りは危険な獣も少ないっす。でも蛇と虫はどこにでもいるんで、って、騎士さんには無粋っすよね」


 ダニエルは歩きながら首を振る。


「いや、毒持ちは苦手でな。どんな種類がいるか教えてもらえると助かる」


 解毒薬は買ってある。とはいえ、使わないに越したことはない。


「枯草色のホーンドブッシュバイパーが見落としやすいっすね。グリーンテイルバイパーは鮮やかな緑色が目立つんで、すぐ発見できるっす」


 “バイパー”その単語を聞いた瞬間、頭の中に映像が浮かぶ。映画で見た巨大な蛇。太い胴が地面に沈み込むようにとぐろを巻いて、じっとこちらを見ている。人間を丸ごと呑み込めるサイズ。逃げ場はない。視線が合った時点で、もう終わりだ。


 ――いや、さすがにそこまでは……ないよな。


「狩人ギルドに同行してもらえると心強いな」

「お世辞はいいっすよ。俺っちが役に立つのは、普段狩りしてる範囲ですから。森の奥地なんて初心者もいいとこっす」

「俺たち第三軍も似たようなものだ。任務は獣討伐だが、相手は森から溢れ出たやつや、町に入り込んだやつばかりだ。森の中で戦うことはほとんどない」


 ダニエルの声は淡々としているが、足取りは変わらない。不安を口にしても、止まる理由にはしないのだろう。


「心細いこと言わないでくださいっすよ」と、マシューが苦笑する。


 そのまま前を向き直り、枝を軽く払って進む背中は、言葉ほど弱気には見えない。


「あの、冒険者とかいないんですか?」と、つい言葉が口から零れる。


 いかにも“それっぽい単語”だなと自分で思う。危険を金に換える職業。ファンタジーの定番だ。


 二人の足がわずかに緩む。そして、ほとんど同時に肩越しに振り返る。


「冒険者……? 聞いたことがないな」


 ダニエルは小さく首をかしげる。視線が少し上に泳ぎ、記憶の引き出しを探っているようだ。


「俺っちも初耳っす」と、マシューはタコみたいに口を尖らせる。

「ダンジョンに潜って獣と戦ったりしないんですか」

迷宮(ダンジョン)? 遺跡のことか?」

「それなら“遺物狩り”っすね。遺跡に隠された宝を探す夢追い人っす。見つけりゃ大金持ち。でも、そのぶん危険も跳ね上がるっす」


 夢追い人、か。聞こえはいいが、要するに命懸けのトレジャーハンターだな。


「遺跡には獣が巣を作り、繁殖することが多い。だから第三軍が討伐に出ることはある。だが、一般人を同行させることはまずないな」


 なるほど。

 獣を殺すのは軍。遺跡に潜るのは命知らず。混ぜる発想自体がないらしい。少なくとも俺の知っている“冒険者”という存在は、この世界にはない。

 遠征が終わったら冒険者ギルドでも探すか。なんて気楽に考えていた。

 職探し、難航しそうだな……。


 そのとき、前を歩いていたマシューの肩が、ふっと止まる。

 同時に片手が上がり、人差し指が口元へ添えられる。

 止まれ、静かに。

 言葉を使わない合図だ。


 さっきまでの軽口が嘘みたいに、空気が一段沈む。

 自然とサンクチュアリのそばへ。

 四人で距離を詰め、小さく輪を作る。


「この先に鹿がいるっす」と、マシューは声を落としたまま、顎をわずかに動かし、

「調査が目的なんで、無視してもいいっす。でも食料調達って意味なら狩るのもアリっすね。どうします?」

「どうして鹿がいると分かるんですか?」


 マシューは自分の鼻先を指で軽く叩くと、

「新しい糞の匂いと、気配っす」


 さらっと言うが、根拠が人間離れしている。狩人、という単語がようやく実感に変わる。


「マシュー殿の武器は弓だ。一撃で仕留められるなら狩ろう。深追いはなしで」と、ジェイミーが声を抑えたまま言う。


「了解っす。じゃあ、ここにいてください、近づくと察知されて逃げられるんで」


 マシューは軽くうなずき、腰のホルダーから弓を抜く。矢筒から矢を引き抜き、ためらいなく弦へとかける。


 そこからは別の生き物みたいな動き。

 枯葉を踏んだはずなのに、音が残らない。

 沈んだ足がそのまま地面に吸い付くように離れ、次の一歩へ繋がる。

 姿勢は低いまま、けれど窮屈さはない。

 むしろ無駄が削ぎ落とされている分、動きがやけに自然だ。


 緑の服が周囲に溶ける。

 木々の影と重なり、輪郭がじわじわと曖昧になっていく。

 気づいたときには、もう遠い。

 人影は木立の隙間に紛れ、小さな影になっている。

 だが、それでも弓を引く動きだけは、かろうじて追える。


 腕が引かれ、止まり――


 張り詰めた空気が止まる。

 次の瞬間。

 森の奥から、喉を潰したような短い悲鳴が返ってくる。


 わずかに遅れて、空気が戻る。

 止まっていた時間が、何事もなかったように流れ出す。

 視線の先で、マシューがこちらへ体を向ける。

 片手を上げ、小さく振る。

 来い、という合図だ。


 俺たちは足音を抑えながら近づく。

 とはいえ、サンクチュアリは相変わらずヌルリと進むだけ。静かにしようという努力すら必要ない。


 マシューが矢を放った位置に到着。しかし彼はいない。

 さらに奥に移動している。ざっと見て、五十メートルは離れている。いや、それ以上かもしれない。木々のせいで距離感が少し狂う。


 ――この距離で当てたのか。


 マシューが立っている場所まで進む。

 木立の間に、鹿が倒れている。立派な角を持つ大きな個体で、体格もかなりのものだと分かる。

 その首に、矢が一本。深く、まっすぐに突き刺さっている。


「いつもなら外さないよう後ろ足を狙い、遠くに逃げられないようにしてから仕留めるんす。でも今回は“一射”って縛りなんで、頭を狙ったっす」


 さらっと言うが、やってることは神技に近い。達人の感性は理解できないな。


「見事な腕だ。マシュー殿を頼りにして問題ないと確信したぞ」


 ダニエルが一歩踏み出す。そのまま腕を伸ばし、マシューの肩へ手を。

 バンッ、と重い音が鳴る。叩いた、というより殴ったに近い。

 衝撃でマシューの体が一瞬だけ沈み、膝がわずかに折れかける。


「ぐっ……あざっす……」


 口元を引きつらせたまま、なんとか笑みを作っている。

 見ているこっちまで肩が痛くなる威力。あれを“褒め”として処理するのはなかなかの胆力だ。

 それにしても、距離だ。少なく見積もっても五十メートルはあった。

 あの距離を一発で仕留める。偶然で片付けるには、出来すぎている。純粋な技量か。それとも、この世界特有の“補正”でもあるのか。


「スキルとか、ステータスとか、パラメータって分かりますか?」


 マシューが肩をさすりながら振り返る。さっきの一撃の余韻がまだ残っているのか、動きが少しぎこちない。


「おっ? 異世界人がまた不思議なこと言い始めたっす」


 目が輝く。完全に“面白い玩具を見つけた顔”だ。


「どれも初めて聞く言葉だわ、教えてくれないかしら」


 ジェイミーは腰に手を当て、じっとこちらを見る。興味はあるが、鵜呑みにはしない。そんな温度の視線だ。好奇心と疑念が混ざっている。


 頭の中で言葉を組み替える。概念だけを抜き出して、この世界の言葉に寄せる。


「例えば、遠くの獲物を射る能力を神から授かる。それがスキルです」

「えぇっ……」


 マシューが露骨に顔をしかめる。納得ではなく、不服の声だ。


「力の強さや素早さ、そういう能力の大きさを表したものがパラメータ。

 そして、自分がどんなスキルを持っているか、どれくらいの能力があるかを確認する仕組みをステータスと呼びます」

「騎士団の入団試験みたいなものかしら。走る速さとか持久力とか、投石とかを比べるけど」

「そうです。それを数値にするんです。そうすれば誰がどれくらい強いのか、簡単に比較できます」

「俺っちの弓は訓練の賜物っすよ。神様なんて信じてないし」と、マシューは肩をすくめ、そっぽを向く。

 

 努力の結果を他人に与えられたもの、と説明したのが気に入らないのだろう。

 そう、それこそが、普通の人の判断のはずだ――


 ダニエルが腕を組み、わずかに視線を落とし、

「数値化、か……。騎士団に戻ったら提案してみるのも面白いかもしれんな」

「そうね。悪くない考えだわ」


 その言葉を聞いた瞬間――


「待ってください、数値化が必ず良い結果を生むとは限りません」


 自分でも意図しないまま、口が先に動く。止めようとする間もなく、言葉が押し出される。


「明確な順位付けにより格差が生まれます。

 僅かな差に一喜一憂し、数値の高い者は自惚れ高圧的な態度をとるようになる。

 数値の低いものは自分を卑下し他者を妬むようになる。


 人間性や人格でなく、数値によって他人を評価するようになる。

 やがて人は、相手の言葉の重みや行動の真意を見ようとせず、表示された桁数だけでその価値を測るようになります。


 笑顔の裏にある努力も。

 沈黙の中にある思慮も。

 数値に現れないという理由だけで切り捨てられていく。

 評価は簡便になりますが、理解は浅くなるのです。


 さらに恐ろしいのは、他者だけでなく自分自身までも数値で裁くようになることです。

 昨日より上がったか、誰より優れているか。

 そればかりを気にして、本来目指していたはずの理想や信念を見失ってしまう。

 数字は指標であって目的ではなかったはずなのに。

 いつのまにか人は数字に従属し、その増減に心を支配されるようになる。


 もちろん、数値は便利です。

 曖昧さを減らし、公平さを担保する助けにもなる。


 しかしそれは! 人間の全てを代弁できる万能の物差しではありません。

 数値が示せるのは、測ろうとした一面に過ぎないのです。


 だからこそ、私たちはときに立ち止まり、数字の外側にあるものへ目を向けなければならない。

 数値では測れない優しさや誠実さ。

 失敗から立ち上がる強さこそが、人を人たらしめているのだから!」


 そこでようやく、自分の状態に気づく。


 ――何を、こんなに熱くなっているんだ。


 急に現実に引き戻される。


「ユウナギ殿、大丈夫か?」


 ダニエルが心配そうに顔を覗き込む。

 俺は慌てて乾いた笑いを漏らす。


「平気です。ちょっと熱く語ってしまいましたね」


 ――冷静になれ、ここは異世界だ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になると思っていただけたら、ブクマしていただけると励みになります。

全112話 毎日投稿します。

最後まで楽しんでいただけたら幸いです。

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