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第25話 新たな飼い主

 領主の館の玄関は、もう遥か後ろ。

 振り返る気も起きない。

 鼻歌まじりで進むと、石畳の先に外門が見えてくる。

 ここを抜ければ、ようやく“外”だ。

 そんな区切りをぼんやり意識した、そのとき。


「まっ、待ってください!!」


 背中に刺さる声。

 甲高く、けど必死で、空気を裂くように伸びてくる。

 思わず振り返ると、館の玄関口に小さな影が立っている。


 ――ケイシー!


 距離があるはずなのに、妙に鮮明に見える。

 走り出した瞬間から、時間の流れが鈍るような感覚。


 黒いロングスカートがふわりと広がり、踏み込むたびに裾が波打つ。

 その隙間から覗く白い脚が、一歩ごとに細く伸びて、短い白の靴下と磨かれた革靴が光を拾う。

 胸元の白いエプロンが揺れ、腰で結ばれた紐が遅れて跳ねる。

 栗色の髪がほどけるように背に流れ、片手に提げたレザートランクが振り子みたいに振れる。



 やがて、彼女は俺の前まで来た。

 転びそうになりながらも、無理やり踏みとどまる。

 勢いを殺しきれず、わずかに前のめりになった体勢。

 呼吸が荒い。

 整えようとしているのに追いつかない感じだ。

 額に浮いた汗が光を弾き、寄せた眉と結ばれた唇が、そのまま固まっている。


「ユウナギ様、どうか私を連れて行ってください!」

「断る」と、考えるより先に口が動く。

「えっ?!」


 その一音で、表情が崩れる。

 さっきまで張り詰めていたものが、一気に緩んだみたいに。


「お金もない。働くこともできない。そんな俺に、ついてくる価値なんてないよ」

「いいえ、そんなことありません」


 間を置かず、返ってくる。呼吸はまだ乱れているのに、言葉だけははっきりしている。


「ユウナギ様、前に例え話をしてくださいました。あれは本当の話ですよね? 豊富な知識をわざとご当主様に隠して、自由の身になる機会を待っていたんですよね?」


 ――鋭いな、この子。


「仮に、ケイシーの予想が当たっていたとして、どうして俺についてくるって話になる?」


 彼女は一瞬だけ息を止め、それから胸の前で拳をぎゅっと握る。指先に力が入るのが、距離越しでもわかる。


「私がユウナギ様の知識を、最後の一滴まで絞り尽くします!

 その間、私がユウナギ様の餌をご用意します!

 私がユウナギ様の飼い主になります!」


 ――美少女のペット!!


 ぞくり、と背筋に何かが走る。嫌悪じゃない、むしろ逆だ。


 ワンと吠えればいいのか。

 それともピヨピヨか。

 いや、ここはグヘグヘと笑うところか?

 いや待て、何を考えているんだ俺は。

 とにかく、俺に“美少女の飼い主”が現れた。


 ケイシーはトランクを持ち上げ、ほんの少しだけ前に出す。見せる、というより、突きつけるに近い動きだ。


「メイドは辞めてきました。もう帰る場所はありません。どうか、お側にいさせてください」


 声が、少しだけ震える。けれど視線は逸れない。まっすぐだ。唇を結んだまま、俺の声を待っている。


「ユウナギ様?」と、今度は背後から別の声が飛ぶ。


 今日はやけに名前を呼ばれる日だな。

 振り向くと、街角に白い法衣が立っている。陽を受けてやけに目立つ。

 リンダだ。


「ユウナギ様~~~っ!」


 次の瞬間にはもう動いている。まっすぐ、迷いなく、こちらへ一直線だ。

 そばまで来て、ようやく止まる。


「や、やっとお会いすることができました」


 胸を押さえながら、それでもきちんと姿勢を正そうとするあたり、妙に律儀だ。


「ユウナギ様、この人は?」と、ケイシーが抑えた声で小さく問う。

「森で会った神官」


 短く返すと、リンダはすぐに反応する。胸に手を当て丁寧に頭を下げる。


「私はマクダウェル教の神官、リンダでございます。ユウナギ様には危ないところを助けて頂いた恩がございます。お礼をする約束でしたのに、姿が見えず、心配しておりました」


 ――ああ、そんな話もあったな。


「先日のお披露目会でお姿を拝見し、ようやく再会できました。【異世界人のお披露目】なんておふれでしたから……もうここしかないと思いまして」


 お披露目会に来たのは四日前だ、

「まさか、ずっと待ってたの?」

「はい」


 ――まじか。


 軽く引く。いや、だいぶ引く。

 初日しか顔を見なかった。たぶん門前で出禁をくらっていたのだろう。


「ぜひ教会までいらしてください。領主様のお屋敷ほどの接待はできませんが、できる限りのお礼をさせていただきます」


 ふっと記憶が蘇る。

 森の中。荒い息。掴む手斧の黒さ。

 振り下ろす直前の目。

 跳ねた赤。


 ――コイツ、あのとき二人を殺したじゃないか!


 背中のあたりが、じわりと粟立つ。

 風が吹いたわけでもないのに、妙な寒気だけが残る。

 歓迎。お礼。丁寧な言葉。

 けど、その裏に何もないと断言できる材料は、正直ひとつもない。

 教会。地下牢。口封じ。

 イメージが勝手に湧き上がる。繋がりすぎて、逆に雑だなと自分で思うくらいには、焦っている。


「そんな、お礼してもらうほどのことじゃないよぉ……」


 口に出すと、語尾が微妙に浮く。落ち着かせようとしているのに、むしろ不安定さが強調される感じだ。


「いいえ!」と、さっきまでの柔らかい調子が、一瞬だけ硬くなる。

「あの時、私は……尊厳を蹂躙される寸前でした。ユウナギ様の暖かな励ましのお言葉がなければ……私はもう、この世にいなかったでしょう」


 ――俺はロープで手足を縛れと言った。けど、手斧を振り上げたのは君だからね。


「そ、そんなことないと思うよぉ~、リンダは強いし、きっと自分で立ち直ったはずさぁ~」

「お願いです。どうか、お礼をさせてください」


 そう言って、深く頭を下げる。そして、その姿勢で止まる。こっちが何か言うまで、このまま固定されるタイプだ。


「ユウナギ様」と、横からケイシーが、

「お礼を受け取りましょう。そうですね……感謝の気持ちに見合うだけの食材、というのはいかがでしょう」


 柔らかい口調のまま、内容だけがやけに現実的だ。

 リンダがぴくりと反応し、ゆっくりと顔を上げる。


「ユウナギ様、この方は?」


 ケイシーは一歩前に出ると、

「私はユウナギ様の専属メイドでございます」


 ――さらっと嘘をついた!


「ちょうどお昼のご用意を考えていたところでしたので、あなたのご厚意は都合が良くて大変助かります」

「都合って……」と、思わず漏れる。声に出た瞬間、しまったと思うが遅い。


 ケイシーがちらりとこちらを見る。ほんの一瞬、視線だけで圧をかけてくる。


「ユウナギ様。食材は助かりますよね? ね!」


 その声音は穏やか。けれど中身は完全に“合わせろ”だ。

 ……まあ、たしかに。食料はいくらあっても困らない。それに、教会に招かれる流れをここで切れるなら、悪くない取引だ。


「ケイシーの言う通りだ。俺に感謝の気持ちがあるなら食材で帳消しにしよう」


 リンダは一度だけ目を伏せる。

 ほんのわずかに思案する間があり、そのあとすぐに顔を上げる。


「ユウナギ様がそれで良いと仰るなら、私は構いません」と、納得はしていない様子。けれど拒む気配もない。

「それでは……教会の横に広場がございます。そこでお待ちになっていただけますか?」

「広場?」

「はい。食材を買い集めて参ります」


 教会の“横”。ほんの少しだけ引っかかる。なるべくなら教会には近づきたくない。


「ユウナギ様、場所は私が知っています。行きましょう」

「あ、はい……」と、条件反射で口が答える。


 リンダは小走りで去っていく。白い法衣が角を曲がるまで、あっという間だ。


 残された静けさの中で、ふと横を見る。

 ケイシーが、にこりと笑っている。

 控えめに、でも隠しきれていない。してやったり、という顔だ。

 同行を断ったはずなのに、なぜか案内する流れ……。


 領主の館を出て、自由を手に入れたはずなのに、首元に妙な違和感がある。

 見えない輪っかが、ひとつどころか、もうひとつ増えたような感覚。


 空を見上げる。青い。やたらと広い。

 雲がゆっくり流れているのに、こっちはまったく動いていない気がする。

 飛べそうで、飛べない。

 やっぱり俺は、鳥籠の中の異世界人なのかもしれない。

 小さく息を吐く。胸の奥に溜まった何かが、抜けきらないまま残る。


 ――流されている気がするなぁ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になると思っていただけたら、ブクマしていただけると励みになります。

全112話 毎日投稿します。

最後まで楽しんでいただけたら幸いです。

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