第24話 役立たず
四日間。
たったそれだけで、民衆の熱は引いた。
あれほど押し合い、へし合いしていた人の波は消え、今では壁際に点々と影があるだけだ。足音もまばら、視線も散発的。空間の広さばかりが目立つ。
――まさに閑古鳥が鳴く、だ。
動物園のアイドルである俺にも、昼休憩はある。
重い音を立てて、ダンスホールの扉が閉められる。
外のざわめきが、そこで遮断される。
残るのは、がらんとした空気と、餌の時間。
車輪の軋む音が、床をなぞるように近づいてくる。
キッチンワゴンを押すケイシー。
一定の歩幅。揺れを最小限に抑えるように、手首と腕で細かく制御しているのが分かる。
トレーの上には、見慣れた組み合わせ。
固そうなパン。湯気の立つスープ。ここに来て、最初に口にしたメニュー。
つまり、とうとう使用人たちよりも質素な食事にランクダウンだ。
「ユウナギ様、お食事をお持ちしました」
ワゴンが静かに止まる。
その手つきは、いつも通り。ただ、顔が、わずかに伏せられている。
視線を合わせない程度の角度。意図的に隠しているほどではないが、自然にそうなったとも言い難い。
この程度の食事で申し訳ない、とでも思っているんだろうな。別に君のせいじゃないのに。ほんと、優しい子だ。
そう思った、直後。
ダンスホールの入口が開く。
ノックもなしに、いきなり。
強い足音が響く。ここが自分の場所だと疑っていない歩き方。
久しく見ていないせいで、一瞬、顔の輪郭を思い出すのに時間がかかる。
――ああ、いよいよ領主の登場だ。
「役立たずが」と、開口一番それだ。
俺は姿勢を崩さない。あぐらのまま、上体だけをわずかに前へ倒す。
「お久しぶりです、グリーニング卿」
声量は抑えめに。あくまで礼儀としての角度。それ以上でも、それ以下でもない。
領主は返答しない。足も止めない。視線すら、こちらに固定しないまま、一直線に歩いてくる。
やがてワゴンの横で、止まる。距離にして、腕一本分もない。
ケイシーが、わずかに肩を強張らせるのが視界の端に入る。頭を下げ顔は上げない。
領主の手が動く。
何の躊躇もなく、スープ皿を持ち上げる。
そして、傾けた。
スープが縁を越え、そのまま床へ落ちる。
びちゃり、と。濁った水音が短く鳴る。
石床の隙間に沿って、ゆっくりと薄く伸びていく。湯気が床でほどける。
「おまえに食わせる餌は、もうない」
吐き捨てるような声だ。取り繕いも含みもない。むき出しの不機嫌。
「な、なぜですかっ?!」
反射的に顔を上げかけて、途中で止める。慌てた“形”だけを作り、視線はわずかに泳がせる。
「言わねばわからぬのか!」
怒声が跳ねる。広いダンスホールの壁に当たり、遅れて戻ってくる。
「異世界人だと言うから期待してみれば、たいした知識も持ち合わせておらぬ! 特別な力があるわけでもない! 客の前ではただ座っておるだけ!」
言葉の一つ一つが、床に叩きつけられるみたいに重い。突き出された指先が、一直線にこちらを指す。
「そのおまえに! いったい、どのような価値があるというのだ。ゴミめ!!」
――来たっ!
ほんの数拍、沈黙を置いてから、ゆっくりと頭を下げ、
「返す言葉もございません」と、喉の奥で声を潰すように、細く、弱く。
「私は平民です。特別な知識もなく、取り柄もございません。今までグリーニング卿の恩情にすがって生きて参りました。もし、今、ここで、見放されれば、私は死ぬより他ありません。どうか、どうかお慈悲を」
言い終えても、頭は上げない。
数拍。その静けさを破ったのは、短い呼気。鼻で笑う音。
「結界の外に出られぬお前など、雑用すらできぬではないか。
見た目もただの人間。珍しくもない。
愛玩動物としての需要すらない。
場所だけは取る。
腹立たしいにも程があるわ!」
「そ、それでは……ここに置いて頂くことは、叶わない、と?」
「出て行くがいい! 二度とその顔を、わしに見せるな!!」
頭は下げたまま。口元だけが緩む。
――計画通り!
喉の奥で笑いが弾けそうになるのを、ぎりぎりで押し留める。
“役立たず”
その一言を、あの男の口から引き出す。
そのために意図的に“無価値”を積み上げてきた。
苛立ちを飲み込み、反応を削り、余計なことは一切しない。
見せるものを削り、期待を裏切り、評価を落とす。
その積み重ねが、今ここで形になった。
これで終わりだ。俺はもう領主の所有物じゃない。捕らえられる理由は消えた。
それに、貴族にも、町の連中にも、“異世界人”という看板の中身はもう行き渡っている。
角も牙もない。
魔法も使えない。
特別な知識もない。
残ったのは、ただの人間という評価。
町を歩いても、もう騒ぎにはならない。誰が見ても同じ結論に行き着くはずだ。
『あれは珍しくもない、どこにでもいる人間だ』と。
喉を震わせる。
最後の一押し。
か細く、縋るように、
「も、もう一度……考え直してくれませんか」
「おい! こいつをつまみ出せ!!」
即座に命令が飛ぶ。
左右の兵士が動く。
重い足音が、こちらへ詰め寄る。
そして手を伸ばす。結界に触れ、押す仕草。だが動かない。
俺にも、押されている感覚は伝わってこない。
兵士たちの必死な表情が滑稽だ。
サンクチュアリの力だろう。俺が動こうとしない限り、この位置からは動かせないようだ。
しかしこのままでは埒が明かない。
「お、押さないで、押さないでください!」
声を上げ、体をほんのわずかに揺らす。押されている“ように”見せるために。
哀れな敗者。
価値のない存在。
そう見えるように肩を落とす。
ダンスホールの出口。そこを抜けた瞬間。空気が、わずかに変わる。
呼び止める声も、伸びる手もない。
もう誰も、俺を止める理由がない。
最後まで役を演じきったまま外へ出る。
――鳥籠を繋ぐ鎖は切れた。俺は、自由だ!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
続きが気になると思っていただけたら、ブクマしていただけると励みになります。
全112話 毎日投稿します。
最後まで楽しんでいただけたら幸いです。




