第23話 コアラ作戦
サンクチュアリの前に、運動会の入場ゲートみたいな、場違いなほど浮ついた構造物が置いてある。横断幕が張られ、そこにはでかでかと文字が書かれている。
【異世界人のお披露目】
と、書いてあるらしい。こちらの文字は読めないので、ケイシーに教えてもらった。その時、思わず「町内会の催し物かよ」と言いそうになったが、ぐっと飲み込んだ。
あの領主、こんどは領民から搾取するつもりらしい。
入場料があるのかは知らない。少なくとも俺の取り分は聞いていない。
どんだけ強欲なんだ。
あいつは俺のことを、金を生むだけの無機質な装置としか見ていない。
人権や尊厳なんて眼中にない。
鳥籠の中の俺に自由な動きなんてない。
鳴くか、黙るか、それだけ。
だから庇護してもらえる存在“飼い主”を求めた。
しかし領主はその器じゃない。
そろそろ見限る頃合いだろう――
ダンスホールには出入口がいくつもある。けれど今開いているのは二つだけ。他は兵士が張り付き塞がれている。
入口に二人。出口にも二人。そして、俺の左右にも一人ずつ。結構厳重な警備だ。
視界の端に鎧の光沢が入る。槍の穂先が、わずかに角度を変えるたび、光を弾く。近すぎず、遠すぎず。何かあれば即座に対処できる距離というやつだ。
「ゆっくり、止まらず、進んでください」と、入口の兵士が声を投げる。
列をなした町の連中が、入口から順に流れ込んでくる。
足音が、一定のリズムで床を叩く。
ざわめきはあるが、騒音にはならない。
動物園の檻の前に似ている。近づきすぎず、けれど目は離さない、あの距離感。
ふと、昔の記憶が浮かぶ。枝にしがみついたまま、ぴくりとも動かないコアラ。
最初は地味だと思った。しかし、ほんの少し動くだけで歓声が沸く。動かない時間が長いほど、その一瞬の価値が跳ね上がる。
そうだ、この状況、応用できる。
俺は視線を正面に固定したまま、わずかに顎を引き、呼吸すら目立たないように整える。
筋肉の無駄な動きを殺し、瞬きの回数すら意識して落とす。意志を持った置物のように。ただ、そこにあるだけ。
しかしこの作戦も、すぐに飽きる。なので暇つぶしを始める。
観客の独り言に、心の中で突っ込みを入れる遊び。これが意外と捗る。
子どもが一人、母親のスカートをぎゅっと掴んでいる。布越しに指の形が浮き出るくらい力が入っている。半身を隠したまま、こちらを覗き込む。
「おかあさん、あの人、動かないよ」
――わざと動かないようにしてるんだよ。コアラ作戦って言ってな。知らないだろうけど。それよりも、お母さん若くて美人だね。未亡人かな。新しいお父さん欲しくない。
次。年寄りが杖に体重を預け、足を引きずるようにして進む。目は細いが、焦点はやけに鋭い。俺の輪郭をなぞるみたいに、ゆっくり上下する。
「呪いを振りまくんじゃないだろうな」
――アンタこそ、呪いが得意そうな顔じゃないか。その皺、一つ一つに呪詛が詰まってそうだぞ。知ってるか、アンタみたいなのを老害って言うんだぞ。
次。若い男が顎に手を当て、品定めする商人みたいな目つき。視線が、頭から足先までを往復する。
「領主様が捕らえたんだ。きっと役に立つに違いない」
――あの男の役になんて立ちたくないがな。むしろ全力で役立たずを演出中だ。見てわからないか?
次。若い娘が二人連れ。ひそひそ声で笑いながら、けれど目だけはしっかりこちらに向いている。視線が布地をなぞる。俺じゃなくて服のほうがメインらしい。
「あの服、見たことない仕立てだわ」
「生地は高そうね」
――君たちの服は地味でダサいな。それどこのブランド? って言っても通じないか。服に気を使う前に、少しはダイエットしたら?
ふと気づく。不機嫌なのが思考に漏れているらしい。ツッコミに棘がある。
次。老婆が背を丸め、指をすり合わせるようにして、何度も何度も繰り返す。
「ありがたや、ありがたや」
――俺、人間なんですけど。神様でも仏様でもないんですけど。ご利益なんてあげられないですけど。
人の流れは途切れない。足音、ざわめき、視線。全部が一定のリズムで回り続ける。
「ユウナギ様!」と、空気を裂くような声。
均一に流れていた視線と足音が、一瞬だけ乱れる。
聞き覚えがある。反射的にそちらへ意識を向けると、列を押し分け一人の女が抜け出した。
「私です、リンダでございます!」
白い法衣が翻る。迷いなく一直線に駆けてくる。
周囲の人間が半歩、二歩と身を引く。
森で助けた、あの神官。
そう思い出した瞬間、
「おい! 止まれ!」と、左右に控えていた兵士が同時に動く。
鎧が鳴り、床を蹴る音が一段強く響く。
間合いを詰めるのは一瞬。
伸びた腕が、リンダの肩を左右から掴む。
勢いはそこで強制的に消される。
「お話を、お話をさせてください!」
前のめりになった体が固定される。
リンダは体をひねり、腕を振り、逃れようとする。
法衣の裾が揺れるたび、足先が床を擦る音が小さく鳴る。
「うるさい! 異世界人との会話は許可されていない!」
「ユウナギ様! ユウナギ様!」
リンダの手が、こちらへ伸びる。
距離は、ほんの数歩分。だがその数歩が埋まることはない。
指先が空を掴む。
何も触れられないまま、空振りする。
そのまま体が後ろへ引かれる。
踵が床に引っかかり、擦れる音が伸びる。
姿勢が崩れ、なおも手だけがこちらに残ろうとする。
「ユウナギ様!」
「黙れ!」
声が遠ざかり、出入り口の奥へ姿が消える。
この世界で最初に会った人。そして、この世界の女性が、かぼちゃぱんつを履いていることを教えてくれた人。
記憶のインパクトとしては、後者のほうが強い。いや、それはどうでもいい。
それはそうと、あの必死さは何だ?
ただ顔を見に来た、という温度ではない。
声の張り、体の使い方、あの無理な踏み込み。
約束でもしていたか……?
記憶を探るが、引っかかりはない。そもそもゆっくり会話した時間自体が短い。
止まっていた列が、何事もなかったかのように動き出す。
視線も、足音も、また均一に整う。
さっきの一幕が、最初から存在しなかったみたいに。
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