第22話 知識の価値
星明かりが優しくケイシーの横顔を照らす。
その表情に、わずかな戸惑いの色が見える。
「あの……お気づきかと思いますが」
「うん?」
「ユウナギ様にお出ししているお食事の質が、落ちていますよね。こちらにいらした頃は、ご当主様と同じものをお出ししていました。でも今は……私たち使用人と同じものに」
最後だけ、声が細くなる。
「タダ飯ぐらいなんだから、文句は言えないよ」
軽く肩をすくめてみせる。
実際は違う。文句は言えないんじゃない、言わないだけだ。従順である、というポーズは、それなりに効く。
「ですが、ユウナギ様は異世界からいらしたお客様です。むげに扱うなんて……」
「どこから来たかなんて些細な違いさ。有益かどうか。それだけだよ、飼い主の判断材料は」
言い切ると、彼女はすぐには返してこない。視線だけが少し泳いで、やがてゆっくりと戻ってくる。
「ご自身のことなのに、お怒りにならないんですね」と、声にどこか戸惑いが混じっている。
心配させないように、軽く微笑む。そして、なるべく軽い声色で、
「例えばの話だ。とんでもない量の知識を俺が持っているとする。それを領主に教えたら、どうなると思う?」
「ご当主様はお喜びになると思います」
「そうだね。きっと歓待されるだろう。もしかすると領民の生活を楽にする知識があるかもしれない」
「それは素晴らしいですね」と、ぱっと顔が明るくなる。
「グリーニング卿は言うだろう。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと!」
わざと大げさに重ねる。
そして、声色を少しだけ芝居がかったものに変え、
「もう全部教えました許してください。『まだ隠してるはずだ全部吐け、教えるまで飯抜きだ』、なんて言われたらさ。鳥籠の中の俺は、何もできないまま餓死するしかない。そんな最悪な展開、考えるだけで夜眠れなくなるよ」
少しブラックな冗談、くらいの温度で話したつもりだ。
けど、外した。
ケイシーの顔から、すっと血の気が引く。
「そんな……当主様は……そんなこと……」
途中で止まる。
唇をきゅっと結んで、それ以上を飲み込む。
否定したい。けど、できない。そんな顔だ。
静かな空間が、やけに広く感じる。
「しそうかな?」と、柔らかく聞く。
ケイシーはすぐに答えない。視線を落としたまま、指先でスカートの布を軽くつまみ、離してを繰り返している。
やがて、小さく息を吸う。
「正直に言うと……わかりません。でも、お食事の質が落ちていることを考えると……ありえるのか、な、と……」
消え入りそうな声。けれど、逃げずに本心を聞かせてくれた。彼女のほうが領主との付き合いは長い。ありえると言うのなら、そうなのだろう。
「ありがとう。ケイシーの評価は参考になる」
ハッとしたように顔が上がる。そして、見開いた目でこちらを見て、
「どうなさるおつもりですか?」と、その声に、少しだけ焦りが混じる。
ああ、これ。俺が何かやらかす前提で見てるな。下手すれば決闘でも挑むと思っている顔だ。
「どうする……か。考えてあるけれど、参考までにケイシーはどうするのが良いと思う?」「私ですか?」
「うん。俺と同じ状況になったとしたら」
首を傾げる。そして、ゆっくりと、言葉を選びながら話す。
「たぶん、ユウナギ様が抱えていらっしゃる知識の重さがピンと来ていないのだと思います。
私の持つ知識なんて価値があると思ったことありません。
欲しい人がいて、渡せる私がいる。
それってとっても嬉しい事です。
誰かの役に立つことは、私にとっては、生きている理由みたいなものです。
“あなたのおかげで助かった”って言われると、世界が少し明るくなったみたいに感じます。
だからメイドになりました」
言い切ったあと、少しだけ照れたように笑う。
「たとえ酷い目にあったとしても、こたえは変わらない?」
「寒い日の雑巾がけって、手が痛くなりますよね?
他人からすれば、その“痛み”は“酷い目”かもしれません。
でも、床がきれいになっていくのを見ると、胸の奥がふわっと温かくなるんです。
渡した知識で喜ぶ人がいるのなら、その“酷い目”を苦痛とは思わないんじゃないかな。
それに、嘘をつくのも隠すのも本当に苦手で、求められたものをそのまま差し出す方が、ずっと楽なんです」
知識を渡すのが“損”だと思うのは、俺の物差しだ。
知識を渡すのが“喜び”だと思うのは、彼女の物差し。
どちらが正しいかなんて、決めつける方がナンセンス。
それでも俺は、首を縦に振る気はない。
あの男は俺に興味を示さなかった。
俺と会話しようとしなかった。
信頼関係を築こうとはしなかった。
そんな人間に、俺の持つ知識を委ねる気はない。
「ありがとうケイシー、何だかスッキリしたよ。それに、もう遅い。戻ったほうがいいね」
彼女は立ち上がる。けれど、その場からすぐには動かない。何かを言いかけて、言葉を探して、結局見つからないまま。
「あの、ユウナギ様――」
呼びかけだけが宙に残る。
ほんの一拍。迷いが滲む。
「おやすみなさい」
それ以上は言わない。踵を返し、静かなホールに足音が小さく響く。
遠ざかる。やがて、その背中が影に溶けて見えなくなる。
視線を外さないまま、しばらくその方向を見ている。
「作戦は、うまくいっているはずだ――」
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