第21話 桃太郎
夜のダンスホールは静まり返っている。
広い空間に残っているのは、足音でも音楽でもなく、やけに落ち着いた空気だけ。
その中で、ケイシーが椅子に腰かけている。
例えるなら、病院にお見舞いに来た客が、ベッド横の椅子に座る、あの感じ。
信頼している人にだけ許された場所だ。
エプロンやコイフを外しているせいか、仕事の顔とは少し違う。肩の力が抜けていて、話しに来ているんだとわかる空気をまとっている。
「――それで、おばあさんが桃を切ると、なんと中から赤ちゃんが出てきたんだ」
「ええっ?!」
素直に目を見開く。わかりやすいくらいの驚き方で、見ていて飽きない。
「異世界の桃って、子供を食べるんですか?」と、真顔で聞いてくる。首を傾げると、栗色の髪がさらりと流れる。
「これは作り話だよ。そんな大きな桃はないし、そもそも人を食べる果物なんてない」
「人を食べる植物はありますよね?」
「ええっ?!」と、今度はこっちが声を上げる番だ。俺は手を振りながら、
「ないない。あったら困るだろ」
「肌に種を植えられて、そこから芽が出たり?」
「しないし、怖いなそれ」
――いるのか、この世界には。人を食う……。
頭の隅でそんな考えがよぎるが、深掘りする気にはならない。今はこの空気のほうが優先だ。
ケイシーはくすっと笑い、
「異世界っていいですね。安全に狩りができて」
軽い調子のまま言っているけど、言葉の奥に、ほんのわずかな重さが混じる。
「いや、もうほとんど狩りはしてないよ」
「お肉はどうされているんですか?」
「畜産って言ってね。動物を育てて、その肉をいただくんだ。まあ、動物を殺すのはかわいそうだって言う人もいるけど」
「獣を狩らないと畑が荒らされますし、人が襲われることもあります。私は狩人さんを尊敬しています」
さっきの“いいですね”はコレか。この世界は思ったよりも安全ではないのかもしれない。
まあ俺には、結界という鳥籠があるから安心だけどね。
「それに、美味しいお肉は好きですし」
最後にそう付け足して、少しだけいたずらっぽく笑う。
「肉はいいよな。俺も好きだ」と、つられて笑う。
他愛もない話だ。中身なんて大したことはない。それでも、言葉を交わすたびに、ここにいる理由がはっきりしていく気がする。
ふと、さっきまで軽やかだった空気が沈む。
ケイシーの視線が落ちる。
指先がわずかに膝の上で揺れていて、言葉を選んでいるのが見て取れる。
――どうしたんだ?
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