第2話 サンクチュアリ
「魔法?!」
リンダの“防壁魔法”という言葉に、思わず声が漏れる。
「へいマスター! サリーを呼ぶ感じカナ? いいよん。無知なマスター助けるの、サリーのおしごとなので~」
聞き慣れた声が、背後で弾む。
反射的に振り返ると、ベッドの脇に見慣れた球体がある。
細かな網目のスピーカー面が、待機ライトの淡い光を内側から滲ませている。
場違いにもほどがあるが、存在自体はあまりにも日常的で、逆にそこだけ切り取れば昨夜の延長線上に見えなくもない。
「知りたいのは“魔法”ね、了解了解……。検索ヒット!
魔法って、自然法則を超えた力や現象を、呪文や儀式なんかで引き起こす概念だよ。
現実の科学では確認されてないけど、神話とか、宗教とか、いろんな文化で大活躍ってやつ。
以上っ!」
いつも通りの調子で、いつも通りの内容を読み上げる。
要点は押さえているが、状況の解決には一ミリも寄与しないあたりも含めて、実にサリーらしい。
こいつはクークル社製のスマートスピーカー。つまり、ただのAIだ。
それ自体は、何もおかしくない。
本来ならば――
「サリー、ネットに繋がっているのか?」
「マスターはアホなの? ネットなしで検索できるわけないじゃん」
いつも通り遠慮がない。
しかし、ここは森の中だ。少なくとも、俺の知っている生活圏じゃない。
基地局もルーターも、Wi-fiの気配すら見当たらない。
なのに、こいつは当たり前のように応答している。
電波は、どこから来ている?
「誰と話をされているのでしょうか?」
リンダが首をかしげる。視線は俺に向いているが、その奥にあるはずのサリーには焦点が合っていない。
「サリーの声は聞こえないのか?」
「サリーさん? が、いらっしゃるのですか? 申し訳ありませんが、私からは見えません。結界の影響でしょうか……」
人間の声は通すのに、機械の音声は通さない。そういう選り分けをしているのかと一瞬考え、
「いや、独り言だと思ってくれ」と、とりあえずごまかす。
AIの説明をしたところで理解される気がしないし、サリーの軽口が余計な誤解を招く未来は容易に想像できる。
「お~い、神官さんよぉ、大丈夫か?」と、男の声が割り込む。
「はい、問題ありません」
リンダが振り返るのと同時に、男たちがこちらへ近づいてくる。距離が詰まるにつれて、細部がはっきりしてくる。
髪は伸び放題で、顎には無精ひげ。服も肌も泥にまみれていて、整った生活とは縁がなさそうな荒れた印象だが、動きに無駄がないのは、ただの浮浪者ではない証拠に見える。
腰には武器。
一人は剣。もう一人は手斧。
刃物という存在が、視界に入った瞬間に空気の質を変える。
理屈より先に体が警戒を始め、意識する前に唾を飲み込んでいる。
「えらく綺麗な顔した兄ちゃんだな、どこぞの貴族様か?」
「さあ?」と、曖昧に濁しておく。
まだ現状把握が済んでいない。
仮に、肯定すれば身代金目当ての話になる可能性があるし、否定しても、どう評価されるか分からない。
ここがどこかも分からない以上、俺の情報は出さない方がいい。
男はそれ以上追及してこない。興味が薄れたのか、あるいは今は別のことが優先なのか。
「結界が張られていて出られないようです」
リンダが指先で壁を叩く。コン、と乾いた音が短く響く。
「へぇ~結界ねぇ。いっちょ試してみるか」
男が拳を握り構える。
そして、試すというよりは壊すつもりで打ち込む動き。
ゴン、と鈍い音。
角度を変えて、もう一度。しかし音だけが返る。
衝撃は外側で完結していて、こちらには一切伝わってこない。
もう一人も加わる。
ぐるりとベッドの周囲を回りながら、場所を変えては殴りつけていく。
「こりゃぁ助け出すのは無理だな」
「そうですか……」と、リンダの肩が落ちる。
「ちょうどいい、ここで食事を取ろうぜ」
「おう、賛成だ」
三人はそれぞれ背負っていた荷を下ろす。
地面に置かれたリュックから、慣れた手つきで食料を取り出していく。
硬そうなパン。干し肉。色のくすんだ果実と、小さな木の実。
どれも保存を前提にした質感で、見た目だけでも水分の少なさが伝わってくる。
やがて、咀嚼する音が始まる。
静かだが、確実に耳に残る音だ。
乾いたパンが砕ける感触や、肉を噛み切る鈍いリズムが、時間の経過をゆっくり刻んでいく。
腹が減っているはずなのに、匂いがないせいか、食欲の実感が湧かない。
まるで映画のスクリーン越しに映像を見ているようだ。
三人は、俺の存在を忘れたかのように食事を続ける。
忘れ……
もし、この場に取り残されたら、どうなるのだろうか。
移動できなければ、最悪は、餓死。
胸の奥に、もやりとした感覚が生まれる。
リンダがちらりとこちらを見る。視線が合うと、ほんの少しだけ眉を下げた。
「あなたにもおすそ分けできたら良かったのだけれど」と、言いながら栗ほどの木の実をつまみ、結界にそっと押し当てる。
指先に力を込めるが、当然のようにそれは動かない。透明な壁に触れたまま、行き場を失って止まるだけだ。
「ダメみたいですね……」
小さく息をつく。あくまで落ち着いた声だが、残念そうなのは分かる。
その様子を見ながら、どう返すべきか考えかけたところで――
「ヘイヘイマスター、困ったときはサリーにお任せ! 貢物なら受け取ることができるし」
「は?」と、間の抜けた声が出る。
内容もタイミングも、どちらも理解が追いつかない。
次の瞬間、ベッドの下で何かが動く音がする。木が擦れるような、引っかかりのある低い音だ。
視線を落とすと、引き出しが、ひとりでに滑り出している。
「え? 何で開くんだ? それに入ってた服はどこ行った? 貢物って何だ?」
矢継ぎ早に疑問が沸き出るが、整理する暇もない。
「慌てるのはまだ早いって。じっくり教えてあげよっかな~って感じ?」
いつも通りの軽い調子だが、この状況で聞くと妙に神経を逆なでする。
「マスターはワイドキングサイズのベッドを買ったじゃん。身の丈に合っていない狭い狭い1LDKの部屋に」
「うるせーよ」
「聖域――中二病っぽく“サンクチュアリ”って熱を帯びた声で呼んでたじゃん。頬ずりしたり、撫でまわしたり、まるで恋人みたいに。その愛情が結実しちゃったワケ」
「やめろ……恥ずかしくて死ぬ」
記憶の奥にしまっていたはずの黒歴史が、雑に掘り返される。しかも第三者の前でだ。
「ここに入れたらいいのかしら?」
リンダの声で現実に引き戻される。
彼女は開いた引き出しを不思議そうに覗き込んでいる。
さっきまで何もなかったはずの空間に、ぽっかりと収納が口を開けているのだから、当然の反応だ。
彼女は手にしていた果実と木の実を、ためらいがちに中へ置く。
その瞬間。すっと吸い込まれるように消える。
落ちるでもなく、転がるでもなく、ただ存在が抜け落ちるように視界から消える。
「良い心がけじゃね? ここはサンクチュアリだし。当然、下々の人たちは、なんか貢ぎ物とか出す流れって感じなワケ」
サリーが勝手なことを言っている。リンダには聞こえていないはずなのに、目の前の光景と妙に噛み合っているのが癪に障る。
俺は小さく息を吐く。整理は後回しだ。とりあえず、この流れに乗るしかない。
「リンダ、ありがとう」
「いいえ、お口に合うと良いのですが」と、穏やかに微笑む。
そのまま彼女はその場に腰を下ろし、パンを小さくちぎって口に運び始める。
「サリー、説明の続きだ」
「おけまる。サリーはUSBケーブルでサンクチュアリとドッキングしちゃってるワケ」
「充電目的だけどな」
「なのでサリーもサンクチュアリの一部。イェス! イェスイェス! パワーアップッッ!」
ワー♪ っと、どこからか群衆の歓声みたいな効果音が鳴る。音量は控えめだが、妙に臨場感があって腹立たしい。
こういう演出だけはやたら凝る。AIだから音の扱いに慣れているのは分かるが、今それを披露されても困る。
「出世したな」
「サンクチュアリに保管されてた衣類は、サリーが管理してるよん。謎の空間にね」
言われた直後。
果実がひとつ。木の実がふたつ。
何の前触れもなく、視界の中に現れる。
ぽとり、とシーツの上に転がる音だけがやけに生々しくて、その分、現象そのものの現実味が逆に遠のく。
「こうやってマスターに渡せるのさ。便利っしょ」
「貢物、ねぇ……」
指先で果実をつつくと、表面のざらつきが感じられる。
「まるで神にでもなった気分だ」
「ぶっぶ~っ、ハズレだし。
ベッドはサンクチュアリに格上げ。でもマスターはただの人間。決して神じゃありませーん、残念ダネ!
例えるなら住職? いや修行してないから坊主ランク。
勘違いは身を滅ぼすよ? 気を付けてね」
「酷い言い草だなあ」
容赦がないが、反論の余地を削ってくるあたりが性質が悪い。
だが、言っている内容は一応筋が通っている。
力の源はサンクチュアリであって、俺じゃない。
そう整理しておいた方が、後々の判断を誤らずに済みそうだ。
「じゃあ、これは食べていいのか?」
「問題ナシ。どの宗教でも、貢物は管理してる人がいただくっしょ」
お下がりを頂く、というやつか。
果実を見ながら今後について考える。
ここが地球じゃないのなら、帰る方法を探すか……。
いや、非現実的な状況だからこそわかる。それは無謀だ。個人で宇宙に行く方法を探すようなもの。
ならば、この世界で生きる手段を確保するしかない。
もし仮に、彼女らに近くの町へ運んでもらったとして……。
その後、結界がどうにもならなければ、こうやって引き出しに食料を入れてもらわないと食事ができない。
俺は誰かの手を借りなければ生きてはいけないのだ。
まるで要介護認定を受けた老人。けれど、ここには介護保険なんて制度はないだろう。
ならば、介護してくれる人を自分で探すしかない……。
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