第18話 動物園
燭台の炎が、まるで呼吸するように揺れている。
天井の巨大なシャンデリアが光を散らし、その粒が波のようにダンスホールを満たしていく。
その中心に位置するサンクチュアリを、貴族たちが取り囲む。
視線が刺さる。
逃げ場がない。
皮膚の上をなぞられているみたいで、じっとしているだけで消耗する。
貴族たちの衣擦れの音が、炎の揺らぎと混ざって耳にまとわりつく。
彼らは瞬きを忘れたかのように、ただ俺を見つめている。
息を吸うたび、胸がきゅっと縮む。
音楽は流れていない。代わりに聞こえるのは、貴族たちの小さな囁き声。
「異世界の者だと?」
「本当に?」
「髪の色、それに目も黒いぞ」
「胴長族の特徴に似ている気もするな」
「肌は白いが……我らとは質が違うように見える」
「服の仕立ても見たことがない」
「美丈夫とは言い難いな」
最後の一言、しっかり聞こえてるからな。
思わず口の端が引きつりそうになるが、なんとか抑える。
ふと動物園の檻を思い出す。ガラス越しに見られる生き物たち。この状況と似ている。
ただ一つ違うとすれば、あいつらは言葉がわからない。だから、まだ救いがある。こっちは全部理解できる分、余計に質が悪い。
それはそうと、領主から事前連絡は受けていない。俺の了解など考慮しないということだ。
推測だが、俺から異世界の技術が聞き出せないと悟り、方針転換をしたのだと思える。
情報で利益が出せないのなら、社交界のネタにでもしようという腹積もりだろう。いかにも強欲なあの男らしい。
俺を動物園の動物として扱う気か。いいだろう。ただし、ただの見世物で終わると思うなよ。
とはいえ、鳥籠の中からでは、やれることに限りがある。
木の実を投げつけるのはどうだ……。
いや、あれは相手が悪人だったから効果があったと思う。領主は欲深いが悪人ではない。だから効果は期待できない。
ならば、俺のやることは――
視線の奥。段を一段上げた席に領主が立っている。
あいつ、なんであんなに偉そうなんだろう。
足をどんと開き、腰の後ろに手を当てて、胸をぐいと張っている。
片手でグラスを弄びながら、客たちの反応を酒の肴にしている。
飲んでいるのは酒だけじゃない。視線も、空気も、欲望も、全部だ。
「お集まりの紳士淑女の皆様、ご覧あれ」と、領主の声がダンスホールに響く。
両腕を広げる仕草は芝居がかっていて、まるで舞台の口上だ。
「その男こそ、異世界より来訪した者でございます。言葉は解するものの、我らの常識は通じぬ。まさに異世界の住人」
ざわり、と空気が動く。
客たちの目の色が、わずかに変わる。
煽られた好奇心が、今度は言葉になって漏れ出す。
「本当に異世界人なのかね?」
「我々と同じ人間にしか見えんが」
見た目だけで判断しろと言われても、材料が足りなすぎる。
内心で肩をすくめる。俺だって、逆の立場なら同じことを言う。
しかし、俺の目には、あんたたちの方が、よほど異世界の住人に見える。
やけに長い耳。
丸みを帯びた鼻。
小さく突き出た角。
人間っぽいのに、人間じゃない。いや、この世界ではこれが人間か。
視線を巡らせるたびに、違いが見つかる。細部のズレを拾い上げていく感覚。
間違い探しみたいで退屈はしない。
ひとり、若い男が輪の内側へ踏み出す。
靴音がやけに響く。
その瞬間、周囲の視線がわずかに揺れ、流れるようにそいつの背へ集まる。
空気を読むのが上手い。というより、目立ち方を知っている動きだ。
立ち姿も、顎の角度も、全部が“見られる前提”で組み立てられている。
「異界の者よ。そなたの国では、王はどのような姿をしている?」
この男も無駄に舞台役者じみている。まさか、領主の仕込みのサクラか?
鳥籠の中の鳥が、いつ鳴くのか。その一点に期待が集まる。
俺はわざと沈黙し、じらす。
ざわめきが、ゆっくりと沈んでいく。
誰かが唾を飲み込む気配。それすら拾えそうな静けさ。
――頃合いだ。
声はわざと抑え、
「私のいた世界には、もう王はいません。遥か昔に、すべての王族は滅びました」
空気が、揺れる。目に見えないのに、はっきり分かる。
「馬鹿な!」
「王なき国だと?」
「反乱国家か?」
水面に石を投げたみたいに、ざわめきが広がる。
視界の端で、グリーニング卿が笑っている。
客が騒げば騒ぐほど、この見世物の価値は上がる。つまり、今の反応は満点だ。ならば、さらに盛り上げてやろう。
「王がいなくても、国は回ります。もっと言えば、貴族がいなくても、ね」
一拍遅れて、どよめきが走る。
貴族不要論。それを、当の貴族の前で口にする。普通なら不敬どころじゃ済まない。
しかし、これは異世界の話。だからこそ、完全には否定できない。
鳥籠の中にいるのは、俺のはず。
それなのに、落ち着きを失っているのは、外側の連中のほうに見える。
視線が泳ぎ、言葉が濁る。
受け入れるか。拒絶するか。その狭間で、均衡が崩れかけているようだ。
――カルチャーショックだな。
「もっと聞きたいですか?」
意識して、わざとらしく。口角をゆっくりと引き上げる。ニチャリ、とでも言えばいいのか。自分でも少し嫌になる類いの笑みだが、この場ではむしろちょうどいい。
ふたたび視線が集まる。さっきまでざわついていた空気が、嘘みたいに静まり返る。
俺の表情一つで、これだけ反応が変わる。完全に“見世物”として成立している証拠だ。
視線の先で、領主がゆっくりと杯を持ち上げる。赤い液体がグラスの縁で揺れる。その奥で口元が愉しげに歪む。
「無論だ!」と、領主が声を張り上げながらグラスを掲げ、
「今宵は宴。異世界の物語を肴にしようではないか!」
次の瞬間、歓声が弾ける。
押し殺していたものが、一気に噴き出したみたいに。
拍手が広がる。
乾いた音が重なり、天井のシャンデリアが、かすかに揺れる。
楽隊も音を乗せる。軽やかな旋律。ワルツだ。
張りつめていた空気が、ほどけ、緊張が娯楽へと変わる。
――どうですか、領主様。俺はちゃんと役に立ったでしょう。
それから、この宴は三度開かれる。
同じように灯りがともり、同じように音楽が流れ、同じように俺は中央に置かれる。
だが、回を重ねるごとに、輪に加わる人数が減っていく。
隙間なく埋まっている床に、わずかな空白が生まれ、それが少しずつ広がっていく。
視線の密度が、落ちる。
ざわめきの熱も、どこか鈍い。
理由を口にする者はいない。
興味か。
違和感か。
あるいは、その両方か。
そして、四度目の宴は、ついに開かれることはなかった――
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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