第17話 欲望の領主
ダンスホール入口の扉が叩かれる。
コンコン、ではない。もっと鈍くて重い音。
遠慮のない響きで、ケイシーではないとすぐにわかる。
短く間があってから、扉が開く。
昨夜と同じ深い紫の衣装。領主、グリーニング卿だ。
視線をこちらに固定したまま、ためらいなく部屋へ入ってくる。
足取りは重いのに迷いがない。
こちらへ真っ直ぐ近づいてくるあたり、遠慮とか配慮とか、そういう単語は辞書に載っていなさそうだ。
その後ろで、若い執事が一歩遅れて動く。
両手で椅子を抱え、音を立てないよう慎重に運びながら、サンクチュアリの正面へ置く。
領主は何も言わず、そのまま腰を下ろす。
挨拶もない。礼もない。
これが貴族の標準仕様か、それともこの人の個性か。
俺は昨晩と同じように、身体を前へ倒す。拳をマットレスに当て、爪甲礼の姿勢を取る。
「おはようございます、グリーニング卿」
「楽にして構わない」
「はい」
短いやり取りのあと、拳を離す。
嘘の礼儀を教えなければ必要なかったはずだ。今さらながら自分で自分の首を絞めている気がする。
まあ、通用しているなら結果オーライか。
「さっそくだが、異世界についていくつか尋ねる。まずはその棚に並ぶ奇妙な物――白い箱、それは何だ?」
視線が動く。指先は使わない。ただ目線だけで対象を示すあたり、命令慣れしている。
その先にあるのは電子レンジだ。こちらの世界でも通じる表現で説明するしかない。
「食べ物を温める道具です」
「四角い鍋とは珍しい。では、その筒状の物は何だ?」
今度はケトルへ。
「お湯を沸かす道具です」
「確かに注ぎ口のような形も見えるが……金属でできておるようには見えぬな」
「はい。素材は金属ではございません」
プラスチックだが、その単語はこの世界にないと思う。言ったところで余計な説明が増えるだけだ。
「ほう、どのような素材で作られておるのだ?」
「私にはわかりません」
即答すると、ぴくりと領主の眉が動く。
「なんだと? わからぬのに使っているというのか」
「グリーニング卿は、鍛冶師がどのように剣を作っているかご存じですか?」
「熱した鉄を叩くのだ」
「さらに詳しく説明できますか?」
「それは……職人でないと無理だな」
「同じです。兵士たちは剣を使いますが、制作工程の細部まで理解しているわけではないでしょう。それでも扱うことはできる。道具とは、そういうものです」
言い切ると、わずかな沈黙が落ちる。
領主の眉間に、ゆっくりと皺が寄る。
「もっともな話だな。ではユウナギは、どのような仕事をしていたのだ」
「私は商人です。品物を安く仕入れ、高く売る。それだけの知識しか持ち合わせておりません」
商人という言葉に軽さはない。高度な判断力と経験を要する職だが、ここで強調する必要はない。むしろ“それしかない”と見せる。
領主の反応を待つ。
わずかに間が空いてから、視線が別の場所へ流れる。
「ならば、棚にあるその薄い紙の束は何だ?」
「私が扱っていた商品の目録です」
「ほう。見せてみよ」
棚から一冊を抜き取り、結界越しに掲げる。
男向けのファッション雑誌。光沢のある紙面が、朝の光を受けてわずかに反射する。
ページを開くと、その瞬間、空気が変わる。
「おおぉぉ……」と、領主の喉から低く漏れる声。
視線が紙面に貼りつく。さっきまでの“調べる目”ではない。……“奪う目”だ。
「精密な絵じゃ。なんという細工……それに、この衣装、見たこともない形よ」
領主の手が伸び、結界に触れる。
俺がページをめくるたび、彼の反応が強くなる。呼吸が浅くなり、椅子に沈んでいた身体が少し前へ出る。
モデルの全身写真。細部まで整った構図と配色。完全に食いついている。
結界に触れている手が、まるで掴み取るように握られる。しかし本には触れられない。その事実が、焦燥として滲み出ている。
「ユウナギ、この目録、献上せよ」
「誠に残念ながら、異世界の品物は結界を通すことができません」
「何?」
雑誌をそのまま前へ押し出す。
結界に触れた紙が、わずかに歪み、クシャリと音を立てる。
「この通りです」
次の瞬間、領主が声を張り上げる。
「領内で最も腕の立つ絵師を呼ぶのだ!」
控えていた執事が深く頭を下げると、足音を殺しながらも速度は落とさず、部屋を出ていく。
領主は、再び雑誌へ視線を落とす。
さっきまでの観察とは違う。もっと粘ついた、まとわりつくような光だ。
紙面に吸い寄せられるというより、舐めるように追っている。
背筋に、ひやりとしたものが走る。
この目、興味ではない、欲だ。
新しい玩具を見つけた子どもに近いが、それより質が悪い。
逃がさない、という色がはっきり浮かんでいる。
同時に、苛立ちも混ざる。
異世界の技術が手に入ると思っていたのだろう。
しかし、中身は服のデザインばかり。
役に立たないわけじゃないが、期待していた“核心”とは違うらしい。
その異様な視線を遮るように、雑誌を閉じる。すると領主はギロリと俺を睨む。勝手なことをするなと言いたげな視線だ。
「お気に召したでしょうか」
「うむ、悪くない……」
――その顔に“不満”と書いてあるぞ。
「もう一度確認するが、その後ろの物。作り方は知らぬのだな」
「はい」
「詳しい話は担当の者をよこす、包み隠さず話すように」
「承知いたしました」
領主はヌッと立ち上がると、重い足取りでダンスホールから出て行く。
部屋から圧が抜ける感覚。
ふうと自然と息が漏れる。
「サリー、俺の交渉はどうだった?」
「いい感じじゃん。……けど、領主から何も得られないから商談としては失敗だね」
「確かに。けど食事代と思えば元は取れるだろ」
「だといいね~」
サリーの反応が気になるが、まあ上々だろう。
後日、領主の代わりに現れたのは、文官らしい男。
来るたびに、
「異世界の技術について、他に思い出せることはありませんか」とか、
「道具の作り方でも構いません」や、
「少しでも良いので」など。最後は、
「私がご当主様に叱られます」と、泣きながら質問を浴びせてくる。
けれど俺は首を横に振る。
毎回、同じ動き。同じ角度。同じ間で。
言葉を重ねるたび、相手の目から光が消えていくのがわかる。
最初は探るような視線だったのが、やがて義務的になり、最後には“作業”に変わる。
日を追うごとに質問は減る。
間が増える。
沈黙が長くなる。
やがて、形だけのやり取りになる。
期待が削れていく音が、聞こえる気がする。
――いい傾向だ。
さらに数日後――
目の前の光景に、思考が止まる。
豪奢な服に身を包んだ貴族たちが、円を描くように俺を囲んでいる。
視線が、一斉にこちらへ向けられる。
――どうしてこうなった……。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
続きが気になると思っていただけたら、ブクマしていただけると励みになります。
全112話 毎日投稿します。
最後まで楽しんでいただけたら幸いです。




