第14話 推し決定
美少女メイドが、ワゴンの上に乗っていたトレーを持ち上げる。
そこには固そうなパンと、白い湯気を立てるスープ。
滑らかな所作から、仕事慣れしている感じがにじむ。
トレーをこちらへ差し出す。しかし結界に触れ、わずかに傾き、ガシャリと音が鳴る。
「えっ?」と、慌ててトレーのバランスを取り、首をかしげる。
「ごめん、説明してなかったね。見えない壁があるんだ」
「そうなんですね、失礼しました」
細くて白い指が視界に残る。さっきの揺れで、熱いスープがかかっていないか気になる。
「火傷してない?」
「心配していただき、ありがとうございます」と、軽く頭を下げる。
丁寧なのに堅すぎず、どこか温度を含んでいる声。
ずっと聞いていられる……。
さらに、地下アイドルのトップでさえ裸足で逃げ出す容姿。
……ダメだ、これはもう。
――推し決定!
「手にはかかりませんでした。でも、スープがこぼれたので取り替えてきます」
「いや、そのままでいいよ」
「でも……」と、わずかに眉を寄せる。
愁いを含んだ表情も、絵になるのが困りものだ。
この子の写真集、どこで手に入るんだ?
「だいじょうぶ。問題ない」
「……そうですか。では、どうやってお渡しすればよろしいでしょうか?」
答えようとした瞬間、ベッドの引き出しが音もなく開く。
ああ、サリーか。
「そこへ入れてくれるかな」
「ここへ……ですか?」
「ああ」
彼女は不思議そうに引き出しをのぞき込む。その拍子に、栗色のおくれ毛がわずかに揺れるのが見えて、視線が勝手に引っ張られる。
静かに腰を落とすと、黒いスカートの裾がふわりと広がり、白いエプロンが膝の形に沿って落ちる。
そのまま、トレーを引き出しに滑り込ませると、スッと消える。
「サリー、頼む」
言った瞬間、マットレスの上にトレーが現れる。
ふと、さっきまで立っていた湯気が消えていることに気づく。
「なあサリー、スープが冷めてないか?」
サリーだけに聞こえるよう声を落として、小さく問う。
「あーそれね。たぶん、分子の振動が止まったっぽいの。瞬間冷凍。出したら半解凍。生き物なら、終わりだね、たぶん」
「え? マジかよ」
思わずトレーを見下ろす。
パンもスープも、見た目はさっきと何も変わらない。けど、今の話を聞いた後だと、ただの食事に見えなくなる。
「あの、どなたとお話されているのでしょう」
小声だったはずだが、しっかり拾われている。
「気にしないで、独り言だから」と、咄嗟に返す。
変なやつだと思われるだろうか。嫌われるのは、さすがに避けたい。
「はあ……」と、納得していない顔。
まあ、そうなるよな。
俺はスープ皿を持ち、ヘッドボードに向く。そこに置かれている電子レンジに入れ自動ボタンを押す。
すぐに低い駆動音が響き始め、ウオンウオンと場違いな機械音が広がる。
推測だが、サリーの声と同じく、この機械音は彼女には聞こえていないと思う。
「何をなさっているのですか?」
「引き出しに入れると冷めるみたいだから、温めなおしているんだ」
「はあ……」と、さっきよりも、さらに困惑が深い。
そりゃそうだ。
この世界に電子レンジなんてあるはずがない。説明しようにも、たぶん余計に混乱させるだけだ。
やがて、チン、と短い音が鳴る。
扉を開けて取り出すと、今度はちゃんと湯気が立っている。
スープ皿をトレーに戻し食事を始める。
パンに手を伸ばす。潰さないように優しく掴む。しかし、そんな気遣いは無用だと気づく。
フランスパンでも、ここまでは抵抗しない。
一口かじる。歯が強く押し返される感覚のあと、じわじわと崩れていく。さらに口の中の水分を一気に持っていかれる。
思わずスープで流し込む。
これは、単品じゃ無理だ。
ふと顔を上げる。
その視線を、彼女の瞳がすっと受け止める。猫みたいに興味の対象を観察している。
「もしかして食べ終わるのを待ってます?」
「はい。もし見られるのがお嫌でしたら、お部屋の外でお待ちします」
――嫌なわけないだろ。むしろ逆だ。永遠に見ていてくれ。
「それは構わない。でも、君が暇じゃないかな、と」
引き止めないと外に出ていきそうだ。それは困る。もっと見ていたい。
「……そうだ、自己紹介してくれないかな?」
「自己紹介、ですか?」
彼女は軽く息を整え背筋をすっと伸ばす。その動作ひとつで、空気が、ほんのわずかに張る。
「私はケイシーと申します。屋敷のあらゆることに携わる、いわゆるオールワークのメイドでございます。掃除に洗濯、料理にお茶の支度、時には庭仕事やお使いまで。あ、もちろん料理長や庭師の方たちは専属でいらっしゃいます。私は忙しい時にお手伝いする、何でも係に近いんです」
すらすらと言葉が続くのは、会話が苦手なタイプではない証拠だ。
「凄いね、器用なんだ」
「いえいえそんな」
両手を小さく振って否定する仕草が、いちいち細かくて、じわりと目に残る。
――なんだ、この可愛い小動物は。
「俺のことはどんなふうに聞いているのかな?」
「お客様としか伺っておりません。客室にお通ししないのは、どうしてだろうと不思議に思っていました」
彼女が、そっと結界に触れた。逆光を受けて、手のひらが白く浮かび上がる。
小さくて可愛らしい手だ。指先がすこし荒れているのが気になる。ハンドクリームがあれば、すぐにでもプレゼントしただろう。
「この壁のせいなんですね」
思わず、こちらも手を伸ばしかける。
重ねて手の大きさを比べたい衝動。
けれど思いとどまる。
もしそれをやったら、どう見られるかくらいはわかる。
やめておくのが無難だ。
「俺、異世界人なんだ」
――バカか俺は。
口に出した瞬間、自己嫌悪になる。
今の口ぶり、“俺、医者なんだ”と、コンパで肩書きをちらつかせる嫌なやつじゃないか。
「異世界人って何ですか?」
見事に空振り。
胸の奥が、きゅっと縮む。
一呼吸。落ち着け、俺。
「世界ってわかる?」
「え……ああ!」と、何か思い出したように、彼女の表情が少しだけ明るくなり、
「シェケルズ教では、冥界・人間界・精霊界があると言われているらしいですね。私は宗教を信じていないので詳しくは知りませんけど。……もしかして異世界って、もう一つの?」
リンダはマクダウェル教と言っていた。
どうやらこの世界には、いくつか宗教があるらしい。
「そう。俺はそこから来たんだ」
彼女の瞳が揺れる。
驚きだけじゃない。理解が追いつかない戸惑いと、ほんのわずかな警戒が混ざっているのがわかる。
「えぇぇぇっ、なら人間じゃないんですね」
「どうしてそうなる?」
「だって、死者は冥界、精霊は精霊界、そして人間が住むのが人間界なら、お客様はどれでもない別の何か、なのでは?」
「人間じゃなくて異世界人……。なるほど、合ってるな。似てるけど違いはあるのかもしれない」
今まで気にも留めていなかった。なぜこの世界の人間が、俺と同じだと信じていたのだろう。
「けど残念だ、ここには人間しかいないのか。エルフやドワーフがいるんじゃないかって期待したのに」
「私、耳長族ですよ?」と、言い、きょとんとしている。
「でも、人間って」
「お客様の仰っているのは種族かもしれませんね。耳長族、胴短族、猪族、それらすべて人間です。牛や馬を動物と呼ぶのと同じです」
すっと腑に落ちる説明だ。
しかし、微妙にエルフの発音が違う気がする。
――ネイティブスピーカーだから?
「じゃあ領主様は?」
見た感じ、俺の世界の“人間”に一番近かった気がする。
「胴長族です」
基準にするなら、あれがいわゆる“人間っぽい人間”ということになるのかもしれない。
「もしかして、お客様の世界では耳長族や胴短族がいないのですか?」
「古代にはホモサピエンスやネアンデルタールがいたんだけど、交配と淘汰が進んで、同じ種族しか残ってないんだ。エルフやドワーフはいないよ」
言いながら、なんでこんな説明をしてるんだろうと少しだけ可笑しくなる。
異世界に来て、人類史の講義をするとは思わなかった。
「同じですね。こちらも交配が進んでいますから、純粋な種族は山奥などの一部地域にしか見られません。私には耳長族に、胴長族と猫族の血が混ざっています」
ケット。……ケットシーのケットか?
たしか、猫だったはずだ。
言われてみると、彼女の目はどこか猫っぽい。光の拾い方が柔らかいというか、じっと見てくる感じがそれっぽい。
「じゃあケイシーはハーフエルフなんだね」
言った瞬間、空気がわずかに引っかかる。
ほんの一瞬だけ、彼女の表情が止まる。
「あっ、ハーフという言葉は差別的ですから、あまり使われないほうがいいと思います。それと、種族の交配を禁忌とするヒドルストン教は過激ですから、注意してくださいね」
表情に変化はない。不愉快をぶつけてきたのではなく、アドバイスとして教えてくれたのだとわかる。
「なるほど。教えてくれてありがとう」
助かった、という気持ちが先に立つ。
知らずに踏み込んでいたら、もっと面倒なことになっていたかもしれない。
日本ではハーフ。海外だとミックス。呼び方一つで、受け取り方は変わる。
この世界は、少なくとも表向きは多様性を前提にしているらしい。
それと、ヒドルストン教。
早くも三つ目の宗教か。……いくつあるんだ、この世界。
無神論者の俺としては、宗教の話は苦手だ。
スープを飲み干し、パンもなんとか片付ける。
食事を終え、トレーを彼女へ差し出す。それは何の抵抗もなく結界をすり抜ける。
自然物だけでなく、こっちの世界の物は通るらしい。
「お口に合いませんでしたか?」と、トレーを受け取りながら表情が曇る。
表情には出していないつもりだったが、甘かったらしい。
鋭い子だ。
「美味しかった、って言うのが礼儀として正しいのは分かってる。でも、たぶん味覚が違うんだと思う。ほとんど味を感じなかった」
嘘をつくのは相手に失礼だと思っている。
優しい嘘なら良いという人もいるが、それは逃げだ。
感想は素直に伝えたほうがいい。お互いのために。
「正直におっしゃって頂けて嬉しいです。ご当主様――胴長族が好まれる味付けでしたので、次は胴短族の好まれる濃い目の味付けにしますね」
彼女が微笑む。
次に活かそうとするポジティブ思考。俺の好みにピッタリすぎて困る。
「なるほど、多種族が共生してる世界だから、味付けも多彩なんだね」
「そうなんです。来客があると、いつも神経を使います」
少しだけ肩の力を抜いて、テヘヘと笑う。
その崩し方が自然で、さっきまでの丁寧さとの落差がちょうどいい。
「それでは失礼します。お休みなさいませ」
丁寧に一礼し、キッチンワゴンに手を添える。
動きは静かで、音もほとんど立てないまま、すっと距離が開いていく。
気づけば、その背中を目で追っている。
「また、話す機会はあるだろう」
もう姿は見えないのに、目が余韻を楽しむ。
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