第109話 嘘で縫い合わせる世界史
「次にベージル祭司。シェケルズ教では竜は意思疎通のできない怪獣。そう教えているのですよね?」
ベージルは肩をすくめ“やれやれ”とでも言いたげな仕草。
「ユウナギさん、言わんとしていることはわかりました。竜と会話しているのですからね。私たちは間違えていた。それは認めます」
拍子抜けするくらいあっさりしている。
「話が早くて助かります」
メガホンを口に当て、
「竜には知性があり、会話できます!」
ベージルが、小さく息を吐く。
負けを認めた顔だ。悔しさよりも納得が勝っている。
城壁の上でも、地上でも。
人々が互いの顔を見合わせている。
確認するように、本当に今の話を聞いたのか、と。
いい反応だ。
「ジュディ来てくれ」
ジュディは、クソ禿の護衛を離れ、ベージルのすぐ近くまで歩み寄る。
その瞬間、群衆の目が一斉に彼女へ向く。
さっきまで俺と竜に向いていた視線が、まとめて流れる。
すると、ジュディの背筋が、すっと伸びる。
肩も少し上がり、表情が硬い。慣れていないのが丸わかりだ。
まあ、無理もない。
俺はベージルを見据える。
「あなたは、精霊魔法が使えるから精霊は存在し、だから精霊界もあるのだと言いましたね」
ベージルは強くうなずく。
「もちろんだとも。そこに疑う余地はない」
「ジュディ、見せてやってくれ」
ジュディは迷わず鞘から剣を抜く。
金属が擦れる音が、周囲の空気をピリつかせる。
次の瞬間、自分の腕に刃を当て、躊躇なく引く。
浅いが、確かな傷に血がにじむ。
ベージルの顔が歪む。何をさせられているのか、読めていない顔だ。
ジュディは目を閉じ、呼吸を整える。
そして、詠唱が始まる。
声は大きくないが、よく通る。
静寂に乗って、言葉がはっきりと広がる。
「竜よ。
静かなる流れを司るものよ。
痛みを覚えしこの者に、やわらかな息吹を寄せよ。
裂けし肌をなだめ、滲む血を鎮め、乱れた温もりをあるべき巡りへ戻したまえ。
竜よ、この願いを聞き届け、静かな恵みをここに結べ」
シェケルズ教の精霊魔法。だが、呪文の一部を変えている。
ベージルの目が細くなり、口元が引きつる。
たぶん違和感に気づいたのだろう。ジュディの傷を厳しい視線で睨む。
さっきまで確かにあった切り傷が、跡形もなく消える。
「あ、ありえない! それは精霊魔法のはずです! しかも竜だなんて」
頭を押さえ、声を荒げる。
祭司とは思えないほど、かなりうろたえている。
いや、祭司だからこそ強い拒絶なのかもしれない。
俺はメガホンを口に当て、
「精霊魔法の呪文で傷が癒えた。それすなわち、竜は精霊だったのですっ!」と勢いのまま叩きつける。
「なっ、なんだって?!」
ベージルが仰け反り、顎が外れそうなほど口を開ける。
同時に、群衆にも揺れが走る。
抑え込まれていたざわめきが、一気に浮き上がる。
疑問。動揺。戸惑い。
音の質が、さっきまでと明らかに違う。
俺はメガホンを下げ、柔らかく諭すようにゆっくりと、
「シェケルズ教で精霊を見た者はいない。
それは勘違いで、見えていたのです。
竜の姿で。
あなたたちは大きな勘違いをしていたのです」
「勘違い、だと……」
ベージルの声が抜ける。
支えを失ったみたいに、膝が折れ、そのまま崩れ落ちる。
立っていられない、という動きだ。
視線が宙をさまよう。
さっきまであった“確信”が、どこにも見当たらない表情。
「宗教というのは、世界を説明するためのものです。
雷が落ちる理由。
雨が降る理由。
魔法が起きる理由。
昔の人間は、それを理解できなかった。
だから説明を作り、教義にした」
視線を、赫い塊へ流し、腕を広げる。
「赫竜教の近くには竜がいた。
だから世界の説明は竜がすべて引き受けた。
しかしシェケルズ教の近くには何もいなかった。
だから見えない精霊がいると信じた。
同じ存在を示していたのに、距離の違いだけで宗教が分かれた」
「分かれた?」
声が重なる。
ベージルとグラントリー、ほぼ同時だ。
さっきまで立場が違っていた二人が、同じ言葉を発する。
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