第108話 竜語翻訳係を任された
クソ禿たちの足が止まる。
いや、進めない、というほうが近いかもしれない。
目は血走り、喉が大きく動く。
距離があるのに、唾を飲み込む音まで聞こえそうな錯覚がある。
原因は竜だろう。俺も最初はそうだった。空気が重く、密度が上がっているようで、息を吸うだけで抵抗を感じる。
もう俺は慣れたけど、彼らにこれ以上進ませるのは無理だろう。
ゆっくりと立ち上がる。
サンクチュアリの上で体勢を変えるだけだが、視界が一段高くなる。
群衆、クソ禿たち、俺、竜。まるで計ったように等間隔に離れている。
群衆が一望できる。
ふと、武道館ライブの映像を思い出す。ステージから客席を映した映像だ。あれと似ている。
客の視線はメインアーティストに向けられ、誰一人としてカメラマンに視線を移さない。まるで自分が透明人間になったような気分だ。
俺は手製のメガホンを口に当てる。
ジュディに無理やり用意させたやつだ。紙製で作りは雑だが、ないよりマシだろう。
「役者は揃った!」と、腹から声を出す。
空気の重さを押しのけるように、思い切り叩きつける。
声が城壁に当たって跳ね返る。
群衆の視線がこちらに動く。
まるで今まで存在していなかったものが、急に現れたみたいな反応だ。
「俺は夕凪。これより、世界の真実を公表する!」
言い切った瞬間、空気がザワと波立つ。
民衆の声が重なり、低い唸りになる。
意味のある言葉には聞こえない。ただの音の塊だ。
「静粛に! 静粛に!!」
抑え込むように、もう一度声を張る。
波が少しずつ引く。完全には消えないが形が崩れていく。
その隙を見て、言葉を差し込む。
「声が届かぬ者は、後からシェケルズ教の祭司と赫竜教の主教に聞くがいい!」
メガホンを口から離し、空気がさらに沈むのを待つ。
ざわめきの残りかすが消えるまで、あえて何も言わない。
今度は張り上げず、落とした声で静かに切り出す。
「まずは、グラントリー主教、ベージル祭司。これまで竜を見たことはありますか?」
間を置かず、グラントリーが強くうなずく。
「もちろんです。赫竜教では入信後に必ずお姿を拝見します」
声も安定している。この状況でも崩れないあたり、場慣れしているのがよくわかる。
それに、ちらりとベージルへ視線を流し、口元がわずかに緩む。
勝ち誇ったような、余裕の表情。
なるほど“見たことがある側”の優位、か。
対してベージルは、まったく違う。
視線を竜から外さないまま、ゆっくり首を横に振る。
「私は初めて見ました」
声がわずかに揺れている。
無理もない。あれを前にして平然としていろ、というほうが酷だ。
「やはりそうなんですね」
「やはり?」
「それでは始めましょう。まずはグラントリー主教。赫竜教では“竜は世界の創造主”と信じられている。そうですね」
「はい、その通りです」
「しかし、それは間違いです」
メガホンを口に当て、
「竜は、この世界の創造主ではありません!」と、全体へ叩きつける。
空気が揺れ、次の瞬間、赫竜教の列がざわつく。
赤い衣が揺れ、不安が伝播しているのが形で見える。
だが声は上がらない。
抗議も、怒号もなく、ただ揺れているだけだ。
一方で、城壁の上は違う。
抑えきれなかった声が、ぽつぽつと漏れる。
「何を言ってるんだ、あいつは」
そんな断片が風に乗って届く。
赫竜教の教義など知らない連中なら、その反応は正しい。
「いったいなにを根拠に教義を貶めるような発言をするのですか」と、グラントリーが眉間にしわを寄せている。
不満を押しつぶしたような声だ。
感情を爆発させないところは、さすが主教といったところか。
俺はメガホンから口を離し、背後を親指で示す。
「そこにいる竜に聞いたのです」
視線が、一斉に流れる。
竜は動かない。ただそこにいるだけなのに、全員の意識を引き寄せる。
「まさか、そんな……、竜と会話できるのでしょうか?」
「静かに待つ竜を見て、薄々気づいていたのではないですか。もちろん、ここに来るようお願いしたのは俺です」
「ああ、なんということでしょう……」
グラントリーは竜を見ながら顔を蕩けさせる。まるでアーティストの握手券を手に入れた熱狂的なファンのようだ。胸の前で組んだ手が震えている。
「グラントリー主教。聞きたいことがあるのなら俺が通訳します。“はい”なら首を縦に、“いいえ”なら首を横に振ります」
「えっ? 質問ですか? えっと……」
完全に不意を突かれた顔だ。
視線が泳ぐ。何を聞くべきか、必死に探しているのだろう。
数秒の逡巡。
やがて、覚悟を決めたように口を開く。
「……それでは、あなた様は生物の頂点であらせられますか?」
無難だが教義の中核だ、聞きたくもなるだろう。
俺は振り返り、
「赤いの。生物の頂点か聞いてる」
竜は、ゆっくりと首を横に振る。動きは小さいが、はっきりとした否定。
「どのような基準で頂点と判断するのか説明を求む」
俺以外には、こいつの声はどう聞こえているのだろう。
「首を振った……。なら違うと言うのですね」と、グラントリーは素直に受け取る。
やっぱり聞こえてないのか。
まあ、そのほうが都合がいい。
細かい話を混ぜると、余計にややこしくなる。
「あの、ユウナギさんが『グガアグガア』と唸り声をあげているのは、もしや、それが竜語なのでしょうか?」
そう聞こえてるのか。ここで否定しても説明が面倒だし、
「はい」と答える。
「そうですか……。人間の言葉は、お分かりにならないのですね」
ほんのわずかだが、表情に残念そうな色が混じる。だがすぐに持ち直し、
「では次の質問をお願いします。あなた様は人間の支配者でしょうか」
いい流れだ。誘導していないのに、聞いて欲しい質問を投げてくれる。
「赤いの。人間の支配者なのか?」
竜は、迷いなく首を横に振る。
「人間に興味などない」
「違うのですね……」
グラントリーの声が沈む。
さっきまでの高揚が、嘘みたいに抜け落ち、今にも泣き出しそうだ。
長い間、信じていた教義が崩れる。それはきついのだろう。
だが、落とすだけ落として終わり、では意味がない。
俺は再びメガホンを口に当て、
「しかし! 竜は不変であり、不死である。その教義に間違いはない!」
声が広がると、押し潰されていた空気が一気に弾ける。
赫竜教の信者たちが、一斉に祈りを捧げ始め、上半身を前後に揺らす。
否定された部分を切り捨てて、残ったものにすがる。
信仰ってのは、案外しぶとい。
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