第102話 潰す相手を間違えている
領主邸の外門を抜けて外へ出ると、早朝の空気がやけに静かで、石畳の道がやたら広く感じる。通りに人影はなく、寒々とした雰囲気が漂っている。
ふと、思い出したくもないクソ禿の、
『赫竜教を潰せ』という言葉が浮かぶ。
その度に、心の奥に溜まる重い何かが濃くなる気がする。
そこへ、背後から駆け寄る足音。
「ユウナギ殿、お待ちください」と、ジュディが息を切らす。
距離は取ったまま、視線だけ向ける。近づく気はないし、近づける気もない。こいつの立場を考えれば、油断する理由はどこにもない。
「竜の巣への案内は済んだだろう。俺に何の用だ」
「閣下に監視役を申し出て、許しを得ました」
「俺に逃げる気はない。まだ理解できないのか」
少しだけ語気が強くなる。自分でもわかるくらいには、棘がある。
「わかっているつもりです。だから、ボクにも何か手伝わせてください」
視線を逸らさず、そのまま俺を見据えてくる。
昨日、あれだけ突き放した相手だ。普通なら距離を取るし、少なくとも、こんな顔はしない。
それでも食い下がるあたり、打算だけではなさそうだが。だからといって信用に足るかは別問題だ。
「少し考える。静かにしていてくれ」
「……わかった」と、小さくうなずき数歩だけ距離を取る。
ちら、と横目が合うが、すぐに逸らされる。
使い道は、ある気がする。
完全に切り捨てるには惜しい。かといって、無条件で引き入れるほど甘くもない。
俺は腕を組み、ゆっくり息を吐く。
「サリー、状況が変化した。あのクソ禿、赫竜教を潰せと言ってきた」と、小声で話す。
「宗教弾圧とかマジでありえない」
「あいつ、シェケルズ教の信徒らしい。敵対宗派を潰したいだけの、感情的で合理性のない小物だ!」
言い切ると同時に、拳を握る。そのまま振り下ろし、マットレスを叩きつけると、鈍い音が柔らかく吸い込まれて消えた。
「いつもの冷静なマスターらしくないじゃん」
「俺だって、抑えきれない時ぐらいある」
「怒りは目を曇らせるっしょ。サリーに目はないけどね」
「……俺は、見えていないのか」
拳をほどき、そのまま膝に落とす。力が抜けた指先が、わずかに震えている。
石畳の先をぼんやり眺める。誰もいない道が、やけに遠く感じる。
「何を……、見落としている。俺を使う理由……。あいつの目的は何だ?」
熱を帯びていた胸が、ゆっくりと冷めていく。それに変わるように、頭が冴えてくるような感覚。
「おっ! ピンク色の脳細胞が踊り始めたじゃん」
「ピンクじゃねえし」
思わず口元が緩む。くだらないやり取りが心の空気を入れ替えたようだ。
ゆっくり息を吸い込み、そのまま長く吐き出す。思考を一度リセットするように、余計な感情を押し流していく。
「あのクソ禿。どうして俺を使うと思う?」
「ん~、例えばさ権力の掌握とか、ありえなくない?」
「赫竜教は恭順の意を示している。従っている相手をわざわざ潰す理由としては弱い。まあ、全ての信徒が同じ意見とは言い切れないが」
「税の収入は?」
「この国に宗教税はない。戸籍を作るとき、アランから聞いた」
「じゃあシェケルズ教から裏金?」
「……あるかもしれないが、調べる術がない。裏取りができない仮説は優先度を落とすしかないな」
「赫竜教が土地を占拠とか?」
「本部の建物は大きかったが、土地は余っている」
「赫竜教が他国と繋がってるとか?」
「それが理由なら、クソ禿は赫竜教を潰す免罪符を既に得ている。わざわざ遠回りする理由がない」
「じゃあ個人的な恨み? 例えば家族が赫竜教に入信しちゃったとか」
その言葉で、思考が一瞬止まる。
……個人。
これまで切り捨てていた要素だ。しかし、
「あの男が家族思いの人間だとは思えないし、思いたくもない。それに、グラントリー主教へ、領主への忠誠を確認した時に、友好的な関係だと説明するネタにするだろう」
「プライバシーを守って秘密にしたかもじゃん」
「……それは、あるな」
うまく整理できない。分析するための情報が少なすぎるのか?
まるでピースの足りないジグソーパズルをしている気分だ。
「それで、赫竜教、潰しちゃうの?」
「ケイシーのためなら世界を敵にしてもいい」
「それ、彼氏に言われてみたいセリフ、ナンバーワン!」
「少し大げさだな」と、言った後にふっと息が漏れる。
「俺は世界を敵に回したいわけじゃない。ケイシーを傷付ける者。そいつが王でも、竜でも、神でも関係ない。俺にとって敵になる。それだけだ。だから無害な赫竜教を潰す理由にはならない」
「デスヨネー。無差別殺人鬼じゃあるまいし~」
ふと、昨日の出来事を思い出す。クソ禿は領主なのに、シェケルズ教の信者に頭が上がらない様子だった。あの態度はおかしい気がする。
……まさか、赫竜教を潰せって、そこからの命令なのか?
黒幕がシェケルズ教なら、先にそっちを調べる必要があるな。
ゆっくり顔を上げると、視界の端にジュディの姿。横目でチラチラとこちらを窺っている。
「ジュディ」
「はい」
食い気味に反応が返る。待っていた、というより構えていた、そんな間のなさだ。
「シェケルズ教へ案内してくれ」
ジュディの目が、はっきりと見開かれる。
「シェケルズ教? 赫竜教へ行くんじゃないの?」
「俺はシェケルズ教について何も知らない。もし異教を潰すのが教義だと言うのなら、潰すべきはシェケルズ教のほうだ」
ジュディの目がさらに大きくなる。驚きというより、測りかねている顔だ。
「ユウナギ殿には……迷いがないんだね」
「ああ。迷う暇など最初からない」
ジュディは一瞬だけ黙り込む。視線がわずかに落ち、すぐに戻る。その短い間に、何かを決めたのかもしれない。表情が締まって見える。
それから、小さく苦笑する。
「案内する。こっちです」
くるりと向きを変え歩き出す。鎧の擦れる音が、静かな通りに控えめに響く。
俺はその背中を追い、石畳の道を進む。
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