6話 シルベスタさんの苦悩
「おはようございます、アルメリア様」
「お、おはようございます。えっと、あなたは家令のシルベスタ様……? で合っておりますよね?」
私の部屋の前で、満面の笑みを浮かべている初老の男性は私が読んだディアブルス様の契約内容から読み取ると、おそらく彼はこの屋敷の家令であるシルベスタ様だ。
「ええ、アルメリア様。それと私に様付けは不要でございます。この屋敷内において、旦那様がご招待されたアルメリア様の方が私よりも立場が上なのでございますから」
「全然そんなことはないと思うのだけれど……」
「良いのです良いのです。それよりもアルメリア様、昨晩はだいぶ疲弊されていたようですがお身体の方はもうお触りはないのでしょうか?」
「え、ええ。お陰様で」
「それは良かった。では私と共にダイニングへと参りましょう。ディアブルス様もお待ちですから」
私が悪魔卿とも噂されるディアブルス様のもとへ来てから一日が経った。
昨晩、ディアブルス様から妻となってほしいと言われ、私は少し考えさせてほしいと答えた。
果たして私なんかのどこにディアブルス様の条件を満たすことがあったのか、さっぱり理解はできない。
ただ、アレを読んでからディアブルス様は噂で聞いていたような人物ではないのかもしれない、と思い始めていた。
と、そんな風に思いながらシルベスタさんの後ろをついていくと。
「アルメリア様はディアブルス旦那様をどうお思いですか?」
突然彼からそんな質問がなされた。
「ど、どうと言われましても……変わった人だなあ、と」
「変わった? 我が旦那様は変わった人だと?」
「ご、ごめんなさい!」
「ああ、いえ。変わってるのはわかっているので良いのですが、それよりも他に気になるところはございませんでしたか? ほら、顔とか」
「顔……ディアブルス様は私にお顔を見せてはくれませんでした」
「はい?」
「私に背を向けて、妻になってほしいと仰っておりましたから」
私がそう答えると、シルベスタさんは少しの間を置いてから深い、深いため息をひとつだけついた。
「……ひとつ、お願いがございます」
「な、なんでしょう?」
「どうかあの愚かな旦那様の願いを聞いて欲しいのです」
仕える主人に対して愚かなって……と、思ったがそこは黙っておいた。
「えっとそれはつまり、私に結婚しろ、という意味ですよね?」
「はい。アルメリア様の意思も尊重したいのですが、旦那様は今年でもう27。高位貴族の中でも行き遅れもいいところでございます。そろそろ世継ぎのことも考慮しなくてはならないのに、旦那様ときたら仕事のことばかりで女性関係にすっかり疎くなってしまわれたのです。だから、ぜひアルメリア様に旦那様の妻になってほしいと私は願っておりますのです」
「そんな……どうして私なんかが?」
「お話には伺っております。アルメリア様には執務に関する天賦の才を持つと。それはまさしく旦那様の理想とするところなのでございます」
「え、え? て、天賦?」
「はい。これまでにあの旦那様の契約書類をそもそもきちんと読んだ方は初めてでございます。それだけでも驚異的なのです」
確かにあの契約書類にはものすごく細かく丁寧に詳細に様々な内容がびっしりと書き込まれていた。
けれど、私にはそれを読み尽くすことが普通のことだと認識していた。
私はそうやって育ってきたし、文字を読むことも書くことも凄く好きだからだ。
「たったそれだけで……」
「それだけ、なんてことはございません。あのお馬鹿な旦那様は限度、というものを弁えておらず端から端までがちがちに文言を詰め込んだ契約書類を作り、それを読ませるという苦行をご令嬢たちに強いさせておりますが、どなたもアレを満足に読了した方はおりませんでした」
「それは……それはみんな、ここに来た時にはそれどころじゃなかったからではないかしら?」
多くの令嬢たちは悪魔卿、ディアブルス様のもとにやって来た日には今後の自分の身に起こることを想像して怯えて震えていたと思うし。
「そうだとしても、私でさえも一行目を読んだだけで燃やしてしまいたくなるあのクソみたいな書類を、どうやってあれほどの速度で読み込んだのですか?」
クソみたいなって……この人本当にディアブルス様の家令なのかしら?
「どうやって、と言われましても……その、普通? に?」
「……やはり才ある者たちの普通とは恐ろしいものです。さて、アルメリア様、着きました。こちらの大扉の先がダイニングとなります」
そう言って扉を開いてくれたシルベスタさんに、お礼を告げて、私はダイニングのテーブルを眺めた。
大きいッ!
それが第一の感想だった。
フィンガロン邸はとてつもなく大きいとは聞いていたけれど、このダイニングだけでも王宮よりも大きいわ。
「おはようアルメリア。好きな席に着くといい」
非常に大きなダイニングテーブルの奥にてディアブルス様がそう声をかけてくれた。
私はあまり遠すぎる席では失礼かと思い、ディアブルス様のお顔と声が届きやすい位置でかつ対面からは少しずらした所の席につく。
「あの……ディアブルス様、失礼ながらそれは……?」
「これは仮面舞踏会用の仮面だ」
「な、何故そのような物を?」
「……私は先に食事を終えている。だから仮面を付けていてもなんの問題もない。コーヒーをすする為に口元は少し開けている仮面だからな。この仮面は特注でお気に入りなのだ」
「は、はあ」
本当に変な人だわ。
食事を終えたからといって仮面を付ける人なんているかしら。
耳をすますと少し離れた場所からシルベスタさんのため息が聞こえてくる。




