第6話:東豊学園機密事項ファイル・閲覧には最高権限が必要です
「……鍵が、開いている」
榎本の自室となっている教室の引き戸へ手を掛けた瞬間、そんな情けない声が漏れた。
今まで俺や橘が何度声を掛けても開いてこなかった天の岩戸が、こんなにも簡単に。
朱音と目を合わせると、彼女は小さく首を縦に振る。
今思えば別に朱音に許可を取るまでもなかったな、と自分の中で小さな反省をしながら、ノックをすることなく戸を一気に引いた。
大きな音を立てて開く教室の扉。
しかしその教室の主……榎本ちあきは自らのベッドの上に腰を下ろした状態で虚ろな目を浮かべながら俯くのみで、その物音に意を介している様子はまったくない。
そればかりか明るく艶のあった茶色い髪はすっかり伸びきっており、日頃から掻きむしっているのか前髪は羊の毛のように絡まってしまっていた。
だが、身体の僅かな揺れや瞬きが、そんな瀬戸際にいてもなお辛うじて生きてくれていることを伝えている。
ひとまずは、命があるだけでも僥倖だ。
しかし、状況がそう明るくはないことだけは確かだ。
遮光カーテンで閉ざされた室内へ踏み入るとともに、室内に淀んだ薄暗く埃っぽい空気が一気に鼻腔へと流れ込む。
彼女のサイドテーブル、そしてベッドの前に置かれた授業用机の上に置かれた食べかけの食事が二食分目に入る。
おそらく、一緒に飯を食っている時に朱音が大急ぎで俺のことを呼びに来てくれたんだろう。
俺は入口に積まれていた椅子の一つを手に取り、榎本の斜め前あたりにそっと置き、その上に腰掛けた。
朱音も自分の食事が乗った机をどけ、榎本の前に背筋を伸ばして座る。
しかし場には無言の時間が流れるのみで、静けさのあまり俺の高鳴った心臓の音がいやに聞こえてくる。
……このまま何か彼女の方からアクションがあるとは思えないな。
俺の方から声を掛けるとするか。
「久しぶりだな、榎本。体調は大丈夫か」
「藤原くん……。体調は、大丈夫だけど……委員長になって、忙しいのに。ごめんね……」
――委員長。その言葉が、榎本の口から出るだけで胸が締め付けられる。
俺や橘よりも一つ年下の彼女が、「委員長! 委員長!」と無邪気に圭介に懐いていた姿を今でも思い出せる。
「いや、ちょうど仕事に一区切りついたから来ただけだ。心配するな」
「……嘘つかないでください。圭介委員長ですら、日中は暇な時間なんてぜんぜん無かったのに」
「……」
喋り方。態度。外見の荒れ具合。
この世界になってからでも、辛さを覆い隠すように絶えず浮かべていた笑顔もどこへ行ってしまったのか。
本当に何もかもが、変わってしまっている。
――俺も、もしも朱音が死んだらこうなってしまうのだろうか。
心の支えがなくなって、何もかもがどうでもよくなって、自分のことにすら気を遣わなくなって。
死が隣り合わせのこの世界、大切な人間の死は以前にも増して他人事ではない。
そのことを忘れないようにしなければ、と自らの脳髄へ刻み込む。
だが、状況はとりあえず「最悪」のそれではなさそうだ。
自傷行為に走っているわけでもなし、激しく気を病んではいるようだが話の受け答えも出来ている。
とりあえずは軽い話から始めて彼女の内心を探っていくしかないな。
「前々から給仕の報告は受け取っていたが、どうやら食事には手を付けてくれているみたいだな。きちんと食べないと生きられるものも生きられないが、とりあえず安心――」
「妊娠しましたっ……!」
「…………………………………………は?」
――少しずつ探っていく。そのつもりだった。
あまりの驚きに呼吸が止まる、とはまさにこのことを言うのだろう。
まるで絶対零度の風にでも当てられたかのように全身の筋肉が凍りつき、半開きになった口を閉じることも、言葉を紡ぐことも、ただの一度の瞬きさえも出来ない。
巡る思考。可能性。万が一。
その一つ一つを、どの道筋で辿っても、その全ての終端がたった一つの結末を導き出していた。
神谷圭介との子どもが、榎本ちあきの中にいる。
その答えをようやく受け入れた瞬間、俺の右顎に衝撃が走るとともに全身の硬直が解けた。
見たこともないような形相を浮かべた朱音が、俺の顔面へ向けて拳を叩き込んできているのを視界の端で垣間見る。
宙を舞った俺の身体は、そのまま床へと転がり込む。
「英治……見損なったわ! 何よその反応! 優しい言葉の一つでも掛けてやれないわけ!?」
「芹沢先輩っ、やめてください!」
「ちょっとちあき、なんであんたが止めるの!? だってあいつは――」
「違うんです! これは私とこの子だけの問題じゃないんです……! この子のことが漏れれば……何千人もの人々の命が脅かされるかもしれないんです……!」
「……え?」
視界がふらつくなかで、手を突いてなんとか起き上がる。
朱音に手を出されたことに対する混乱が無いわけではないが、これは自業自得。
自罰を代わりに朱音が執行してくれたと割り切って、俺は彼女らの方へと向き直った。
「三つだ。まず、朱音の言い分はもっともだ。今の俺の反応は下の下もいいところだった。まずそれについて謝りたい。すまなかった、榎本」
「……いいんです。私ですら、この子のことを呪いそうになったんです。今更委員長のことを責めることなんて……」
私ですらこの子のことを呪った。その言葉にうろたえる朱音。
まあ、この反応が普通の反応だろう。俺や榎本の感覚が麻痺しているとすら言えるかもしれない。
「二つ、榎本の言う『委員会そのものが脅かされる』というのもその通りだろう。そして三つ、その政治的な後始末まで、お前が気にすることじゃない。それは俺の責務であり義務だ」
「そうは、言いましても」
榎本はそのあと何かを口にしかけたが、唇を閉じるとともにそれを呑み込んだ。
意識してかそれとも無意識か。榎本の手は、その腹部へと添えられている。
「……二人とも。あたしも騒ぎ立ててごめん。けど、なんでそんなに身構えるのか分からないの。教えて、英治」
冷静さを取り戻したのか、拳を固く握りながら説明を求める朱音。
――これを朱音に言うべきか、言わないべきか。
しかし、ここまで知られてしまった以上、隠す理由もメリットもない。
事の重大さを理解できた方が、口を固く噤めるだろう。
倒れた椅子を立て直して再び榎本の前に座り直すとともに、朱音も俺へ向かい合うように掛けた。
「まず朱音は榎本の中にいる子が誰の子かは分かっているか」
「神谷くんとの子どもだよね、多分」
「はい、委員長との……って言うとややこしいですね。圭介さんとの子で間違いありません」
初めてきっぱりと断言するとともに、再び視線を下に落とす榎本。
やはり、彼女の前でこんな話をするのは酷ではないか。
そんな考えが頭をよぎるも、これは彼女の安全にも関わる。
今は耐えてもらうしかないと割り切り、その理由を紡いでいく。
「朱音、帝国との停戦で東豊が何を差し出したか分かるか」
「えっ? 確か奴隷がどうのってのは聞いたことがあるけど……」
「いや、それは講和だ。停戦は戦いをやめる取り決め、そして帝国は停戦の条件として圭介の身柄の引き渡しを三月一日に要請し、そして三月三日に処刑した。このスピード感、どこから情報を掴んだのかは分からないが、是が非でも圭介というカリスマを消したかったと見るのが自然だろう」
「で、でもなんでそれと今の状況が関係してくるのよ?」
「……源氏と平氏の話をするのが分かりやすいだろう」
頭上に疑問符を浮かべながら「ゲンジとヘイシ? 源頼朝とかの話?」と問いを漏らす朱音。
理系選択だった朱音がすんなりとそこにたどり着けるか不安だったが、どうやら杞憂だったようだ。
「ああ、まさにその話だ。平清盛と頼朝の父、源義朝が争った『平治の乱』という騒乱が昔あってな。この騒乱に清盛が勝ち、義朝は家臣に首を切らせて自害。だが、清盛はその子である頼朝を見逃し、島流しだけで済ませた。そして大人になった頼朝は、父義朝の威光と平氏による政治への不満から兵を募り、平氏を討った」
「……! まさかだけど、そうならないためにこの子が殺される可能性があるってこと!?」
まだ最後まで話し切っていないが、椅子から立ち上がり目を大きく見開きながら驚きを口にする朱音。
全く、理解が早くて助かる。
「ああ、しかも消されるとなればその子だけじゃない、圭介の恋人であった榎本もろともだ」
「で、でもこの子がそんなことをするかは分からないじゃない! 自警団に入ったりしないように教育すれば――」
「いいや、その子の意思はもはや関係ない。反帝国の象徴として神谷圭介という指導者の神話とともに担ぎ上げられてしまう。それだけ、東豊におけるあいつの功績というのは大きい。いや、大きすぎるんだ」
この消失世界において、「東豊という共同体に属せば飢えずに済む」という衝撃は、例えようがないほどに大きすぎる。
そしてその功績は創設と立ち上げを自らの手で行った圭介へと帰結する。
指導者が俺に交代しようとも、そして圭介の神話を帝国がどれだけ抑圧しようともその功績は口伝で残るだろう。
そして、奴隷や食料の貢納に対する不満が噴出したとき、その神話と実体として存在する「圭介の子」が担ぎ上げられることは予想に容易くない。
「……これは皮肉な話だが、俺ならその情報が判明し次第暗殺する。そして帝国の頭脳も俺と思考が似通っている。だからこの妊娠はただの妊娠とは比べ物にならないほどの苦しい道を――」
「藤原先輩。話を終わらせようとしないでください」
腕を組み、これからのことを考えようとしていたところを榎本に呼ばれて立ち止まる。
彼女の方へ目を向けるとどこへ視線を向けるでもなく、けれど眉間にシワを寄せながら目だけには力が宿していた。
「まだ、一番大事なことを話していません。なんでこの子がこの委員会を危険に晒してしまうのかを」
「そ、そうよ! なんでちあきとその子が危険な目に遭うかってことしか、まだ話してないわ!」
朱音もそれに気が付き、俺へ仁王立ちしながら「説明してちょうだい」と圧を掛けるばかりか、榎本ですらそれに乗っかり俺へ視線を向けてくる。
さすが、橘を押し退けて委員長継承の第二候補に入っていた女なだけのことはある。
彼女の鋭い勘の前にやりにくさを感じると同時に、その鋭さが彼女自身を傷つけていることに無言の同情を向ける。
「先輩が、危険に晒すんですよね。委員会を」
言い渋る俺を目の前に、淡々とそう口にする榎本。
組んでいた腕を解いた朱音が、愕然したと言わんばかりの表情を浮かべながら榎本の方へと向き直った。
「ちょ、ちょっとちあき!? 英治がそんなことするわけないじゃない!」
そうやって俺のことを擁護してくれている朱音の横で、俺はというと言葉を失っていた。
そこまで言うか、そこまで踏み込むか、と。
だが、ここから先のことを榎本に言わせるわけにはいかない。
「榎本、それ以上はいい。そこから先は俺が——」
「それは、先輩が私のことを殺せないから……ですよね」
そう言いかけた時には、すでに手遅れだった。
榎本の表情は変わっていない。けれど、自分の腹部を撫でる手が。薄黄色く汚れたシャツを、固く、固く握り込んでいる。
「先輩は、私を殺せない。先輩は、私を帝国に突き出すことができない。先輩は、私にこの子を諦めろと言うことができない。挙句の果てに、この子のことが帝国に漏れてしまったら。委員会を危険に晒してでも私たちのことを守ろうとしてしまう……違いますか、藤原先輩」
「……………………そうだ」
一度、深い呼吸ができるほどの沈黙のあと。俺は乾いた口から発した短い言葉で、その事実を認めた。
「ひとえに、俺の弱さが良く現れているせいだ。見知らぬ誰かが奴隷として連れ去られる文書にサインができるのに、条約に反対する厄介な身内一人牢にぶち込めない。水に溶かして誤魔化していた未熟さが、またこういう形で析出したに過ぎない」
東豊が全札幌支配を代理することになったとはいえ帝国の従属下。
現実的に、帝国に対して我を通し続けるだけの強さは今の東豊にはありはしない。
かといって帝国に従順な行動をし続けられるほど、俺は悪魔になりきれてはいない。
そうやって淡々と事実を認めようとしている俺の前に。
再び腕を組んだ朱音が、俺のつま先から拳一個分ほどしか離れていない位置に立ちはだかる。
「あたしは政治とか、未熟とか、そういうのは何も分からない。でも、一つだけ言わせてちょうだい」
彼女はそうこぼしながら再び組んだ腕を引き締めるなり、はっきりとした声で俺へ言葉を投げかける。
「あたしが言えるのは、弱い男について来た覚えはないってことだけ。具体的にどうするのかじゃなくて。この先何を守ってくのか、何を大事にするのか。それを教えてくれなきゃ、あたしはあんたんとこから出てく」
……こんだけ重要な判断に直面してる奴にそんなこと言うかね、普通。
端から見たら慰めや救けにすらなっていないどころか、追い込まれる判断に拍車を掛けているようにしか見えなくても不思議ではない。
事実、彼女の後ろで榎本が「何もそこまで言わなくても」と言わんばかりに、左腕を伸ばしながらその手先を震わせている。
だが、それでいい。それでいいんだ。
俺に必要なのは、うずくまってる時に撫でて抱きしめてくれる人じゃなく。
その尻を叩いて無理やり前に進ませてくれる人間だ。
「ふっ……」
何が面白いのか自分でも分からなかったが、鼻で小さく笑いながらその場から立ち上がり、教室の閉め切られたカーテンへと歩み寄っていく。
その様子を、朱音は眉に力を込めながら眺めていた。
「なあ、朱音。この仕事はどっちを選べば済むなんていう単純な仕事じゃない」
俺は分厚いカーテンに手を掛けるなり、開かずの扉をこじ開けるようにカーテンをレールに滑らせた。
いつの間に晴れたのか、春の午後の陽気な光が一気に室内に取り込まれ、室内に舞った埃が光を反射し、幻想的な空気をその場に漂わせている。
その勢いで窓を一気に開けるなり、淀んだ空気とともに埃が一気に外へと流れ出る。
「全部だ。全部、やる」
振り返り、すっかり明るくなった室内を見渡す。
煤ですっかり汚れた暖炉、ゴミの山、垢や煤で汚れた榎本の制服。よく、こんなところで一ヶ月も耐えた。
気づいてやれなくてすまなかった悔いとともに、俺は言葉を紡ぐ。
「友人も救う。委員会も危険に晒さない。今は無理だが、その友人が堂々と子どもを育てられる環境も作る。全部、やらなくちゃならない」
我ながら、とんでもないことを口にしている自覚はある。
だが俺の目指す先は更なる無理難題、これくらい朝飯前と言えずに何が男だ、指導者だ。
「朱音。選べと言われたのに、胸を張って『全てだ』と返す男は嫌いか」
はじめ、きょとんとした表情を浮かべていた朱音は、俺がそう口にするなりその口角をゆっくりと上げた。
その足先は、俺の方へ飛びつきたいと言わんばかりにそわそわと震えている。
朱音も榎本の目の前でそれをするのは厳禁だというのを自覚しているのか、実際にこちらへ飛び込んでくることはない。
ひとまずは満足してもらえただけで十分だと割り切り、次は榎本の方へ視線を向ける。
「榎本。まず一つ、謝らねばいけない。今の東豊では、その子を堂々と育てることはできない。大半の東豊の人間にすら徹底的に隠蔽……特に圭介との子だってことは隠した上で育てることになる」
「いえ、それは……」
「謝ってくれるな。これから母になろうという人間に、あまりにも非道なことを突きつけているのは他ならない俺だ」
これは俺の責任であって、謝られる道理はありはしない。
榎本にはそんなことよりももっとやるべきことがあるはずだという確信のもと、続きを口にする。
「俺も、よくこんなところで一ヶ月も耐えたと思う。だが、お前がやるべきことはこの委員会の未来を憂うことじゃない」
「先輩……でも、私は……委員会の部門長で……」
「榎本」
震える両手で頭を抱え込もうとしている彼女の名を呼び、再び俺の方へ向き直らせる。
今やるべきは塞ぎ込むことじゃない。
榎本にしか決められないことを決めてもらうべきだ。
「難しく、考えるんじゃない。お前が決めるべきは圭介との子を育てたいか、育てたくないか。その一つだけだ」
なかなか酷なことを口にしている自覚はあるが、こうなった人間に難しい判断を迫るべきじゃない。
単純な、けれど一番大事な判断を任せるべきだと俺に教えたのは……確か、圭介だったか。
何から何まであいつだな、と内心で笑いながら改めて彼女へ向き直る。
俺の言葉に、榎本はまた右手を腹に添えた。
さっきとは打って変わって、優しく我が子を撫でる素振り。
「私から、迫ったんです。圭介さんが、帝国への対策に奔走して、身を粉にして働いていたあの時期に。そうやって繋ぎ止めておかないと、どこかへ離れていってしまう気がして」
——事実、それは杞憂なんかじゃなかった。
そうやって繋ぎ止めてもなお、あいつは全てを振り払って遠くに行ってしまった。
俺としては今すぐ圭介を蘇らせたうえで「お前が父としての責任を取れ」とその尻を蹴り上げてやりたいところだが、現実そうもいかない。
「この子は、圭介さんが残してくれた最後の贈りものなんです。だから、だから……」
眉間に強く力を込め、ベッドに腰を落としたまま強く、強くうずくまると。
次の瞬間には顔をくわっと上げ、自分のしたいことを、確かに口にした。
「私は……この子のことを諦めるなんて……できないっ!」
そう言う彼女の目の端に出来た涙粒が、また一つ、また一つとこぼれゆく。
今まで、ずっと抑え込んできたものが。さっきまでは俺や朱音の前でさえ、「鋭い女部門長」の仮面を被っていた彼女が。
ただこの瞬間だけは、齢十七にしてあまりにも重すぎる判断をした果てに涙腺を緩ませた、たった一人のいたいけな少女でとして、そして母として解き放たれている。
その横に立つ朱音も、榎本の名前を呼びながら手のやり場に困り果て、ただ圧倒されている。
事実、俺も榎本の立場ならそんな判断ができるかなんて確信は無い。
「なら!」
俺は榎本の方へ半歩ほど歩みを進めると、わざとらしい手振り身振りをした上で彼女へ語りかける。
「今、榎本がするべきことは身を清め、食事をし、表に出られる間に身体を動かすことだ。今は、それがお前の役目だ」
「はいっ……はいっ……!」
榎本は、そのあともどれほどの間か泣き続けた。
今までの分を、全て清算するように。
俺たちは、彼女が自分で立って歩けるようになるまで見守るように、ただ黙って眺め続けた。
だが、それにつられて朱音も目に涙を滲ませる一方で、俺の固く、固く握られた拳だけが。
すっかり空気の入れ替わったこの教室で、僅かな震えとともに別の感情を解き放っていた。




