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第5話:次の頁《ページ》へ

 二◯二六年四月十日。その日の道央の天気は曇天であった。

 

 消失からちょうど一年を刻むその日を何の日と捉えるか、各々によりその認識は異なる。

 しかし、俺はこの春の始まりであるはずのこの日を「冬の始まり」と以外記憶しえないだろう。


 北海道、恵庭市。

 旧文明時代に結婚式場として使われていたと思われる、重厚な大理石と尖ったアーチが特徴の教会のような建築物。

 本来式場を貫くはずのレッドカーペットは敷かれておらず、左右の長椅子に座るスーツ姿の参列者たちの表情も緊張で満ちている。

 片手に持ったハンカチを額から離さない者、小さな声で何かを耳打ちする者、足を組んで余裕そうに振る舞う者。

 

 そんな参列者が立ち並ぶ長椅子の最前列には、最近になって「帝国宰相」となった、見覚えのある青い髪の女の姿もあった。

 

 壁際に配置された帝国兵もまたその面持ちは様々だ。

 無表情で淡々と参列者へ目を配らせる者、参列者と同じ用に緊張に包まれ頬に汗をにじませる者もいる。

 彼らがこの催しを内心で子どものごっこだと一蹴しているのか、それとも重要な儀式であることを自覚しているのか、それは俺には分からない。

 

 だが参列者も、帝国兵も。

 札幌の民も、千歳の侵略者も。

 皆が何かしらの思いを抱きながらこの式に参列しているのだろうということを、その面持ちから自然と読み取ることができた。

 

 式場の中心。

 バージンロードを、札幌を十一に分かつ有力者たちを引き連れながら行進する。

 有力者の中には知っている顔もいれば、あからさまな新顔もいる。

 かくいう俺も、ここ一ヶ月の間に委員長に就任したばかりの新参者。

 以前から比較的顔は知れているとはいえ、委員長の交代に驚いたのは何も東豊の民だけじゃないだろう。

 その前任の委員長が殉職したとあればなおさらだ。


 今日の式典が、もっと言えばこれから始まる千歳による札幌支配がどのような結末をもたらすかは分からない。


 一つ確かなことは、今日ここが歴史の一つの分岐点になるということ。

 そう。歴史上数多くある分岐点の一つであって、ここで終わりなどではない。


 壇上へ登り、参列者の方を見下ろす。

 他の有力者たちは、長椅子の最前列の前に、参列者へと背を向けて整列した。

 彼らですら、その面持ちは様々。

 老け顔で視線が定まっておらず、自信が無さそうにしているのは中央区の指導者。

 無表情なのか、それとも緊張のあまり顔を強張らせているのは江別の指導者だ。

 

 そして、俺から見て最も右に立っている短髪に山吹色の髪をした男……。

 手稲の指導者、下村三千人(みちと)は、こちらへ怨みつらみとも言えるような鋭い視線を向けてきていた。

 ……元よりそうする他なかったとはいえ、東豊は進んで従属を受け入れた。

 

 「東豊は帝国の従順なしもべ」

 そう視線を向けられ、恨まれても仕方はあるまい。


 参列者の面々を眺め終わったタイミングで、式場最奥部の扉がもう一度開く。

 蝶番の軋む音と共に、二名の男がさっきは敷かれていなかったレッドカーペットのロールを転がし、入口から壇上までの一本の赤い河が出来上がった。


 そして、入口から一人の男が式場へと足を踏み入れてくる一人の男。

 茶髪で胸筋の下まであるであろう長い頭髪に、熊皮のコート。

 皇帝、輝井雄御(ゆうおう)。僅かにわざとらしく微笑みながらも、その青い目で俺の方を見つめてくる。

 

 彼が横を通り過ぎるたび、札幌側の参列者たちが微かに肩を(すく)める。

 少し前ならば、俺もそうやって怯えたかもしれない。

 

 雄御が壇上へと登ったその瞬間、僅かに息を呑んだ。

 とはいえ、彼に気圧されたわけではない。

 これから始まる「儀式」への緊張に圧されてのことであった。


 雄御が壇上へ登り、参列者たちの視線を横切るように俺の方へと向いたその瞬間。

 

 輝井雄御へ向け、右膝と右の拳を地面へ突き立て跪いた。

 他の諸政府の長たちも、壇の下で雄御へ向けて同様に跪く。

 

 臣従の誓い。

 東豊を頭とし、札幌はこれより千歳の軍門へ降る。

 その、象徴となる儀式。


 雄御は左腰に携えていた、現代世界には似合わない短剣を引き抜くと、俺の首元へとそれを添えた。

 西欧風の叙任式のような構え。

 だが、それとは違ってこちらから主君へ何か願いを乞うことはない。

 

 千歳はただ黙々と支配する。

 供物を供出させ、奴隷を攫い、反乱の目があれば潰す。

 そこには鎌倉のような御恩と奉公も、現代的な対等な外交関係も無い、力による支配。


 だが。

 ここから抜け出す道を諦めるつもりはない。

 

 式場のステンドグラスから、一筋の光が差し込む。

 曇天であったはずだが、お天道様の気まぐれか。

 豊かな色彩の光が、混ざり合いながら壇上へと降り注ぐ。

 図ってか図らずか、厳かな雰囲気が式場を包み込む。

 その陽の光が、何を示しているのかは分からない。

 

 だが俺に出来ることは、皆がこの子どもたちの終末戦争チルドレンズ・アポカリプスを少しでも穏便に終えられるよう尽くすのみ。

 

 僅かに薄めを開け、参列者の席へ目を向けると、この式典の全てを計画した青髪の一人の女……輝井青花が、俺の受けるこの屈辱を味わうように愉快そうな表情で微笑んでいた。


 ……まずは、あの女をどうにかしなければ。



 ******



 二〇二六年、四月十二日。消失後の朝は早い。

 雪解けとともに日の出も随分と早くなり、またそれに呼応されるようにみなが活動を始める時間も早くなる。

 事務、農業、輸送、どこの部門でも大抵朝礼があり、朝食の前に一度朝礼を挟むためどこも日の出とともに一日が始まる仕組みとなっている。


 それは俺たち委員会指導部といえど変わらない。

 だが、大抵の民が学園の寮や空き家となった住宅地に住まっているのに対して、委員会指導部は学園の教室に住まっている。

 昨年、委員会立ち上げ時の半年も続く繁忙期を乗り切るために通勤時間の最短化を狙った結果だ。

 

 住まいとしてはどちらが優れているのかは俺にも分からないが、そこはさすが旧東豊学園。

 断熱完備で夜でもとろ火で仮設暖炉を燃やしていればある程度は暖かく、布団の中で凍えることもなかった。


 そんな自室と言うには少しばかり広すぎる俺達の自室で、二重窓の向こうに広がる、すっかり雪の溶けた札幌を眺めながら制服のネクタイを締めていた。

 紺と緑のストライプカラーで、緑の線を茎に見立て鈴蘭の意匠が散りばめられている可愛らしいデザイン。

 高校制服にも関わらずクリップで挟み込むのではなく首に巻き付けるタイプなのだけは入学当初は煩わしかったが、こうしてすんなりと身に着けられるような技量が手に入ったことだけは感謝だ。


「えーじ、おーはよっ!」


「うおっ!?」


 耳をくすぐるような高い声の主が、俺の背を軽く押す。

 その甘美な響きに振り返ると、そこには長く、豪奢で、朱い髪を持った一人の女性――芹沢朱音がその両手を後ろで結びながら立っていた。


「お、おはよっ……カハッ、ネ、ネクタイが……」


「あっ、ごめんごめん! あたしが脅かしちゃったからね、ほら貸して」


 俺の首元に手を伸ばし、締めすぎたネクタイを緩める朱音。

 白く細い指、しかしその右手には俺と同じ位置に筆まめが出来ている。

 そうやって仕事熱心な証拠に恋人として感動している合間に、圧倒言う間にネクタイをちょうど良い塩梅にまで緩めてしまった。


「ほら……これで大丈夫?」


「ありがとう、助かったよ。礼と言ってはなんだけど、ベッドメイキングは済ましておいたから」


「えっ嘘、言われなくてもあたしやるのに」


「まあ、いつも()()()()()のはお互い様だからな」


「あっ……」


 幾ばくかの間、互いに気まずい雰囲気が流れる。

 

 ……これは、いらんことを言ったかもしれん。

 「コホン」と一つ咳をして、話を互いのことに戻す。いや別に今のも別の意味で互いのことではあったが。


「お、弟くんたちはちゃんと学校へ行ったか?」


「……!? え、ええ行ったわ! それどころか見に行ったらびっくり、あの子たち一人で起きて勝手に準備始めてたのよ!」


「おお、今まで怠け癖しか聞かなかったのに。成長じゃないか」


 お互いが誤魔化しながら会話のような何かを重ねている間に、俺はベージュのブレザーを羽織り仕事へ出る準備を済ませる。

 棚の上に置かれた籠から、綺麗なハンカチを一枚抜き取る。


「それじゃ、俺はそこそろ行くとするよ。昼はどうする、いつもの事務棟の食堂でいいか?」


「あー、それなんだけどね。今日はちあきちゃんに呼ばれてるからそっちに」


「……ちあき? 今、榎本ちあきに呼ばれてると言ったか?」


 ――榎本ちあき。東豊学園自治委員会もとい、東豊学園辺境統政府の農業部門長。

 最近は自室に籠りきりでほぼ顔を見せないが、己の活動のために無許可で仕事を放り出していた鐘巻と違い、今は農業部門長としての権限を俺が指名した農区長へ全委任し休職中。

 

 その彼女が朱音と一緒にご飯だって? 自室から出てくることすらほぼ無かったのに?


「まあ、えーじが驚くのも分かるよ。神谷くんが亡くなってからずっとあんな調子だったし」


 ……圭介の生前、恋仲にあった二人。圭介が亡くなって以来喪に服し、誰と会うことも拒み始めてからもう一ヶ月以上が経つ。

 ()鹿()()()()を考えていないかだけが心配だったが、朱音が会ってくれるのなら一旦は心配要らないだろう。


「そうか、また話を聞かせてくれ。無論、話せる限りでいいからな」


「分かったわ、あたしの方からもいろいろ聞いてみる」


 ……本来ならプライベートを人づてに聞くのは好きではないが、今回は事情が事情だ。致し方あるまい。

 彼女の頬に口づけをし、見送られながら自室をあとにした。

 

 しかし喪に服し気を落とすだけならまだしも、誰と会うことも拒むとは。

 今に始まったことではないが、いったいどういう風の吹き回しなんだろうか。


 ……榎本が少しでも早く立ち直ってくれると、委員長としても、そして友としてもありがたいんだが。

 

 

 ******



 札幌の春は遅い。

 どれほど遅いかと言えば、本州の人間に「札幌の桜が咲くのは入学式が終わったあと」という事実を突きつけると驚かれるほどには、札幌の春は奥へ奥へとずれ込むのだ。

 

 今年はもう日陰以外の雪は融けきったが、寒波が激しい年であれば四月の中頃まで雪が積もっていることも珍しくなく、雪が融けねば畑で作業をすることは出来ない。

 そのため畑での農作業の開始は雪解けを待つことになり、当然その分一年の間の畑作期間は短くなる。


 しかし、だからと言って一年の仕事量が減るのかと言えばそうではないばかりか、むしろその密度は高まる。

 当たり前の話、畑作の出来る期間が短いからと言って人間の燃費がいきなり良くなるわけではない。

 短い期間で、なるべく多くの面積から作物を作付けし、そして冬籠りのために蓄えなければならない。


 そんな年中続く繁忙期の始まりに東豊はいるのだ。


 

「お会い出来て嬉しいです、藤原委員長」


 東豊から馬を歩かせて豊平川の東へ渡り、十数分いったところにある耕作地の中心部。

 旧文明時代には牧場や畜舎として使われていたらしき、トタン製の小さな小屋の傍。

 そこで愛馬こひばりの背から降りて帽子を外しながら、東豊に属するそこら一帯の農区の長、清水農区長と固く握手を交わす。


「お元気そうで私も嬉しいです、清水農区長殿」


「殿付けはおやめください、委員長殿。ましてや脱帽など」


 清水は丸い顔についた口の角を上げ、俺へ満面の笑みを浮かべた。

 帝国による侵略。最近だと「道央北伐」などと奴らが呼んでいる戦争のあと、農業部門長の代理を一時的に務めてもらっていた。

 それだけじゃなく、俺が輸送部門長の時代にはよく肥料や農具、作物の運び込みの打ち合わせをしていたこともあり、これが初対面ではない。


 なんせこの男は帯広の大農園主の一人息子にして、旧文明時代の東豊学園にあった学科の一つ「東豊農学科」の最優秀生の一人。

 消失直後に圭介が真っ先にスカウトしたうちの一人と言えばその優秀さがより際立つだろう。


「ささ、今日はなるべく早く農地視察を行いたいとのことでしたよね。こちらへ、既に準備しております」


 世話係へ馬の手綱を預け、農区長の言うがままに農場の奥へと進んでいく。

 敷き固められていた砂地はいつの間にか僅かに泥濘んだ畦道に変わるなり、仄かに土と雪解けの匂いが香る。

 

 畦道の先には住宅街が見え、そこへ至る道の両側には、土を掻き起こされた畑が広がっていた。

 その上には繋ぎを着て長靴へ足を通した労働者たちが農具を手にして額へ汗を垂らしており、赤いテープの巻かれた帽子を被った班長らしき人物が大声を張り上げて指導している。

 

 畑に深く掘られた溝には雪融け水が滴り落ち、道から遠く離れた別の区画の畑には雪の下から姿を現した黒麦が、その青々とした葉を輝かせている。

 

 ……一つ気になることがあるとすれば、去年に圭介がこうして耕作地を訪れた際は土を弄る労働者たちからもらっていた挨拶が、今年は全くもって聞こえてこないことだろう。

 一部の集団は俺の方へ視線を向けるなり何かをコソコソと話しているが、それは俺の顔がまだ知れていないからなのか、それとも帝国へ膝を屈した委員長に声を掛ける気になれないのかは分からない。


 確かなのは、どちらにしろ今ここで確かめることではないことだけ。

 圭介の求心力が異常だっただけで、着任して一ヶ月の指導者の扱いなんてこんなものだろうと飲み込み、清水農区長へもっと実務的な問いをする。

 

「ここの農区では人手は足りているのか?」


「うーむ、今は足りていますが……夏に近付くと今のままでは無理だと断言できますね。ここから増派されてくる労働者と、更に試験的に導入する牛や馬での鋤引きを用いてなんとか、ってところかと」


「実際の作付けの進行度はどうだ?」


「まだ雪解け水の排水が終わりきってないですからね、終わったところから順次春撒き麦の播種を始めていきますが……冬の間に種麦の選別を終えられたのは幸いでしょう」


「ふむ……」


 予定より少しばかり進行が遅い、とは俺からは口が裂けても言えないだろう。

 帝国からの侵攻を防ぐにあたって志願兵を募り、その後の復興に労働力を回したのは他ならぬ委員会の指導部だ。

 どう足掻いてもひっくり返せない戦力差があったとはいえ、その果てに委員会は敗けたのだから小言を言えないのはなおのこと。


 清水が怠慢であるとも考え難いし、ここで文句の一つでも言えばそれこそ委員会の面目が潰れる。

 ここは彼に任せ、一旦は専門家への放任を行いたいものだが……。


「……帝国への上納ですか」


「ハハ、やはり分かってしまうか」


 乾いた笑いで喉を響かせるも、辛いことに事態はそう単純ではない。

 元々東豊が食わせねばならなかったのは最近になって五千を数えるようになった東豊の民で、その余剰分を札幌全域へ放出して影響力を確保していた。

 だがこれからはそこに帝国の氏族と奴隷計一万五千が加わり、札幌全体で彼らを食わさねばならない。


 条約では六月の手筈になっていたところを交渉でなんとか一ヶ月延長したが、これでもまだ足りないぐらいだ。

 幸い彼らも道央北伐で略奪した分をたんまりと溜め込んでいるからこそ延長を呑んだのだろう、一度目の上納はそこまでの量を要求されはしないだろう。

 石狩の政府が収める海産物、自警団の日常業務である狩猟、そして備蓄してある芋類やカボチャ、秋撒き麦にライ麦まで含めてなんとか間に合わせ得るしかないが……。


「何か手立てはありますか」


「……ないわけじゃない。やむをえん択ではあるが、昨年に続き今年も化学肥料備蓄を解禁する」


「やはり、そうなりますか」


 リン、カリウム、窒素。

 いずれも植物の生育に必須の栄養素なのだが、なんと苦しいことに旧文明の時代ではこれら不足分の全てを化学肥料から補っていた。

 しかもリンやカリウムの原料となる鉱物は外国からの輸入、窒素は大規模な工場での化学合成に依存しており、今の札幌の技術力と物流網ではこれらの化学肥料の自活は文字通り不可能。

 

 幸いなことに旧文明時代の北海道は日本のパン籠、十万やそこらをしばらく食わすだけの化学肥料の備蓄は札幌に存在する。

 その猶予を用い今年から農場内での堆肥や灰のサイクル、マメ科作物による窒素固定に依存した前近代的な農法に順次切り替えていく予定だった。

 

 だが、今は事態が事態。

 一度死んだら終わりのゲームで回復アイテムをケチる馬鹿は居ないのと同じ、あるならあるで使っていかねばならないのだが……。


「委員長殿、お悩みの様子ですがどうかされましたか。何か使えない理由でも」


「ああ、実は面倒事があってな」


 手の届く場所に肥料はある。それだけは確かだが、問題はその持ち主。


「……これは、なかなか厄介なことになりそうだ」


 胃が萎縮する感覚を確かに感じながら。

 俺は遠く向こう、札幌の東側に位置する東豊とは対極。手稲の方の空へと目を向けるとともに、そこに山吹色の髪をしたあの男の幻影を見た。



 ******



 清水農区の視察が終わってから一時間ほどあと、急に曇り始めた空から逃げ帰るようにして東豊の校舎へと戻ってきた。

 旧文明時代であればテレビを点ければ最高峰の教育を受けた気象予報士の天気予報をいくらでも見ることができたが、この世界ではそうはいかない。

 

 普通科、農学科、看護学科、工学科を擁する東豊でも、さすがに気象予報士はいやしない。

 どこかでそういった人材を拾うなり育てるなりせねばならないな、と遠く未来の計画を思い浮かべながら委員長室の扉へ手を掛ける。


「戻った」


 道央北伐前、委員長室へ戻ればいつでもいた圭介へ声を掛けるためについた口癖。

 今は俺がその委員長なのだから意味はないが、かと言って何か不便があるわけでもないゆえ、わざわざ直す必要もあるまい。


 だが、そんな自省とは裏腹に委員長室に先客が居たのを目にする。

 出っ歯におかっぱ頭が特徴の長身の男、橘貴弘外交部門長。俺のデスクのそばでタブレット片手に気難しそうな表情を浮かべ、こちらへ目線を向けている。


「ようやく戻ったか、英治」


「……その様子からして、昼食を済ませてからというわけにもいかなさそうだな」


「そのとおりだ。なんせ、自警団がお手柄を上げちまったからな」


 上着と帽子をコートラックへ掛ける俺を急かす橘。

 ……どうやらまた面倒事か。デスクへと向かいつつ、橘へ冗談交じりに内容を問う。


「なんだ、自警団が熊でも捕まえたか」


「何かを捕まえたのに間違いねえが、今回とっ捕まえたもんは食えやしねえな。その点熊のがまだマシだ」


 なら宇宙人でも捕まえたのかと現実逃避したいところだが、ここまでこれば捕まえたのが人間なことぐらいは分かってしまう。

 緩んだ頬を締め直し、デスクへと腰掛けながらタブレットへと手をかけたが、その情報が纏められているのが書類ではなく電子だったのが嫌に気にかかった。


「……書類じゃなくてタブレットなのはなぜだ?」

 

 元より、東豊では委員会が整備した太陽電池中心の発電設備と、それを用いた書類の電子化を勧めている。

 それは旧文明時代にあったようなスマート化の一環ではなく、もっと単純に電力よりも実体の紙の方が貴重であるからに他ならない。

 とはいえ通信環境のない状況での電子書類は共有や保管に想像を絶するほどの煩わしさがある、事務室やその他部門で広く共有する必要のある文書は書類にまとめるよう言ってあるのだが……。


「そんなん当たり前だろ、こんなもん広めた末には札幌が大混乱に陥るからだ」


 橘の口にした理由に案の定かとため息をつきながらタブレットを起動し、今日付けの名前が記されたファイルを開くと、真っ先に飛び込んできたのは「編集者・自警団長猪木勝郎」の名前。

 猪木は病症に伏していた身、やっと快復して仕事に手がつくようになったのか、また見舞いにでも行ってやらないとなと感涙しかけたが、そんな感情は文書の主題を目にした瞬間に露となって消えた。


 題は「四月十二日午前における、東豊部外者自警団武器庫侵入未遂について」。

 

「……何かの間違いじゃないのか」


「白鳥が現場検証を行ったそうだ。俺も目を疑ったが、あいつが間違えたりするとは考えづらい。偽装する理由もねえしな」


 橘の言葉に耳を傾けるのもほどほどに、書類の内容を読み込んでいく。

 事件は今日の午前九時、俺がちょうど清水農区を視察しに東豊を出立した際に起こったらしい。

 東豊学園の敷地内における東側、武器庫に転用していた古びた体育倉庫へ、木こりに扮した四人組の男女がバールを手に草の生い茂る裏側へ侵入。

 

 そこから通気口を破壊して侵入しようとしたまさにその時、見回りの歩哨に見つかり戦闘に。

 自警団員の指示に従わず、そればかりかバールを手に襲いかかろうととする四人組のうち二人を射殺、二人を制圧ののち捕縛したという。

 幸いなことに自警団側には軽傷者すら出なかったらしいが……。


「なんのために? というかこいつらはいったいどこの人間なんだ」


 帝国が更なる武装制限を求めてくるなら外交チャンネルから訴えかけてくるはずで、元より発生が見込まれていた地下武装組織もここまで大胆な手段に及ぶとも考えづらい。

 だがその答えは、橘がタブレットへと無言で手を伸ばしてスワイプした次のページに既に示されていた。


「……おいおい嘘だろ」


 そこにあったのは「手稲」の文字。厳密には「手稲手工業連合出身であると自供」と記されていた。

 

 傷の手当てをしたやった捕虜が、自ら口を割ったらしい。

 自供はどこまで行っても自供、これそのものは確固たる証拠にはならないが……手稲の以前からの挑発的な行動を考えれば、疑いを掛けるにはあまりにも十分すぎる証拠と言えるだろう。


「なるほどな。通りで報告をしに来たのが橘、お前なわけだ」


「そりゃな、だってこれはただの治安問題じゃねえ、れっきとした外交問題だ」


 手稲手工業連合。札幌の北西部、東豊とは真反対の側に拠点を構える自治組織。

 旧文明時代、そこにあった高専がそのまま自治組織化した、東豊と似たような出自を持つ組織だ。

 そればかりか東豊と同様に発達した物流網と、普通科高校における生徒会である学生会から発展した行政を持つなど、似通うところが多い。


 だが、その最たる違いは生業にある。

 東豊が豊富な農地から食料生産を生業とすることに舵を切ったとするならば、手稲はその組織名に現れている通り手工業を生業とする。

 手稲区の豊富な工業資源と、発達した物流に行政能力を駆使し札幌中から物資を収集、道央北伐前には簡素な金属加工品などを中心に札幌で影響力を発揮していた。


 しかも、頭を抱えるのはまだ早い。

 ただ手工業品を生産しているのであれば模倣すればいいだけのこと。

 東豊にも工学部があり、ボランティアの延長線上ではあるが手工業の芽吹きもある。

 

 彼らが東豊へ敵対的態度をとる際の最たる問題、それは手稲が支配する領域内には、旧文明時代に札幌の肥料事情を牛耳った「道央化学工業」の工場が。

 そしてその工場に併設されている肥料サイロのほぼ全てがそこに集中していることだ。


 その手稲がまさかここまで白昼堂々とテロリズムを思わせる行為に走るとは……。

 胃が萎縮するのを通り越して、そのままあるものないもの吐き出したい衝動を必死に抑える。


「……橘、お前ならどう出る」


「どう出るもなにも、まずは正面から掛け合ってみるしかねえよ」


「まあ、そうなるよな」


 ……下村三千人め。勝手な真似を。

 まあいい、どちらにしろ手稲とは化学肥料のことで話し合わねばならなかったのは確かだ。

 しかし、そのついでと言うにはあまりにも事実が重すぎるな。


「中央区か北区あたりに首脳会談の会場を設け、なるべく迅速に追求するしかないな」


「分かった、今日中に遣いを走らせて手稲へ要請を知らせよう。あとは俺に任せてくれ、英治」


 橘の気遣いに寄り添うように、額に手を当てながら肘を突く。

 出来ることなら対帝国外交と富国化に集中したいところだが、どうにも世間はそうはさせてくれないらしい。


 また要らぬ手間が増えたことに対して吐息が漏れるとともに、視界の端で影が動く。

 

 なんだと思い顔を上げると、委員長室の入口の磨りガラスの向こうに一人の人間が立っているのが見えた。

 曇り空のせいで廊下が暗いからか、その向こうに誰かが立っている以上のことは分からない。


「どうした、何か用があるなら入ってくれ。ノックは要らんぞ」


「し、失礼します」


 慣れていない様子の時点で普段委員長室へ来ない人間なのは分かりきっていたが、どういうわけかその声は俺がほぼ毎日聞いている声。

 軋む音を立てながら開いた引き戸の隙間から覗かせた顔に、思わず目を丸くする。


「……おやおや、これは珍しいお客じゃないか」


 口笛を吹きながら、揶揄うような口調で漏らす橘。


 その声は、豪奢な赤い髪を持った俺の恋人。芹沢朱音へ向けられていた。

 俺との関係を抜きにした委員会の中での役職上、ここへ来ることは無いと断言できたはずの彼女が、今俺の目の前に姿を現していることに思わず首を傾げる。


「英治? いや、委員長さんって言ったら良い? 今、ちょっといいかな。じゃないや、いいですか?」


 慣れてない。かわいい。疲れに染み渡る。

 

 じゃなくてだな、そんな彼女がわざわざここに来ている。

 何か用事があることは確かだが、どういうわけか戸をくぐったあと俺の方を……いや、俺達のほうをチラチラと見るばかりで何も口にしようとしない。


 ……なるほど、そういうことか。

 俺の横に立つ橘へ向けてアイコンタクトを送ると、鼻で小さく息を漏らしながらこんなことを言った。


「フッ……委員長の頼みとあらば」


「恩に着る」


 デスクの上に置かれていた資料を纏めて入口へと向かい、そのまま退室した橘。

 そのドアがピシャリと閉まるとともに、朱音は大きく息を吸い込みながら俺の机へと勢いよく手を突き立てる。


「お願い、英治! 今すぐ一緒に来て!」


「どうした、そんなに慌てて。朱音らしくないぞ」


「あたしだって好きで取り乱してるんじゃないわよ! だってちあきが――」


「……!」


 榎本ちあきの名前を出した途端に、自分の口を手で覆う朱音。

 その瞬間に昼に朱音とちあきが会う予定だったことを思い出すとともに、朱音の肩を引き寄せ彼女の耳元へ口をもっていく。


(榎本に、何かあったんだな?)


(……!)


 視界の端で首を縦に振る朱音。

 

 ……これは、今日の俺の昼飯は抜きだな。

 急いで手荷物と朱音の手を持ち、この部屋から榎本の自室への経路を脳内で思い起こしながら委員長室の外へと飛び出す。


 朱音の様子からして、榎本が錯乱していたか、希死念慮に陥っているか……最悪の可能性としては、榎本が既に()鹿()()()()に及んでいた可能性もある。

 そんな最悪の場合を想定しながら、その手を持っていなければ朱音を置き去りにしてしまい兼ねないほどの歩調で学園の廊下を突き進む。


 


 ――だが、後になってから思えば、その最悪の可能性ですら想定として甘かったとしか言いようがない。

 

 事態は榎本一人の命だけでなく。

 俺や朱音、果てには委員会の民の命を巻き込むにまで発展していたことを、このときの俺はまだ知らなかった。

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