第4話:理想は死なず
***――藤原英治目線――***
議会開催から三日後、三月十一日。
鐘巻の追い込みは俺が想定している以上に、それこそ恐ろしいと言えるほどに上手くいった。
鐘巻の追い込みは俺自らが大々的に工作をするというよりも、要所要所に餌を用意してやりながらあいつ自身の足で自滅を狙った形を狙った。
まず情報を全公開することによって鐘巻の攻撃先を「条約の条文」だけに絞る。
その上で各仕事場の朝礼で条約全文を公表し、大衆の条約条文への怒りを促した。
混乱でこの日は東豊各所で業務効率の低下が見られたが……どちらにしろいずれは負わねばならなかったショックだ、それを鐘巻の自滅に活かせるならば、今切るべきカードだと判断した。
しかも、大衆も馬鹿ではない。
すぐに「東豊直轄領からの奴隷徴発禁止」という条文の有用性に気が付き、倫理面で問題を抱えていることを認識しつつも「私には関係が無い」と割り切ってくれるという予測は、ほぼ予想通りに的中した。
都合の良いことに、それは議会で議決権を持つ人間も同じ。
しかも彼らは「拒否すれば帝国への再占領が待っているかもしれない」ということを分かりきっているがゆえ、大衆よりも深い賛意も示してくれるだろうことも予想に難くない。
あとはそれでもなお諦めない鐘巻を、神谷派そのものが見捨てるのを待つ。
元々はそういう計画だった。
わざわざ強調するからには、思い通りにいかなかったところもあるという話なのだが。
投票に関しては、もはや言うこともあるまい。
鐘巻の長々とした演説や投票の際の牛歩戦術で所要時間が多少伸びたが、賛成二十一票、棄権一票、反対二票という結末で賛成多数で可決した。
俺が輸送部門長だった時代の部下が反対票へ票を投じたことは意外だったが……まあ、可決されることを見越して意見表明として反対へ投じたんだろう、問題はあるまい。
俺の想定通りにいかなかったことは、もう一つある。
そしてこちらの方がある種致命的な想定外となった。
それは、鐘巻が世論へ訴えかける方法が単なる理想主義の流布ではなかったことに他ならない。
想定では二度の議会で行ったような単純な非暴力非服従の訴えかけに一辺倒になるものだと思っていたが……。
まさか札幌と他の道内地域にある格差意識や東豊のエリート主義を使うとはな。
なかなか頭を使うなとは思った反面、それが危うく東豊の崩壊危機を招きかねなかったと同時に、鐘巻への最後の一撃を作り出すことになった。
俺自身は自警団の扱いには細心の注意を払っていたつもりだったが、今回ばかりは白鳥が居なければ危ないところだったのは認めざるをえない。
あいつにはデカい借りが一つ出来た……と言いたいところが、組織は組織。
白鳥へは委員会の人間へ銃を向けた罰として、事務室の文官による所持弾薬数の管理と制限、そして監察下勤務の処罰を下した。
本当なら減給の処罰を下したいところだが、生憎なことに東豊にはまだ給与というものが存在しない。
体裁を保つ必要があることは白鳥も理解しているようなので、しばらくは甘んじて受け入れてもらおう。
「これより、鐘巻祐清の弾劾を開始する」
そして、条約批准の投票から僅か三〇分後。
俺は委員長室の事務机に座り、この三日間を振り返りながら、部屋の中央に立つ鐘巻祐清へ確かにそう宣言した。
事務机の両脇に並べられた四脚の一人掛けソファにそれぞれ外交、事務、自警団、そして出席不可につき空席となった農業部門長の席が用意されているが――そこに輸送部門圧長の席は無かった。
部屋の両脇には実弾の装填された拳銃をショルダーに入れた四名の警護が配置されており、その間に体育館から弁論台として設置された演台の前に、鐘巻が立っていた。
俺でも厳かさを肌で感じ取れる雰囲気の中で、鐘巻の罪状を俺自ら読み上げる。
まず「輸送部門長」という職務に対する不相応。
一つ。帝国との和平締結という急を要する事態において、委員会全体の意思決定を阻害し、帝国による札幌再占領の可能性を露出させたこと。
一つ。政治活動という相当の目的があったとはいえ、委員長に許諾を取ることすらなく、作付けの近付く季節に職務を放棄し政治活動へ没頭したこと。
一つ。札幌の優越意識や東豊のエリート主義を煽り、委員会の意思とは大きく異なる方向へ民心を扇動したこと。
特に三つ目の札幌・東豊のエリート主義は致命的だ。
これが致命的と言える所以は、東豊には江別市や石狩市から逃れてきた札幌にルーツを持つ民が少なくない割合が存在すること。
また東豊の人口四二〇〇に占める、学生としての東豊学園グループ由来の人口はおおよそ二五〇〇ほどと、単独過半数ではあるもののそれ以外のルーツを持つ人間の割合が上回りつつあることの二つにある。
ただでさえ現場では非東豊由来の民に対する余所者意識が蔓延し、仕事の割り振りや配給における分量の不遇など委員会が意図しない弊害が出てしまっているにも関わらず。
そんな状況で鐘巻が下手に東豊のエリート意識を煽る期間があまりにも長い間続けば、それらの対立が加速することは予想に容易い。
しかし、これらはあくまで「解任」の事由とするには十分な罪状。
最後の一つ……厳密には職務に対する不相応ではなく、「委員会に対する罪」がその処罰の重さを何段階も上へ繰り上げてしまった。
「ここからは私、白鳥萬が一時的に進行を務めさせていただきます」
俺から見て最も右手のソファへと腰掛けていた白鳥が、タブレット片手に立ち上がる。
皆がベージュのブレザーを羽織るなか、彼だけが紺色の学ラン……俺が自警団の制服として採用した、東豊学園高等部の一世代前の制服を身に着けている。
「二〇二六年三月十日午後五時ごろ。鐘巻部門長には自警団本部の第二体育館にて、自警団員の反乱を煽りかねない内容の演説を行おうとした疑惑があります」
白鳥が罪状を読み上げたことに対して、鐘巻は俯きながらその錆色の髪で表情を隠すのみで反論も口にしない。
俺はその様子を確かにこの目に焼き付け、白鳥へ目線でサインを出す。
彼がタブレットを何度か操作すると、スピーカーから掠れた音とともに鐘巻の声が漏れ出始める。
『いいか、僕らはザザ札幌だ、東豊だ――ザザ』
『別にザ――ただ明日の条約批准にザザ――関する演説へ向かうだけです』
前者は三月九日、まだ鐘巻の演説に脂が乗っていた時に事務員が行った録音。
そして後が、三月十日に白鳥が鐘巻を阻止した時に、彼が胸ポケットにこっそりと忍ばせていたスマホで録音したものだそうだ。
俺が事態の深刻さを知ったのも、この録音がきっかけだった。
あまりに突拍子がなさすぎるがゆえに偽造を疑ったが、該当時間に自警団本部へ足を運ぶ鐘巻の目撃情報多数。
そして何より、白鳥を始めとした自警団にこの情報を偽造する理由がないことが決め手となり、さすがの俺も事実を認めざるをえなかった。
「……鐘巻部門長、この発言に覚えはありますか」
白鳥の問いに、しばらく黙り込んだあとに「はい」と小声で述べながら首を小さく縦に振る鐘巻。
……反論なし、か。
少しは反意を示すと思っていたばかりに、少しばかり意外に感じる。
俺の右手に立っている白鳥副団長、そして左手に座している橘外交部門長へ目を配る。
黒川事務部門長は……相変わらず小さな十字架を手にしながら何かを聞き取れない声量でぶつぶつと述べているばかりで、特に反応が得られそうにない。
鐘巻からの反論が無いならば処罰は一つのみだ。事前に俺の中で決め、誰にも共有せずに居た筋書きをたどり始める。
「……鐘巻。ひとつ、聞きたいことがある」
俺が言葉を発するとともに、白鳥は自らが役割を終えたことを読み取りその場へ着席する。
事前の筋書きとは異なることを俺が口にしたこともあってか、橘は俺の言葉に眉を寄せた。
「お前はなぜ、理想を語りながら、あんな現実的な手段に手を出した。しかも札幌中心主義や東豊のエリート意識を煽るような、汚れた手段にだ」
「……分からない。ただ、自分の正義のためなら何をしても良いって思った」
――分からないも何も、それが全てじゃないか。
そう思ったが、困難な状況では人間という生き物は自分の思考の整理がついているかすら分からない。鐘巻も、そんな状況にいるんだろう。
「……神谷圭介も同じだった」
俺が口にしたその言葉に、顔を上げる鐘巻。
黒川が何かを唱える声が消え、場はしんと静まり返る。
「あいつは、理想に熱い男だった。あいつが生きていたら、お前と同じように難色を示したと思う」
なぜ、今更そんなことを。
首を傾げる鐘巻の表情は、そんな疑問を訴えかけてきている。
「ただ、あいつは理想を唱えつつも手段を考えるのはやめなかった。あいつが具体的にどう動くかは俺には分からんが、あいつなら安易な手段に逃げることはしなかっただろう。それは鐘巻。お前にも分かるはずだ」
鐘巻はまっすぐと俺の方を見上げ、口をぽかんと開けていた。色を失っていた鐘巻の瞳から、だんだんと色が取り戻される。
「……明日までだ。今が十三時だ、明日の朝九時までの二十時間で荷物を纏めて江別の方へ出立しろ」
「えっ」
拍子抜けた反応をする鐘巻を置き去りにするように、橘が反射的に立ち上がる。
バランスを崩した橘の椅子がガタッと大きな音を立てるものの、彼は「……大丈夫だ、続けてくれ」と漏らしながら席へとついた。
……話を鐘巻へ戻す。
こいつの今の拍子抜けた反応は、おそらく処罰の重さに対するものじゃないだろう。
むしろその軽さに起因するような反応に見えた。
まあ、昨日は数分に渡って拳銃を突きつけられていたと聞く。
ならば命の一つでも取られるのではと思うのは不思議じゃない。
事実、俺も一時期その方向で頭が一杯になっていたわけだしな。
「友好政府・江別共和国で教育支援の打診があった。江別は行政制度すら未熟ゆえ、その難易度は東豊と比べれば想像を絶するだろうが……お前をそのポストへつけることにした。無論、輸送部門長は解任だ」
彼はもはや、解任という言葉に反応を示すことをしなかった。
その表情は今目の前で言い渡されている処罰の処理に必死で、その意思を導き出そうと口元がもごもごと独りでに蠢いている。
「帝国との合意で、東豊の市民権を持っていれば境界の外へ出ても奴隷徴発から保護されることが、昨日橘外交部門長と帝国代表団との間で行われた予備交渉で確かになった。帝国から身の安全を侵される心配もない」
「……なんで」
震える口元から絞り出したのは、その意図を問う言葉。
俺が委員長・藤原英治でなかったのならば、今ここでその意図を口にしていただろう。
だが、生憎なことに俺が俺という私人で話せることにも限度がある。
「さあな。俺が話せるのはここまでだ、あとは自分で考えろ。それがお前への罰だ」
変わらず口元をわなわなと震わせる鐘巻。
ここで結論は出ないだろう。だが、それでいい。今は結論が出なくてよいのだ。
警護へ目配せをすると、彼らは鐘巻のもとへ近付き室外へと案内する。
鐘巻はドアのレールを踏むその時まで、首を後ろへ回しながら俺の目から目線を外さなかった。
警護たちも、前を見て歩かない鐘巻へわざわざ注意を促すこともない。
そして、鐘巻がドアの向こうへと渡った瞬間。
俺は鐘巻の名を呼び、それを引き止めた。
「……一つ、大事なことを忘れていた」
これは、せめてもの手向けだ。
圭介が学園を去る最後の瞬間、彼が俺へ向けた言葉を思い出し、それを口にした。
「風邪ひくなよ」
******
同日、午後五時すぎごろ。
今日の職務を終えた俺は、銀色にも見間違えるほど光沢のある鼠色をした厚手のコートを羽織り、ある一つの公園へ訪れていた。
モエレ沼公園。
旧文明時代、札幌市が街の緑化計画の一巻として立ち上げた、市の北東にあるだだっ広い公園。
その広さは画角の抜き取り方によっては草原とは見分けが付かないほどで、幾つかの丘や彫刻、そして噴水などがところどころに散在している。
この季節のモエレ沼であれば一面の雪景色の下に枯れた芝が広がり、茶色の禿山が広がるところだが、今年はその様子がかなり異なる。
公園の一角に、小さなオブジェクトが幾つも立ち並び、またその下はどこも掘り返されたあとが散見される
オブジェクトの形は十字架をしたものや、ただ木の柱を立てただけのもの、またここでは一際目立つ大きな立方体の石などさまざまであった。
ここは、モエレ沼公園。
またの名を、東豊モエレ沼霊園。
消失以後、病や事故によって亡くなった人々を火葬し、弔うために設けられた場所だ。
たった一ヶ月前までは三〇〇ほどに過ぎなかった墓穴は、先日の帝国による侵攻でその数を一五〇〇までに増やした。
だが、ここに埋められている者たち全員が丁寧に弔われたわけじゃない。
身元の分からない放浪者、委員会に属しながら独り身で生きてきた自警団員、ふるさとを守ろうと分隊ごと壊滅した徴集兵。
そういった者たちは、委員会が責任をもって送り出したが……実質、誰にも弔われることなくここに眠っている。
せめて彼らの眠りを妨げないようにと、俺は一房の鈴蘭を片手に、ゆっくりと地面を踏みしめるように歩みを進める。
霊園の最奥部、小さな林の手前のあたりに、こじんまりとした洋風の墓石が目につく。
その前には他の墓穴とは違い人一人が余裕を持って入れるほどのスペースが掘り返されており、その縁には踏まないようにと小石が埋め込まれていた。
ここからは見えないが、墓穴には素人が彫刻刀で掘ったらしき荒々しい字体でこう刻まれている。
「カミヤケイスケ ココニネムル サンガツヨッカ」
他の大抵の民とは違い、圭介は土葬で葬られた。
あいつ以外は大抵火葬で、他に土葬された者も身元の分かるクリスチャンやムスリムに留まる。
信心を明らかにしなかったあいつが土葬となったのは、クリスチャンにして信心深い黒川青磁事務部門長が、圭介の土葬を強く懇願したからだ。
「どうか、どうか彼だけは……!」
穴を掘りふいごを付けただけの仮設の火葬炉へ運び込まれようとする圭介の遺体の手首を、あの戦争以来黙りっぱなしだった黒川が泣きながら掴み離さなかったのだ。
(……今度、あいつの話も聞いてやらないとな)
俺は圭介の墓穴の前に立ち、右手に持ったひと足早く咲いた鈴蘭を彼の墓穴の上に置こうとした。
その瞬間、鼓膜が僅かに揺れる。誰かが、俺が来た草地の上を歩いて来ている。
大方予想がつくが、念には念をと立ち上がりざまに振り返る。
「……英治、探したぞ」
そこに立っていたのは、出っ歯にツリ目が特徴の一人の男。橘貴弘であった。
鐘巻の弾劾の後、批准に関する諸々の作業で腰を据えて話すことは出来ずにいた。
その後も何も言わずにここに来たが――時間が出来ればここに来るだろうことは、俺も分かってのことだった。
「……積もる話はあるだろうけどさ」
俺のもとへ近寄る橘へ、俺は房を分けたツボミの残る鈴蘭を差し出す。
「忙しかった分、今は先にあいつのことを弔おう」
******
圭介の眠る場所へ花を添え、線香をあげたあと。
俺は橘とともに、小高い丘の上に備え付けられたベンチから真っ白な霊園を見下ろしていた。
この消失世界であっても、夜になると一部の施設では備え付けの太陽電池で未だに明かりが灯っている。
だが劣化によるものなのか、その一部は既にこの時間になっても沈黙を貫く。
数年も経てば、ここも月明かりが無ければただ暗く虚しい景色の広がる公園になってしまうのだろう。
「……墓の数、随分と増えたな」
「ここで座ったらもう立ち上がれない」と言ってベンチへ座らず俺の傍に立っていた橘。
一画の半分ほどを占有した霊園を前に、そんなことを口にした。
「そうだな。凍死は仮設暖炉の普及である程度解決できたが……」
しばらくの沈黙のあと、橘は爪を噛みながら「クズどもめ」と漏らした。
それがこの墓標を増やした張本人、帝国を指し示すのは言わずもがなだろう。
橘にはそのクズどもと最も対面してもらっている。こんな言葉が漏れるのも不思議ではない。
増してや昨日あった二度目の予備交渉にて、橘もついに輝井青花と直接対面したそうだ。
俺が予てより口にしていた「青髪の女に気をつけろ」という言葉の意味を、身を持って理解したらしい。
「……英治。いきなりだが、一つ聞きたいことがある」
「鐘巻のことだろ」
「ッ……なんでもお見通しのくせに、最初鐘巻を説得する時は論破して終わったんだな。いい加減どうにかしろ、その悪いクセも」
橘はそう軽口を叩きながら、苦笑を一つ浮かべた。
いつもならその後に「だからお前は敵が多いんだぞ」と付け加えるところだが、言い飽きたのかその追撃が来ることは無かった。
「ハハ、気を付けるよ」
「全く頼むぜ、委員長さん」
委員長、か。
「……なあ、橘。俺は委員長を務められていると思うか?」
「……?」
俺の唐突な問いに、こちらへ振り向きながら首を傾げる橘。
「いや、答えなくていいんだ。鐘巻もまた、俺と同じだったって話をしたいだけだからな」
「あいつと? お前が?」
「ああ、同じさ。帝国の侵攻と圭介の投降で、急に要職に就かざるをえなくなった者同士な」
……自画自賛になるかもしれないが、今のところ俺は委員長の役目を全う出来ているように思う。
条約、戦後の立て直し、政情の安定化。もちろん課題が山積みだが、それもこなしていくしかない。
言うならば、俺には委員長としてやっていく覚悟と実力があった。
だが鐘巻はどうか?
元々教育副部門に居た彼を、圭介は委員会の去り際にその功績を認めて登用したんだろう。
あいつも決して無能だったわけじゃない。旧カリキュラムを解析しながら、独自の教育システムを作り上げた。
だから、単に仕事をこなすだけなら輸送部門でもやっていけたんだろう。
「けど、あいつには覚悟が無かった。飢え、渇き、病に流血。死が隣り合わせのこの世界で、大勢の命を背負う責任感と覚悟が足りてなかった」
「それは分かるが……だからと言ってなんであの処罰なんだ。 反逆未遂は死罪。寛大な処置でも労役が無難だという結論は出てただろう」
その言葉に、不満や苛つきといったものは感じられない。
ただ、俺に対して真っ直ぐと聞いてきている。その確信のもと、返事を口にする。
「……いま、世界には子どもたちしかいない。けどまた半世紀も経てば人が老いて死に、新たに人が生まれてくる社会に戻る」
「お前のいつも言っている、『子どもたちの最終戦争』ってやつか」
「そうだ。この幼い社会で子どもたちが戦い、争う。こんなクソみたいな社会が存在するのは、人類史を見ても今だけだろう」
またしばらくの沈黙のあと、俺は「けどな」と前に置きその場から立ち上がり橘に背を向け、雄大な札幌をこの場所から見下ろす。
光の数は、確かに減った。
時間があれば、地上から灯る光の数は全て数えられるほどと言って良いだろう。
だが、まだ灯っている。
人々が灯す火が、まだ命脈を繋ぐ街灯が確かに光を灯しているのだ。
「けどな、そんな幼稚な社会だからこそ。俺はあいつの理想を散らして終わりにするのは勿体ないと……いや、賭けてみたいと思ったんだ」
無論、この処罰は全く寛大ではない。
殺さなかった理由は他にも正当性の担保や神格化の回避などの理由もある。
江別での教育支援など想像を絶する難易度であるだろうし、野盗や疫病に侵されて死ぬ危険も孕んでいる。
それに、またあのような危険な扇動に走れば、今度こそ刺客を送って葬るつもりだ。
「ふっ、らしくないな。頭でも打ったか」
「いいや。俺はやり方を選ばないだけで、この社会を元に戻そうなんていう途方もない理想を追う理想主義者だ。それに俺はあいつの能力だけは買っている。やり方を選ぶようになれば、将来的に良い教育顧問となってくれるはずだ」
「いい話風に進めておいて結局は合理主義か、これでこそ俺達の藤原英治閣下だな」
いつもの通り、旧文明時代と変わらず皮肉を交えた軽口を叩く橘。
だが俺の理想はあまりにも前途多難だ。
帝国の脅威、牙を剥く大自然、見えないところに潜む飢餓や疫病。
その全てを犠牲を極限まで小さく絞った上で解決するのは、もはや無理難題と言って差し支えないだろう。
「さあ、帰ろう橘。明日は早いぞ、なんせあのクソみたいな条約を札幌諸政府に呑ませなければいけないからな」
「果たしてあんな代物本当に呑んでくれるのかねえ」
「呑ませなければ俺達に未来はない、それで話は終わりだ」
丘の上から薄い氷の張る階段をゆっくりと降りていく。
一歩ずつ、着実に。
俺はこれからもきっと、そうやって物事を一つずつ、確かに解決していくのだろう。
その身に余る、あまりにも大きすぎる野望と理想を抱きながら。




