規約の代償
「上映終了後の注意事項を、お忘れになったようですね。ネタバレ……特に当館の資産を許可なく持ち出すという行為は、当館の存続に関わる重大な規約違反でございます。我々は、作品の『鮮度』を何よりも重んじているのですから」
支配人は一歩、また一歩と、部屋の闇をその身に纏いながら歩み寄ってくる。男のワンルームという極めて私的な空間が、支配人の存在ひとつで、あの不気味な劇場の空気へと塗り替えられていく。
「記念すべき開館初日に、これほど早く規約を破る勇敢な方にお会いできるとは。……あなた様には、当館の未来を築くための、特別な役割を担っていただかねばなりません。それ相応の覚悟は、おありなのでしょう?」
「な、何を言って……出てけ! 警察を呼ぶぞ! 不法侵入だ!」
男は震える手で、デスクに置かれたスマートフォンを掴もうとした。しかし、指先に力が全く入らない。それどころか、喉の奥からせり上がってくる強烈な違和感に、男は悶絶した。
鼻腔を突くのは、あの映画のなかで嗅いだ「焦げた肉の死臭」。そして舌の上には、どろりとした鉄臭い液体の味が広がる。それは先ほどまで口にしていたはずの飲み物の味ではない。まるで、他人の生温かい血液を無理やり流し込まれているかのような、生理的な嫌悪感を伴う感覚だった。
「……がはっ、あ、え、なんだ……これ……。喉が、焼けるように……」
「おや、もう『馴染んで』きましたか。当館の空気を吸い、映像を魂に刻んだ上で規約を破られた方は、その時点で肉体の半分がこちら側の所有物となるのです。ええ、もちろん。この現象は、規約を厳守してくださる善良な観客の方々には決して起こり得ない、特別な『契約』でございます。あなた様が自ら、その境界線を越えられたのですよ」
支配人は男の目の前で立ち止まり、そのすべてを見透かすような冷ややかな瞳で男の苦悶を観察している。男の身体は震え、膝がガクガクと音を立てて崩れ落ちた。
「詳しいお話は、当館のスタッフルームにて伺いましょう。ご安心ください、私は聞き上手でしてね。傾聴いたしますよ、あなた様の……最期の震えまで」
支配人が優雅に指を鳴らした瞬間、男の視界は急速に反転した。天井と床が混ざり合い、日常の風景がドロドロと溶け出していく。意識は底なしの泥の中へと、どこまでも深く沈んでいった。




