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怪異館シネマシアター  作者: 弌黑流人


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死線からの喝采

 七尾が襖絵の廊下を抜け、巨大な劇場のような大広間に辿り着くと、そこには淀んだ空気が満ちていた。


 舞台の中央、スポットライトの輪の中にいたのは、車輪を軋ませながら不規則に旋回する男だった。

 ガスマスクのフィルターから漏れる、ヒューヒューという苦しげな呼吸音。車椅子には無数の管が絡みつき、その先端は男の身体ではなく、虚空へと繋がっている。


 男の膝の上には、ボロボロに擦り切れた古書が置かれ、そのページはめくられるたびに乾いた骨の音を立てた。


 【狂喜の車椅子男】


 脳内に響く言葉で紹介された男が、ゆっくりと首を回して七尾を見た。ガスマスクのレンズ越しに、焦点の定まらない狂気の瞳が光る。


「おやおや、新しい観客かな。それとも、ようやく終幕を飾る役者様のお出ましかな」


 男は車椅子のレバーを乱暴に弾いた。車輪が床を削り、火花を散らしながら猛スピードで七尾の間合いへ突進してくる。


 車椅子から伸びる無数の注射器のようなアームが、毒蛇の如く七尾の四肢を狙って突き出された。

 七尾は横に飛び退き、床を転がって回避する。男が通り過ぎた後の床には、滴り落ちた未知の液体によって、ジュウジュウと音を立てて深い腐食痕が刻まれた。


「監視して、学習して、適応して。だが、君の動きには薬品の匂いが染み付いているな」


 七尾はナイフを構え、男の死角へ回り込もうとする。しかし、男は笑い声を上げながら、車椅子から背後の空間を薙ぎ払うようにアームを乱舞させた。


「殺すんじゃない。僕たちは、この地獄をいかに長く愉しむかを競っているんだよ。呼吸の回数分だけ、苦痛の濃度が高まる。最高だと思わないか」


 男の攻撃は単調ではない。アームの動きは不規則で、まるで壊れたメトロノームのように加速と減速を繰り返す。


 七尾のナイフが男の肩を掠めるが、そこには防護服の下に何重にも重ねられた金属のプレートが隠されていた。


 七尾は男の攻撃をあえて真正面から受け流し、勢いを利用して男の背後に回り込んだ。車椅子の駆動部である背後のタンクを狙う。

 しかし、男は背中の空間にまで目がついているかのように、即座に車椅子の回転軸を逆に回し、アームで七尾のナイフを弾き飛ばした。


 武器を失った七尾に、男の注射器が至近距離で突きつけられる。

 絶体絶命の瞬間、七尾は男のガスマスクの排気弁に、引き千切った自らの服の端を押し込んだ。


「ヒュー……ッ、ガハッ……!」


 男の呼吸音が詰まり、車椅子の動きが痙攣するように停止する。七尾はその隙を逃さず、車椅子の車輪に突き刺さっていた折れた支柱を引き抜き、男の頸動脈へ向かって振り下ろした。


 ガコン、という重い音と共に、車椅子が横倒しになる。男の体は床に投げ出され、ガスマスクが外れた。


 だが、その下の顔は、最初から存在しなかったかのように、ただの肉塊が縫い合わされただけの異様な形をしていた。

 男は消えかかりながら、恍惚とした表情で笑った。


「ああ……いい酸素だ……ようやく、本当の……死の味を知れる……」


 男の姿が黒い砂のように崩れ落ち、劇場には完全な静寂が訪れた。


 七尾が肩で息をしながら立ち上がると、劇場の全ての照明が一斉に点灯し、無人の客席を照らし出した。

 舞台上のスクリーンが巨大なノイズと共に明滅し、そこに文字が躍る。そして、劇場全体を震わせるように、黄泉野の声だけが低く響き渡った。


「素晴らしい、実に素晴らしい。これほどまでに絶望の呼吸が整った舞台は、過去に類を見ない。七尾、君がここまで辿り着いたその執念、確かに受け取ったよ」


「だが、物語はまだ終わらない。ここはただのプロローグ、君の魂がこれから削り取られるための、始まりの儀式に過ぎないんだ。さあ、幕を上げよう。ここから先は、私が直々に君という絶望を編集させてもらう。準備はいいかい」


 スクリーンの向こうから、何万もの拍手が幻聴のように降り注ぎ、劇場がゆっくりと回転を始めた。


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