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怪異館シネマシアター  作者: 弌黑流人


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死線のその先へ

 劇場が軋みを上げ、回転するたびに床は液状の墨へと姿を変えた。七尾の足元から万年筆のインクが溢れ出し、彼を深い底へと引きずり込んでいく。


 視界が急速に反転し、七尾は無数の原稿用紙が折り重なる迷宮へと叩きつけられた。そこには、過去に彼が屠った者たちの無念が、紙の断面に焼き付いている。


 舞台が書き換わる。七尾の身体がかつて戦った強敵の型へと強制的に矯正された。彼がナイフを振るえば、その軌跡は自動的に読み取られ、対峙する「敵」へとデータとして書き写される。


 黄泉野が劇場という巨大な編集室から指を鳴らすたび、七尾の戦術は削られ、物語の駒として都合よく再構成されていく。


 何度も死線を越え、何度も物語の終焉を突きつけられた七尾の意識は、それでもなお濁らない。彼は黄泉野が用意した完璧な物語の筋書きを、泥水をすするような執念で汚し続けた。洗練された剣技を捨て、あえて関節を不自然に捻り、整合性の取れない動きを繰り返す。


 計算された美学を無視した、ただ生き残るためだけの歪な挙動が、編集という理屈を内側から食い荒らしていく。


 やがて、迷宮の頂点、劇場の天井裏にある編集室へと七尾は辿り着いた。そこには、静謐な空気を纏った黄泉野が座り、巨大な万年筆で七尾の魂を記録し続けている。黄泉野は七尾の惨状を眺め、悦に入ったような笑みを浮かべた。


「君の絶望は、実に美しい。ページをめくるたびに、君の心臓はより高く跳ね上がる。さあ、次はどんな結末を選ぼうか。君の死は私が保証する。さあ、心ゆくまで踊りたまえ」


 七尾は血に濡れたナイフを床に捨てた。手に取ったのは、自分の過去も未来も記されていない、真っ白な原稿用紙の束である。七尾はその白紙を自らの胸元へと押し当て、物語という名の枷を、物理的な痛みとともに引き裂いた。


「編集者さんよ。あんたは俺の人生を書き換えているつもりだろうが、残念ながら、俺の人生にまともな結末なんて最初から用意しちゃいないんだよ」


 七尾の身体から、彼を構成していた記憶の断片が粒子となって空中に舞い上がる。名前も、技術も、死合の記憶さえも、すべては物語の外へと捨て去られた。


 編集の理屈が通用しない無の領域に足を踏み入れた七尾は、黄泉野の喉元へと肉薄した。物語という安全な特等席から、黄泉野という異物を現実の血なまぐさい舞台へと引きずり出すために。


 黄泉野が驚愕に目を見開く。その瞬間、劇場全体を覆っていた物語の帳が破れ、無人の客席が光の中に消滅していった。七尾は自らの存在定義を殺すことで、黄泉野という支配者をも巻き込む、終わりのない螺旋の出口を強引に切り開いたのである。


 しかし、黄泉野の喉元へ指先が届いた刹那、そこに座っていたはずの黄泉野の輪郭が陽炎のように揺らぎ、崩れ去った。代わりに現れたのは、悍ましいほどに真っ白な肌と、極彩色の衣装を纏ったピエロだった。


「きたきたきたぁー! オニエサマ、出番だよぉ!」


 その声は、怪異館の新作映画『錆びついた死線』に登場するピエロそのものだった。七尾は背筋が凍るような違和感を覚え、咄嗟に身を低くする。


「くそっ、入れ替わったか!」


 七尾はピエロの視線が己の背後にあることに気づき、極限まで研ぎ澄まされた反射神経で速やかに振り返る。七尾の瞳に映ったものは、年代物の映写機の陰から、正確に銃口をこちらへと向けたスナイパーの姿だった。


 いつからそこにいたのか。最初から、いや、この編集室へと辿り着くずっと前から、彼女はそこにいたのだ。七尾が必死に抵抗し、物語を壊そうと足掻く姿さえも、黄泉野にとっては最初から結末の決まった台本の一節に過ぎなかったのだ。


 銃弾が放たれる乾いた音が鼓膜を震わせ、同時に頭蓋を貫く激しい衝撃が七尾の視界を真っ赤に染め上げた。女スナイパーが放った弾丸は、七尾の魂の拠り所を正確に射抜いた。


「お見事だよ、オニエサマ!これでようやく任務完了だねぇ。おつかれ、おつかれ、おーつかれさーん!」


 七尾は意識が急速に遠のいてゆく中、周囲を飛び跳ねながら嘲笑するピエロの甲高い歓喜の声を聴いた。

その声は、先ほどまで感じていた現実感とは裏腹に、極めて遠い場所から聞こえてくるノイズのように響く。


 彼はその煩わしい音を耳から追い出し、安らぎさえ覚える深い死の眠りへと静かに落ちていった。


 劇場の照明がゆっくりと落とされ、幕が降りる。そこには物語という名の観客も、戦う役者ももういない。ただ静寂だけが、編集された後の無人の広間を包み込んでいた。七尾という名の異分子が消えたことで、この劇場はまた次の、新しい物語の開演を待つ空白の頁へと戻ったのである。


ご拝読ありがとうございます。


当初の予定通り別々に短編としてまとめていたものを、一つの連載方式としてお送りして参りました。


ひとまずは、ここまでで完結とし、短編ホラーな補充期間に入ろうと思います。冬頃にまた始められたら……と考えています。


怪異館シネマシアター支配人・黄泉野完結に迫る救いのない物語を、彼に届けられるよう頑張ります。


それまでどうかお待ちください。


もし、よろしければ、評価やコメントなどして頂けると今後の励みになりますので、よろしくお願い致します。


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