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怪異館シネマシアター  作者: 弌黑流人


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37/66

呼吸鬼(一)

 深夜の新宿駅。

 誰もいないホームのスピーカーから、低く唸るような空調のノイズがサラウンドで鳴り響いている。

 画面はひどく手ブレした主観映像のように揺れ、仕事帰りの瀬戸口 彰の視界を映し出す。

 足元の黄色い点字ブロックが、まるで泥の中で蛇のようにのたうち回る歪んだクローズアップ。


 彰の荒い呼吸音が正面のスピーカーから大きく響く。

 数年前に母を亡くしてから続く、胸の奥にこびりついたような得体の知れない虚無感。

 それが今、急速な目眩となって彼の身体を蝕んでいた。

 ふらつく身体を支えようと手を伸ばした先、設置されたばかりのホームドアの頑強なアルミ板が映し出される。


 しかし、カメラが焦点を合わせると、その金属面は陽炎のように激しく揺らぎ、彰の指をすり抜けた。

 防護壁のわずかな隙間が、獲物を待つ巨大な口のように不気味に開く。


 (……クソ、またか)


 彰の頭の中にだけ響く、エコーの効いた低音のモノローグ。

 その瞬間、コートのポケットの中で指先が硬い感触を捉えた。

 母の形見である、青い切子細工の小さな香水瓶。

 中身はとうに空だったが、彰の指先がそれを御守り代わりに強く握りしめる。


 パリン。

 掌の中でガラスが砕ける硬く鋭い音が、後方スピーカーへ向けて鋭利に響き渡る。


 肉に破片が食い込む痛みに彰の眉が跳ね、瞳が恐怖に大きく見開かれた。

 衝撃の瞬間、カメラはホームの端から真っ逆さまに落ちていく彰の姿をスローモーションで捉える。


 だが、墜落の衝撃音は来ない。

 代わりに、ドブンという重苦しい水音が劇場を包む。

 身体を受け止めたのは、水よりも粘度が高く、氷のように冷たい漆黒の液体だった。


 「……っ、がはっ、はぁ、はぁ……! 」


 フロントスピーカーから、泥のような液体を吐き出す彰の激しい、湿った咳込みが響く。

 カメラはタイルの床に這い上がる彼の掌をクローズアップする。


 無意識に握りしめたままの、青いガラスの破片が深く肉に食い込み、そこから鮮血が滴り落ちて床を汚していく。

 起き上がった彰の視点に合わせて、カメラがゆっくりと周囲をパノラマで捉える。


 見渡す限り続く白いタイルの床。

 そして、不気味なほどに鮮やかな緑色の壁。

 頭上には、まるで巨大な生物の血管のようにのたうち回る、無数の錆びたパイプ群がどこまでも続いている。


 「ここは……地下鉄じゃないのか」


 彰の声は、無機質な回廊の奥へと吸い込まれ、反響さえ残さない。

 同時に、背後のスピーカーから微かに、あの忌まわしい病棟の薬品臭を連想させる、かすかな液体の滴り音が響き始める。


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