孤独視(三)
三階の廊下。カメラは床を這う誠の姿を、天井近くの監視カメラのような視点で捉え続ける。
逃げても逃げても、誰かの視線から逃れられない恐怖。
消火器の影で震える沙織の姿を見つけた。
「誠くん……! 無事だったのね」
「沙織……拓海はどうした?」
「……ごめんなさい、私、拓海に脅されたの。こうすれば誠くんが諦めてくれるって言われて……」
話の噛み合わないことを言い出す沙織は泣き崩れ、誠にスマホを差し出す。
画面には拓海の浮気現場。だが、カメラは沙織の瞳をクローズアップする。
涙を流しながらも、彼女の視線は誠の負傷箇所を冷淡に観察し、自らの安全を計算していた。
「ねえ誠くん、さっきのことは忘れて一緒に逃げよう? 私のこと、守ってくれるよね?」
(さっきのこと……?)
誠の脳裏に激しいノイズが走る。
三人で行動していたはずの記憶。そこには、まだ映像として再生されない空白の断絶がある。
具体的に何をされたのか、何を言われたのか、誠にはさっぱり思い出せない。
しかし、彼女の甘えた声を聞いた瞬間、泥水を飲まされたような不快な感情が胃の底からせり上がってきた。
誠は無言で彼女の手を振り払う。
彼の額から垂れる一筋の冷や汗。それが廊下の板敷きに落ちる「トツッ」という乾いた音が響いた瞬間、廊下の奥の闇が、まるで生き物のようにビクリと反応した。
誠は自身の血を、壁に擦りつける。
「アイツハ、ココニ、カクレテイル。ワタシハ、ダマッテイル」
「……誠くん、何を言って……」
背後のスピーカーから、無数の子供たちの乾いた笑い声が、左右へと移動しながら聞こえてくる。
「隠れているのは、犠牲者じゃない。本当の醜さを隠している、お前たちだ」
ガタガタガタッ!
教室の扉が狂ったように震え出し、拓海が錆びた園芸バサミを手に現れた。
「沙織、そのスマホを返せ! 誠、お前はもう用済みなんだよ!」
拓海が飛びかかる。誠が避けようとしたその時、沙織の両手が誠の背中を、思い切り突き飛ばした。
「嫌! 私は悪くない! 誠くん、身代わりになって!」
ハサミの鋭い刃が誠の肩を掠め、鮮血が舞う。
その時、右のポケットに硬い異物感があることに気づいた。
手を入れて指先が触れたのは、冷たく重い金属の質感。取り出そうとして、誠は困惑する。
(真鍮の呼び鈴……? いつの間に、こんなものを拾ったんだ?)
それは、かつて職員室で使われていたような古びた呼び鈴だった。
誠がそれを握りしめた瞬間、スピーカーから子供たちのか細い声が、耳元をなでるように響く。
『鳴らしてよ』
『鳴らしなよ』
『どーなるかなー』
「きゃははは!」という子供特有の高音の笑い声が、誠の鼓膜を直接揺らす。
だが、対峙している拓海の表情には何の変化もない。どうやらこの声は、拓海には聞こえていないようだった。
絶望の中、誠はポケットの中にある正体不明の呼び鈴を、渾身の力で握りしめた。




