監視遺物(七)
娘の異常な衰弱に怯えた両親が、結衣を連れて行った場所。そこは、皮肉にも清潔な鏡面に満ちた精神病院だった。
磨き上げられた自動ドアの反射、待合室の巨大な窓ガラス、廊下の安全ミラー。映り込むすべての面に、あの「顔のない真希」が立っている。結衣が動くたび、鏡の中の異形もこちらを指差して、音もなく口を「アハ、アハ」と歪めて笑う不気味な運動を繰り返す。
「……うわあああああああ!!」
パニックに陥った結衣は、親の手を振り切り、病院内を逃げ回った。カメラは手持ちの激しい揺れに切り替わり、逃げ惑う彼女の荒い息遣いと、避難階段を駆け上がる靴の音を不快なまでに強調する。扉を乱暴に押し開けると、そこは乾いた風が吹き抜ける屋上だった。
フェンスの向こう側。眼下に広がる街の灯りは、どこか遠い世界の出来事のようにぼやけている。カメラは屋上の縁に立つ結衣の足元を捉え、風の音が全てを掻き消す中で、かすかなささやきを拾う。
「結衣、助けて」
あの日、美術室の準備室で、真希が最後に発したはずの声が鮮明に、結衣の耳元へと届く。
結衣は、フェンスを乗り越えた。右手首の痣が、これまでにない激痛と共にドクドクと不気味に脈打ち、その皮膚の下で「何か」がのたうち回る様子をクローズアップが逃さず捉える。
センター・スピーカーから、吐息のような掠れた声が、結衣の思考として漏れ出す。
(……ここなら、鏡はない。誰も、私を見ない)
周囲の喧騒を消し去り、彼女の鼓膜の裏側だけで鳴っているかのような、極めて密閉されたボイスオーバー。その囁きを最期に、結衣は自らの身体を宙へと傾けた。真希が落ちていった闇。自分が彼女を突き落としたも同然の、あの暗淵へと。
落下。
永遠にも似た数秒の無音。結衣の瞳に映る夜空が急速に遠ざかり、地面が迫るその瞳の奥に、封印していた最後の記憶が、濁流のようなフラッシュバックとなって溢れ出してきた。




