監視遺物(四)
「……はぁ、はぁっ、はぁ……!」
気がつくと、結衣は冷たいアスファルトの上に突っ伏していた。鼻を突く排気ガスの匂い。遠くで鳴り響く救急車のサイレンが、現実の音として鼓膜を叩く。カメラは地面に這いつくばる彼女の視点から、すぐそばに転がったカバンを映し出す。震える指先がスマホを掴み、バックライトが彼女の血走った網膜を白く焼き、激しく揺れる瞳をクローズアップする。
(……日付も、時間も……変わってない)
脳内にエコーのかかった、観客にしか聞こえない震え声。画面の中の秒針は、彼女が路地裏に入ってからわずか一分ほどしか刻んでいない。あの濃密な死と罪の時間は、現実世界では瞬きほどの一瞬に過ぎなかったのだ。
「……よかった、もどれたんだ……」
安堵の涙が溢れ、アスファルトに「トツッ」と不自然なほど重い音を立てて落ちる。立ち上がる際、カバンと制服が擦れる「ガサリ」という乾いた音が、静まり返った路地裏の背後から響き渡り、結衣はビクリと肩を跳ねさせた。
「ひっ……!」
喉の奥で短い悲鳴が漏れる。振り返る余裕などない。結衣はこの場から一刻も早く離れたい一心で、放り出していたカバンをひったくるように掴むと、脇目も振らずに走り出した。
カメラは、逃げる結衣の背中を路地裏の深い闇の底から、じっと固定して映し出す。彼女が踏み締めるアスファルトの音だけが、追いかけてくる何者かの足音のように「ダッ、ダッ、ダッ」と背後で執拗に反響する。
ようやく辿り着いた大通りの眩い街灯の下。行き交う車と人々の雑踏に飛び込んだ瞬間、結衣は激しい眩暈に襲われ、ガードレールに縋りついた。周囲の人間は、必死な形相で立ち尽くす彼女を、ただ無関心な風景の一部として通り過ぎていく。結衣は右手首の違和感を隠すように胸元に抱きしめ、逃げるように駅へと駆け込んだ。
自宅の洗面所。鏡の中の自分は、幽霊のように青白い。カメラは彼女の右手首を執拗に追う。タワシで狂ったように擦るたびに皮膚が赤く腫れ上がり、肉を削るような「ゴシ、ゴシ」という不快な音が耳元で反響し続ける。だが、その上に浮かぶ五本の指の形をした黒い痣は、呪いの墨のように深く刻まれたまま、消えることはない。
ふいに、背後の洗濯機の陰から「ギー……コォ……」という、古い滑車が回るような湿った音が漏れ聞こえた。
結衣が弾かれたように振り返る瞬間、カメラは彼女の背後にある闇を、誰かが覗き込んでいるかのような低いアングルで捉える。そこには無機質な家電が沈黙しているだけだが、結衣は喉を「ヒュッ」と鳴らし、震える手で長袖のシャツを引きずり出してその「罪の焼印」を覆い隠した。




