監視遺物(三)
カメラは、墨を擦る結衣の手元をスクリーン一杯にクローズアップで捉える。
石を削るようなザリ、ザリという摩擦音が、劇場の重低音と同期して観客の心拍を煽る。結衣の顔には一筋の冷や汗が伝い、それが畳に落ちる「トツッ」という微かな音さえも、静寂を切り裂く衝撃音としてサラウンドスピーカーから放たれる。
(なぜ、私はここにいる? なぜ、こんな目に遭っている?)
エコーの効いた結衣のモノローグに、複数の「囁き声」がノイズのように重なり始める。結衣の瞳が激しく揺れ、喉が「ヒュッ」と鳴るたび、障子の向こうの影がわずかにピクリと反応し、その鋭敏な殺意を映像が捉える。
沈黙を破れば破るほど、外にいる「何か」との距離が物理的に詰まっていくような圧迫感。結衣は必死に自分の口を両手で塞ぎ、溢れ出しそうな悲鳴を押し殺す。
(……「見て見ぬふり」をしろっていうの? 私が、ずっと自分に強いてきたみたいに)
絶望に染まっていた彼女の瞳に、ある一点を境に鋭い決意が宿る。
心臓の鼓動が爆発音のような音量で座席を揺らした。障子のすぐ向こうで、カツン、と杖の音が止まる。
カメラは結衣の背後、闇の中から彼女を覗き見るような盗撮アングルへと切り替わる。逃げ場のないことを悟った彼女は、震える筆にたっぷりと漆黒の墨を含ませた。
彼女は自分を縛り続けてきた言葉を塗りつぶすように、渾身の力で筆を振り下ろす。
【私 ガ、彼 女 ヲ、見 殺 シ に し た】
半紙に刻まれた漆黒の告白。書き終えた瞬間、指の力が完全に抜け、カツン、と筆が床に落ちた。その乾いた音が、静寂に支配された長屋中に爆発音となって響き渡る。
瞬間、ギー、コォ、という滑車の音が完全に止まった。世界が息を止める。
文机の下の畳が墨を吸ったように黒く変色し、そこに底の見えない穴が空く。その奥底から、微かに現実世界の「車の走行音」が漏れ聞こえてきた。
(あそこが出口だ。私の罪を認めたことが、道を作ったんだ)
しかし、ルールを破った代償は即座に訪れる。劇場の後方スピーカーから、カカカッという異常な速度で廊下を逆行してくる足音が響き、観客を恐怖の渦へ巻き込む。
結衣は必死の形相で文机の下へ身体をねじ込んだ。杖の音が、すぐ背後で、まるで耳元のように鋭く響く。
一瞬の隙。結衣は穴へと足から滑り込んだ。
『逃がさない』
無機質な重低音の幻聴が頭上から降り注ぐ。焼け焦げた枝のような細い指が、穴の外に残った結衣の手首を掴もうと、画面の奥から手前に向かって伸びる。
結衣の皮膚に指先が触れた。カメラは、彼女の手首が強烈な冷気によって瞬時に白く凍りついていく様を逃さず捉える。
「いやあああああ!!」
絶叫とともに結衣の身体は自重により穴へと引き込まれる。頭の先まで通り抜けたあと急激に収縮する穴の縁が、あの指を弾き飛ばし、代わりに彼女の書いた半紙を粉々に砕き散らした。
画面は激しい落下音とともに漆黒へと暗転し、内臓が浮き上がるような感覚を観客に植え付ける。




