8 セルマの怒り
その後、元気を取り戻したセルマはソフィアと一緒に屋敷の家事に回ることになった。
とにかく今日は人手が足りないのだ。
現状。ポルシャはしばらく自室で過ごすと宣言し、ミアは騎士達の訓練に混ざり込み、ディアナは研究所に向かってしまった。令嬢達のもてなしを気にしなくていいという点は非常に助かる。
ディアナ達がやって来てからは、貴族向けの食事はダイデンが連れて来た料理人が、騎士達の食事は屋敷の料理人が主導するという担当分けになった。野菜はセルマの畑でなんとかなるが、それ以外の物、肉や穀類が足りないので、今日は騎士達に隣の領地まで買い出しに行ってもらっているそうだ。
洗濯は令嬢の侍女達と騎士の代表者に魔道具の使い方を教えたらしい。
「ではセルマ様はこの野菜を潰して下さい。見本はこちらに。これくらいになったら完成ということでここにある物を全てお願いしますね」
「はい!」
厨房で。
屋敷の料理人リックに指示されたセルマは張り切る。思えばここに来て初めての仕事らしい仕事だ。
ソフィアは汚れ物を片付けたり次に必要そうな物を並べたりと厨房内でくるくる動き回っている。元々ここは大人数向けではない造りとなっているので、置き場所の確保が大変なのだ。
「こちらもういいですね。リック、味付けをしておきますよ」
「ああ、頼んだ」
少しして、手の空いたらしいソフィアがセルマの隣に並んだ。セルマが作業を終えた一つ目のボールを取り、手際よく調味料を混ぜ込んでいく。
「これにチーズを混ぜた物がユノ様はお好きのですよ。でも今回は食材が惜しいのでやめておきましょう。ユノ様が食べるのでもありませんしね」
「そう言えば、私の好みをユノ様にお伝え頂いてありがとうございます。ハーブバターたくさん頂きました」
言えば、ソフィアはにっこりと笑った。
「こちらこそお礼を言わせて下さいませ。あのユノ様が。貴女様が嬉しそうに召し上がる姿を見たくって、一日三食も食事をとるなんて!」
セルマは、え、となる。
「じゃあ、ユノ様はいつもは……?」
「朝はあのにっくき携帯食。昼は基本何も食べずに、夜は私達との交流の一つとして食卓に来る感じです。私が口やかましく言ったからでしょうね」
「そうなのですか……!」
驚いた。
セルマがこちらに来てからは、朝昼晩と共に食卓を囲むユノだった。いつも笑顔でいてくれるので、食べることを楽しむ人なのかと思っていた。
(むしろ私につきあって頂いた感じだったのね)
呪いが解けてからは、眠ることや食べること、体で感じる何もかもがセルマは嬉しくてたまらない。なのでユノが観察してしまうほどに多少過剰な反応になっていたかもしれない。
(少しはしたなく見えていたのかもしれないわ)
焦ってしまい、野菜を潰す手が高速になる。
「そろそろ騎士さんの食事大丈夫ですかー?」
そこで厨房へ入って来たのはミアだった。
訓練の後なのだろう、令嬢らしいドレスではなく動きやすい服装をしている。かわいらしい女性が凛々しい姿をしているのもなんだかとても魅力的だ、とセルマは一瞬見惚れてしまう。セルマ達が挨拶を返すと、彼女は手を振って来る。
「もう運んじゃっていい物ありますー? 何か持っていきますよ」
騎士達の食事は騎士と令嬢双方の快適さを考慮した結果、屋敷の前に大きな天幕を張ってそこで取ってもらうことになった。一日二回、厨房で作った物をそちらに運び、配膳は彼らに任せている。
「いえいえそんな。まさかご令嬢にやって頂くなど……」
すぐに断ろうとしたソフィアの前で、ミアが手を伸ばして何かを唱えると、近くにあった大きな鍋がふわりと浮かんだ。
「私、これくらいは出来るんです。魔術師なんで」
「ミア様すごい……!」
感動するセルマに、ミアは得意げに胸を反らせた。これを見たソフィアは自分を納得させたようだ。
「……では、私が頼んだ物をワゴンに移す作業を手伝って頂けますか? さすがにずっと魔術で運ぶのも不安ですし」
「わかりましたー」
そう言って二人の作業が始まる。
その間にセルマは残っていた作業を全部片づけた。
その時、またも厨房に訪問者がある。
もうすぐ令嬢の昼食の支度も始まろうかというこの時間に、朝食の盆を下げて来たポルシャの侍女であった。
ここまでの旅の間に親しくなっていたのか、ミアが挨拶しに行く。
「あれ? ほとんど食べてないじゃないですかー」
侍女が運んで来た朝食の食器は一人分がほとんど手つかずだった。驚くミアに、ポルシャの侍女は悲しげに首を振る。
「主人が食欲がないとおっしゃって……」
「ああー、そうなりますか。まあ、気持ちはちょっとわかりますよ。こんなに頑張って遠出してきたのに、着いた次の日にはその苦労がぜーんぶ無駄だって決まっちゃったんですからね。せめて一月くらいは猶予があると思ったんですけどねー」
ミアの言葉にセルマはどきりとなる。
ユノはセルマを正妻にするという決定を令嬢達に伝えてから王都へ行ったらしい。今頃はそちらで関係者達と会っている筈だ。その結果、彼女達の身の振り方がどうなるのかはわからない。
(だからと言って、私がして差し上げられることは何もない……)
そこでポルシャの侍女がソフィアと向き合った。
「あの、大変我儘を言って申し訳ないのですが。何か甘味のような物を用意して頂く訳にはいきませんか? こちらの食糧事情が豊かでないことも伺っております、でもそのような物なら口にして頂けるような気がして……私は、主人の体が心配なのです」
「大袈裟ですよう! 一日二日食べないくらいじゃなんともなりませんって」
軽く言ったミアは侍女に睨まれてしまう。
「甘味、でございますか」
ソフィアは困った顔でぐるりと室内を見回す。
「生憎こちらに常備しているような物は何も……砂糖自体もわずかですしねえ」
「! 畑に林檎がありますわ! それでなんとかならないでしょうか?」
思いついたセルマが振り返る。リックもダイデンの料理人もそれならば、と頷いた。
「では私が採って参りますね! 皆様は騎士様達のお食事の準備を進めて下さい!」
言ってセルマは駆け出した。
ポルシャに向けて、自分にもできることがあった。それが少しだけ嬉しくて張り切ってしまう。
畑に到着したセルマは、色づいた林檎を次々収穫していった。
(5つもあればいいのかしら? 念の為10個くらい持って行きましょうか)
お手伝い用に付けていたエプロンを袋のようにして林檎を入れていく。
収穫を終え、さあ戻ろう、と方向を変えた時だった。
「⁉」
ふいにセルマは、ドン、と横から突き飛ばされた。
ごろごろと林檎が零れ落ちていく。
セルマ自身も大地に転がったまま、何事か、と顔を上げた。
「ミア様……?」
畑の中にはミアがいた。
セルマを見下ろす表情は、これまでの彼女とは全く違う、恐ろしく醒めた色をしている。
彼女から暴行を受けたのだ、とセルマが気が付くのに時間がかかった。
「……二つに一つよ」
ミアが言う。
「このままおとなしくここから姿を消すか、今私に殺されるか。どちらか選んでちょうだい」
「あの……? ミア様……?」
「出ていくなら隣村までは運んであげる。悪いけど急いでるの。早く決めて」
セルマは息を呑んだ。
(本気で言っているのだわ……)
ミアのユノへの気持ちは真剣なのだろうと思っていた。だが、いくらなんでも、このような形で行動に出るなどとは。
このまま突き進めば不幸な結果しか見えないと案じたセルマは、心を鎮めて尋ねてみた。
「例えここで私が消えても、ユノ様が代わりにミア様を選ぶとは限らないのではありませんか?」
するとミアは噴き出した。柔らかな髪がぐるんと揺れる。
「えーっ? それ本気で言ってますう? こぉんなにかわいくて気が利いて愛嬌がある私に迫られてその気にならない男がいる訳ないでしょー? ほんと、三日もあれば貴女だって余裕で追い抜けたのになあ」
「……とても不思議なのですが。何故それほど自信がおありなのにユノ様が騎士団を辞める前に行動に移されなかったのです?」
「はあ⁉ 職場でそんな浮ついたこと出来る筈ないでしょ! 私現場に恋愛持ち込む人って大嫌い」
妙な所で真面目である。
(だからと言ってここでは手段を選ばないのね……)
セルマはまたしても従姉を思い出し、乱れかけた思考に今度はしっかりと踏みとどまる。
(過去に振り回されては駄目。今私が向き合わなければならないのは、ジェマではなく目の前のこの方なのだから)
気を引き締めてミアを見つめ返した。
「ミア様。私が姿を消せばユノ様はきっと私を探して下さいますわ。死ねば犯人を捕らえるでしょう。このような方法で、貴女が何かを手に入れることは決してありません」
「……ふうん。団長の心は自分の物って思ってるのね」
「ユノ様から頂いたお言葉を疑う理由はございません」
「……」
ミアは少し考える様子をした後、突如、ぷう、と頬を膨らませた。
「しょうがないな。これは本当は言いたくなかったんだけど。……あのね、セルマさん。貴女が団長に選ばれてしまうと団長の身が危うくなるのよ」
「……どういうことでしょう」
「団長がこの縁談を受け入れなかった場合、団長は王命に逆らったと言うことにされてしまうの。そして私はそんな事態になった時、団長を暗殺するように上司から命じられてここに来たわ」
セルマは一瞬言葉を失った。
それから急いで我に返る。
「そのような話……信じられませんわ」
「そう? 信じないならしょーがないけど、でも事実は事実だから。団長って取扱注意の兵器みたいなものだし。戦も終わってこの機会に言い掛かりをつけて片付けようって思われてもおかしくないでしょ」
(なんですって……?)
耳を疑う。
「まあ尤も私が選ばれるのは当然の流れだからそんな命令は発動しないけどね。とにかく! そういうことだから、団長を大切に思うなら貴女は身を引いてくれないかな?」
(そんなことが、あるだろうか)
セルマは思う。
いくらユノの能力が手に余るほどに強大なものだったとしても。この国はその力に頼って戦に勝利したのだ。ユノを英雄と称えこそすれ言い掛かりをつけられて処分される理由などないではないか。
(……それでは、まるで、使い捨て)
あまりの恩知らずぶりに怒りを通り越して呆れてしまう。
「と言うことでね。私だってか弱い女の子を殺すのは楽しくないし。貴女もこんな所で死にたくないでしょ? 大丈夫セルマさんかわいいからすぐ次の恋が見つかるよ。故郷に帰って穏やかに暮らせばいいじゃない。ほら、それで皆が幸せになれる」
どうだ、と言わんばかりのミアにセルマは土を握り締めた。
目の前がくらくらしていた。
(……なんなの)
どくどくと、自分の体の中で激しく血が巡る気配を感じる。
激しい感情がセルマの中で沸き起こって止まらない。
「セールーマーさん? 聞いてる? 返事は?」
ミアの声に、びくりと体が震えた。ゆっくりと視線を合わせれば、何故か突然ミアが大きく目を見張る。
「って、え? セルマさんの目って青じゃなかった? なんか今ものすごくきらきらしてるんだけど……」
ミアの言う通り。セルマの深い空色の瞳は突如金色に変化して輝き出していた。
けれどセルマ自身は気付かないし、今はそのような言葉も耳に入らない。
「……三百年、ですわ」
自分でも驚くくらいに低い声が出る。
「三百年もの間国中を彷徨って……ようやく……ようやく自分の居場所と、私を愛してくれる人を手に入れたと言うのに……!」
セルマの声と共に、二人の立つ畑が俄かに暗くなった。
直前まで晴れ渡っていた上空ではいつのまにか黒雲が渦巻いている。
吹き付けて来た冷風に、ミアが、え、え、と辺りを見回した。
「そのかけがえのないものを……そのような恩知らずどもの心得違いの為に奪われてしまうなどと……! ただユノ様ご自身の為なら身を引く覚悟はありました、ですが、それがユノ様の功績を踏みにじる者達の企みであれば、絶対に、受け入れる訳にはいきません……! 例え天に逆らうことになろうとも、私は、そのような者達の為にこの手の中のものを手放したりしない!」
「ちょ、セルマさん、顔が怖……」
「お黙りなさい‼ 恩知らずの手下となった貴女も同罪と見做しますミアさん!」
セルマは上空に片手をかざした。
『彼女を行動不能に!』
次の瞬間。
一筋の雷がこの場に落ちた。
セルマが閉じていた目を開くと、目の前に意識を失くしたミアが倒れている。
セルマがそれを目視すれば、上空の雷雲は嘘のように掻き消えて、空は元通りの快晴に戻っていた。
セルマは大きく息を吐く。
(……死んではいない筈)
傍に寄り、ミアの呼吸を確認した。
(とにかく。急ぎランさんにお報せして指示を仰ぎましょう)
よたよたと立ち上がったセルマは屋敷に向かって走り出した。




