7 ソフィア
目覚めると、セルマの体は柔らかなベッドの上に寝かされていた。
すぐに気付いたソフィアが枕元に来てくれる。
「セルマ様? ご気分はどうですか?」
「ソフィアさん……?」
「お体の異変はないと魔術で調べたそうです。……おそらくはお心の問題なのでしょう。まだどこか苦しい所はございますか?」
「大丈夫……なようです」
体の感覚を探ってみる。少し頭がぼうっとしている以外何も問題はない。
セルマは室内を見回した。そこはソフィアの部屋の中のセルマに与えられたベッドの上だった。
狭くも広くもないソフィアの部屋にある家具は、寝台と鏡台と洋服棚というシンプルな物だけだ。なのでセルマ用のベッドは空いたスペースである窓際に設置されることになった。
壁に手をついて身を起こそうとしたセルマにソフィアが手を貸してくれる。
「……ユノ様からしっかり聞き出しましたよ。お二人で何を話されていたのかと」
ベッドの脇に膝をついたソフィアが、セルマの上の掛布に手を置く。
「昔のことを、思い出してしまわれたのですね?」
「っ……」
セルマはびくりと体を震わせた。
ソフィアが大きなため息をつく。
「全く。ユノ様ときたら……セルマ様が縁談の破壊から始まった悲劇で辛い思いをされたことなどご存じの筈でしょうに……もう少し、貴女様のお気持ちを思いやった話の進め方があった筈です」
「いえ、私の方こそきちんとお話が出来ていれば……それで、あの、ユノ様はどちらに?」
あれからどれくらいの時間が経っているのだろう。眩しかった朝の陽も今は少し柔らかくなっているような気がする。
きょろきょろと見回せば、ソフィアは穏やかな声で答えを返した。
「ユノ様は、ダイデン殿下と一緒に王都に向かわれましたよ」
「! そんな……」
むやみに動きかけてぐっと留まる。今から追ってもどうにもならないだろう。そもそもその手段もない。
セルマの言葉ではユノを止められなかったのだ。理解して胸が痛くなる。
「……ごめんなさい、ソフィアさん……」
寝具をつかみ、思わす言葉が出ていた。セルマの声にソフィアは大袈裟に表情を動かす。
「まあ。どうしてセルマ様が私に謝られるのですか?」
「私などが、こんな最悪のタイミングで現れてしまったせいで……国内には問題が生まれ、ユノ様のお立場を悪くしてしまいました……」
自分の存在がユノのこれからに悪影響を及ぼす。そう考えただけでセルマはこのままどこかへ出奔してしまいたい気持ちになる。
「セルマ様、それはとんでもない思い違いでございますよ。考えてもみて下さい、この縁談がまとまった後でお二人が出会ってしまった、という状況より何倍もいいじゃありませんか。そうなれば今度は王都を巻き込んだ離縁騒動に発展していましたからね。そちらの方がよほどやっかいです」
「わ、私に気を使ってくれなくていいのです。ソフィアさんは、本当のお気持ちでは、ユノ様のお相手は別に私でなくても良かったのですよね? 私さえ、ユノ様と出会わなければ、」
震えた声でセルマが言えば、ソフィアは、まあ、と一度目を丸くした後、突如からからと笑い出した。
「そしたら私の大事なユノ様は、誰かが傍にいる喜びを一生知らずに終わっていたのかもしれないのですよ? ……セルマ様。貴女様がいいのです。貴女様でなければいけないのですよ。そうですね、セルマ様がそのようなことをおっしゃるのはあの時のピートの言葉のせいですか? あれは何もわかっておりません。ユノ様が貴女様に一目で恋をしたことなど、私もランもちゃあんと気付いていましたからね」
セルマは驚いた。ソフィアは子供のいたずらを見破ったかの様な顔で笑う。
「いつものユノ様でしたらね。どんなに気の毒な人間を保護したとしても、後は全部ランに丸投げするだけなんです。あぁんな風にお世話をしたり、わざわざこの屋敷に留めようとされるなんて、貴女様を気に入った以外の何ものでもないじゃありませんか」
そうだったのか。
確かにそのようなことを本人から告白された気がする。
改めて聞かされてセルマの頬には血が上ってしまう。
セルマの自分下げが落ち着いたと見て、ソフィアは胸を張った。
「私はね、ユノ様のことならなんでも気付いてしまうのです。ユノ様がお生まれになった時からずうっとあの方を見て参りましたからね。……こんな言い方は不敬とわかっておりますが、私にとってユノ様は、もう一人の息子も同然なのですよ」
不敬であると言いながら、誇り一杯の顔で微笑む。
確かに二人のやりとりは、ただの主人と使用人という以上の心の繋がりがあるようにセルマにも見えていた。
家族との縁を切ったユノの傍にそのような相手がいてくれたことはどれほどの幸運だろう、とセルマは勝手に思っていたのだ。
(ダイデン様達では駄目なのだわ……ユノ様のようなお立場の場合、血の繋がりがあることは邪魔にしかならないのでしょう。お互いに背負うものがおありだから……)
セルマがしみじみソフィアの有難さを噛みしめていると、当の本人が、さて、と言って立ち上がった。
「では、セルマ様。これからそんな私めが大事な我が子贔屓な目線でユノ様の側に立った言い訳をお話したいと思うのですが……セルマ様にはお耳を貸して頂けますでしょうか?」
どこかふざけた言い様だ。けれどこれは聞いておかなければならないと思ったセルマはお願いしますと返答する。
するとソフィアは鏡台に置かれていたポットから二人分のお茶を注ぎ、一つをセルマに差し出した。自分は一息でそれを飲み干すと、鏡台の椅子をベットの脇まで引きずってきて腰を下ろした。
「では。……ユノ様の事情をお話しするには、まず私自身についても説明しなければなりません。……私、ソフィア・トッドはこの国の小さな子爵家の生まれです。12歳になってから行儀見習いということで王宮で侍女として働いておりました。そんな私が、たまたま、母方の実家の繋がりでいくらか言葉に通じていたという理由で……隣国から嫁がれてくる正妃様の侍女の一人となったのです」
「正妃様……ユノ様の、お母様?」
セルマの問いかけに、ええ、と頷き返す。
「お二人の婚約は子供時代に決められていたと聞いております。正妃様の方が少しだけ年上だったのですが、こちらの皇太子様の成人年齢に合わせるという形で、嫁入りはあと数年先の予定だったのです。ですが……前の陛下がご病気で急な崩御をされたことで全て変わりました。前陛下の葬儀と今陛下の即位式と結婚式が同時に行われるという、前代未聞の大行事になってしまったのですよ。……ただ言葉がいくらかわかるという理由で私などが選ばれたのは、突然にそんな舞台の中央へ引っ張り出されてしまった正妃様のご不安を少しでもなくそうというどなたかの配慮だったのかもしれません」
そして懐かしそうな笑みが浮かんだ。
「正妃様……ユリア様はそれはそれは美しく、とてもお優しい方でした。下っ端侍女の私などにも大変よくして下さいました。私は一目でユリア様が大好きになり、この国中の誰もが同じ気持ちだろうと信じて疑いませんでした。陛下とユリア様の間にもすぐに後継者となる第一皇子様が誕生されました。小娘であった私は、このような華々しい日々がこれからもずっと続いていくのだろうと信じていたのですよ……なのに」
視線を一度、床に落とす。
「その二年後のことでした。第二子が遅い、という理由で陛下はこちらに何のご相談もなく突然側室を迎えてしまったのです。……その方は、ユリア様が嫁がれてくる以前から陛下と親交のあった、国内の伯爵令嬢でした。お二方はそれはそれは仲睦まじく、陛下が最も大切しているのは誰なのか、周囲には一目瞭然だったのです」
ソフィアが気持ちを鎮めるように、長く瞼を閉じてから開く。
国によっても違うだろうが、城内の力関係は王の寵愛具合で決まってしまう場合もあると聞く。この国の慣例はそちら寄りだったのだろうと、ソフィアの憂いを見てセルマは察する。
「ユリア様は、ご自分のお役目を理解しておられる方でした。けれどそれも夫である陛下と互いに支え合っているのだと思えるからこその話です。ご自分は得られなかったものを陛下一人だけが手に入れ、それを隠すでもなく堂々と見せびらかされて……ユリア様はお心もお体も共に壊してしまいました。……最後には、医者が止めるのも聞かず強引にお子を身籠り……命懸けでユノ様を産んで、お亡くなりになってしまいました。……これらの話はユノ様もご存じのことです」
セルマはなんと言っていいからわからず大きく目を見開く。
「そのような……ご事情が……」
(それではまるで……ユノ様が生まれて来たのはまるで何かの当てつけのようで……)
その事実を知った時、ユノはどのような思いになったのだろう。どうか可能な限りユノの心の負担にならない形で知らされていますようにと思ってしまう。
「ユリア様が遺したお言葉で、丁度その頃宿下がりしてランを産んでいた私がユノ様の乳母となりました。ユノ様がある程度お育ちになるまではそのまま乳母として、その後はユノ様個人のお屋敷で雇われておりました。城勤めだった夫も数年前に亡くなりましたので、こうしてランと共にこの地へついて参ったのですよ」
そこでソフィアは、ふう、と一つ息をついた。
「ユノ様は……貴女様を本当に大切に思っておられます。ですから。他に妻を貰った上で貴女様を側室にするということは、ユリア様と同じ苦しみをあの方々に与えることになってしまうのです。いくらユリア様の時とは違って初めからそういう約束だったと頭で理解していても……自分が得られぬ幸福を生涯見せつけられると言うのは耐え難いものの筈だろう。……そう、ユノ様は話されていました」
ああ、とそこでセルマは納得がいった。
「ユノ様は……ディアナ様達の為に、このお話を受け入れないと決めたのですね」
それはただセルマを思いやっての決断だろうと勝手に思い込んでいた。
けれどユノの目は別の角度も見ていたのだ。少なくとも彼は、その道に落とされて不幸になった女性を一人知っているのだから。
(例えそれが皆様の望みであったとしても。ユノ様がそちらに踏み出す気持ちになれなくても当然だわ……)
「もちろん、ユノ様ご自身の為でもあるでしょう。ユノ様にとって側室と言う存在は、ご自分の存在理由すら疑ってしまうような、恐ろしく、悍ましく、不幸に至る呪いのような言葉となってしまっているのですからね」
「呪い……」
ソフィアの話を聞き。セルマは先ほどのやりとりを思い出して愕然とした。
話し合いと言う形の中で自分は何をしていたのだろう。ユノの言葉の意味を深く考えようとはしなかった。ユノは我儘を言っているのだ、とばっさり切り捨ててしまっていた。
「私は……自分の考えばかりに捕らわれて、ユノ様のお気持ちを知ろうともしませんでした……」
ユノの役に立ちたいと言いながら、彼が他の人へ向ける配慮にも、彼自身の心の傷にも気付けなかった。自分だけが辛い思いをしたと思い込んで、かつての出来事で頭が埋め尽くされてしまったのだ。
(なんてひどい……傲慢なのは私だったのだわ……)
ずん、と重たい衝撃を受けていた。
けれど、落ち込むセルマに向けて、ソフィアはにっこりとたくましい笑みを向けた。
「セルマ様。心を読む魔術は未だ誰も使えていないのです。ましてやお二人はまだ出会って少ししか経っていないじゃありませんか。これからお二人でたくさんお話しをして、ゆっくりと存分に知り合って下さいませ。それでも何か不具合があった時には私共もおりますので。思い出して、存分に活用して下さい。たまに使用人の分際を越えてしまったりしてしまいますが、その時はどうか寛大なお心で見逃して下さいますように」
ソフィアはふざけたように頭を下げて来る。
思わず漏れた笑いと一緒に、セルマは、はい、と頷いた。
次にユノが帰った時にはまずは今日のことを謝ろう。
それから、それぞれに声が嗄れてしまうまで、一日中お互いの話をしようとセルマは思うのだった。




