6 ユノの決意
翌朝。
二人だけで話がしたいと言う申し出を受けて、セルマはユノと一緒に朝食を取ることになった。
忙しいソフィアには先に自分の仕事へ向かってもらう。ここ数日で覚えた手順でセルマはなんとか自力で身繕いを整える。ちなみに着ている服はまだソフィアの物だ。セルマが元々着ていた物は何かあった時の為にと大事に保管されている。
(初めて一人で着付けが出来たわ!)
淡い金の髪は頭上で一つにまとめあげた。何度かやり直した結果、どうにか思い通りに仕上がってくれる。令嬢達の磨き上げられた美しさを思えば気が引けてしまうが、せめて清潔感だけは保っておこうと思う。
それから一人、ユノの私室へ向かった。
(ユノ様は、昨日は遅くまでお兄様と話し合われたと聞いている)
それは真夜中に部屋に戻って来たソフィアからもたらされた情報だ。
セルマは考えていた。
こうして改めて呼び出されたと言うことは、おそらく二人の約束はなかったことになるのだろう。
(本当は、ユノ様にお会いする前に、どこかで大泣きしておきたい)
そんな気持ちはぐっと堪える。セルマとて王族の出身である。国の命に逆らうつもりはない。泣き腫らした顔を見せてユノを困らせるのも嫌なのだ。
なので問題は、その後のこと。側室になるか、それとも使用人として置いて貰えるのか、最悪ここを出されてしまうかもしれない。
(私の希望はどんな形でもいいからここに残ること。あと、ディアナ様達のお言葉も確実にお伝えしなきゃ)
しっかりと自分の方針を確かめた後、セルマは部屋に入る。
「おはようございますユノ様」
朝の陽の差し込む窓辺に立っていたユノが振り返り、笑顔を見せた。
「昨日の昼ぶりだなセルマ……! なんだか、もう随分と長いこと会ってなかったような気がする」
「私も同じ気持ちですわ」
(ユノ様には、お会いする度に新鮮にときめいてしまう)
今朝のユノも魔術師らしい黒いローブだ。これがユノの個人の好みなのか階級の色なのかわからないが、いつもとても似合っている。どきどきする胸を押さえて小テーブルに用意されていた朝食の席につく。
「今朝はハーブバターがたくさんあるぞ。兄上の所から分けさせたのだ」
「ハーブバター……」
「好きなのだろう? セルマの好みのようだとソフィアから聞いたのだが」
「! はい、その、とても……美味だと思います」
(たっぷり目に使っていたのを見られていたのね)
少し恥ずかしい。でもその気遣いが嬉しい。
温かく見守るユノの前で、セルマは三百年前には存在しなかったハーブバターをパンにたっぷりと乗せて頬張る。
「食べながら聞いて貰いたいのだが」
セルマが食事を開始するのを見て、ユノが話し始めた。
「昨日、兄上と話し合った。私があの三人の中から妻を娶ることは……というよりも、私がこの話を受けないことは、国内のどこかに不具合を残してしまうらしい」
そうであろうとは思っていた。動揺を表には出さないようにして、ただ、はい、と答える。
「それと、貴女のこともだ。兄上が言うには、この縁談話を抜きにしても、父上は貴女との結婚を認めないだろうと」
これは意外だった。セルマは小さく息を飲み込む。
「それは……私が亡国の破滅の王女だからでしょうか」
「王女だからと言うのは合っているが、おそらく貴女が思うのと真逆の意味だ。亡国とは言えかつてこの地を治めていた王家の血筋であること、神聖術という特別な魔法を使うこと。父上はおそらく私が現状以上にわずかでも力をつけることを嫌がるだろうと」
「まあ……」
(私なんかが力と思われるなんて……)
こんなにも時間が経って、まだ自分の出自に意味があるらしいということに驚いてしまう。
同時に、やはり結婚は出来ないのかと沈んでしまう。
しかし、ユノは言った。
「と、言うことでな。申し訳ないが、今後貴女は王女ではなく、ここに来るまでのどこかで私と偶然出会って互いに一目惚れをした平民の村娘、と名乗って貰いたい。これならむしろ父上は喜ぶ筈だ」
「はい?」
セルマは瞼をぱちぱちさせた。少し混乱してから、受け入れる。
(それは、私を側室として置いて頂けるという意味なのかしら)
そういう扱いであれば今後も恋心を殺さないままユノの隣にいられるようになる。それは嬉しい。とても嬉しいのだが……
ハッと顔を上げる。
「ディアナ様達に私の素性を話してしまいましたわ。騎士様達にも神聖術を見せてしまいましたし……」
「騎士の方は後で記憶をすり替えておこう。自分達が見たのは私の魔法だ、とな。令嬢達は既に記憶の消去済みだ」
「? ユノ様は、今朝はもう皆様とお会いになって……?」
「夕べの内に二人が別々に寝所を訪ねて来たのでな。丁度いいので処置をした。ディアには今朝、伝言を頼んでおいた。あれはおそらく協力してくれるだろう」
にこにこと答えてくれるユノだが、セルマには刺激的な情報過ぎて頭がくらくらする。
(寝所を訪問……)
それはさすがに令嬢のやり方として一線を越え過ぎではないだろうか。とも思うが、
(いえいえ。時代のルール違いもあるかもしれないわ)
と、どうにか自分を納得させる。
(それにしてもミア様はともかくポルシャ様までそのような行動をされるとは……?)
セルマの頭は疑問で一杯になった。
「ともかくそういうことで、私は少しの間この地を留守にする。少人数なら魔術での転移が可能なのだ。兄上と一緒に王都へ行って貴女との結婚を父上に受け入れさせてこようと思う」
「⁉」
カトラリーを落としかけ、慌てて口を開く。
「私は……側室になるのではないのですか?」
「何故だ。私の妻となるのは貴女一人しかいない」
「でも、このお話を受け入れなければ国内のどこかに不具合が残ってしまうのですよね?」
「そんなもの。勝手にごたついていればいい。私に関わりのある話じゃない」
ユノはふん、と口元を歪ませる。
その反応を見て、セルマは思わず背筋を伸ばした。
「ユノ様。ダイデン殿下からお話を聞かれているとは思いますが、この縁談の妻とは名前ばかりのものなのだそうです。その上で側室を受け入れてくれるそうですわ、その……ディアナ様とポルシャ様は。なので私はそのような立場で全く問題ありません。私の為に国内を乱してしまうことを思えばよほどいいですわ」
「……セルマ」
伸ばされたユノの手が、セルマの手の上に重ねられる。黄金色の目がどこか悲し気に揺らいだ。
「私は貴女を、側室などにしたくないのだ」
「ユノ様」
セルマもその手に自分の手を重ねる。
「……ありがとうございます。ユノ様のお気持ちは、とても嬉しいです。ですが……このお話は国内の安定とユノ様の今後のお立場に必要なものなのでしょう? でしたら受け入れなければなりませんわ。どんなに気持ちがもやもやしても、それが王族の務めというものでしょう」
「私は皇子として生まれた務めはもう充分に果たした。大陸を平定して戦を終わらせたんだ。これ以上何を支払わなければならない?」
「国外の憂いを失くしても、国内が崩れてしまえばなんの意味もありませんわ」
セルマとユノは互いに互いを見つめ合った。
そこで、ふ、と力を抜いたユノが顔を逸らし、セルマの手も放す。
「……私は貴女をこの上なく愛しいと思っている。だが、もしや、貴女の方はそれほどでもないのだろうか」
「ユノ様⁉」
「……昨日、とある人物に言われた。誰かを愛しいと思う時は、その相手の何から何までを独り占めしたいと思うものなのだと。誰かとの分け合いを受け入れられるようなら、それは相手の心が欲しいのではなく、相手に付随した何かがその者にとって都合のよいものなのだろうと……」
セルマは思わず少しカッとした。
「ユノ様は私の心を疑っておいでなのですかっ?」
「そういう訳ではない。だが、貴女があまりにもあっさりと側室の立場を受け入れるのが面白くないのは事実だ」
「私だって、ユノ様に正式に妻と呼ばれるお立場の方が出来てしまうのは苦しいです。大声で叫び出したいくらいに。ですが、そんな気持ちと国からの命令は別な話ですわ」
「セルマ、貴女を苦しませる行為など私は何一つしたくないのだ」
「ユノ様、私だって、私自身のことで貴方の未来に影を落とすことはしたくないのです」
セルマとユノは視線をぶつける。
つい先程までの、セルマを愛しくて仕方がないと言う目で見ていたユノはもうそこにはいない。
おとなしくユノの言葉に従っていればいいものを、真っ向から反対してくる彼女をやっかいな女だと思っているのか、いないのか。怒りではなく困惑したような、どこか悲しそうな拒絶の様な、そんな表情をするユノにセルマの心はくじけそうになる。
けれどここで引く訳にはいかなかった。
(どうしてわかって頂けないのだろう)
自分はこんなにもユノのことを思っているのに。そう思えばセルマは泣きたくなった。
すると。
「……わかった。私が城へ行けば全て解決する。国内の不満などこの私の魔術一つでどうとでも出来るからな」
「っ……」
そんなユノの言葉を聞いて、セルマの胸が、悪い方の意味でどくんと鳴った。
(ユノ様。それは、まるで……)
一瞬、眩暈がする。セルマの中で、目の前のユノとあの日の従姉の姿が重なった。
セルマよりも自分を妻にした方が相手も嬉しいだろうと豪語したジェマ。
魔術と言う能力で、他人の意志を踏みにじることを何も思わないかの様なユノ。
知らない内にセルマの体は震えて始めていた。
「……たった一人の我儘を通す為に……国の決まり事を覆すおつもりなのですか」
「まだ正式に決まった話ではないだろう」
「王族の婚姻は、自らの幸せではなく国と民の利益の為に結ばれるものです」
「私はもう皇族としての籍を抜いた。そんな私を今更利用する方が契約違いなのだ」
「ユノ様の言い分は、本当に現状に添うものなのでしょうか……!」
思わず言い方が強くなった。
ユノがこの話を蹴ってセルマと結婚した場合を想像してみた。
この婚姻で利益を得る筈だった者達が代わりを手に入れようと互いに奪い合いを始める……もしくはそれを言い掛かりにしてユノ自身が標的にされ、何者かに襲い掛かられる。
そんな恐ろしい未来がセルマの頭の中を一杯にした。
(……私だって、本当は嫌だった)
三百年前。一度だけ顔を合わせた隣国の王太子の、セルマへと向けられた冷たすぎる目。
愛する家族のいる国には帰れないと告げられたこと。セルマの立場は第三妃だったこと。
あちらに見縊られてはならないと国の予算を削って準備されたセルマの贅沢な嫁入り道具は、前入りしていた隣国の使者に『そのような貧相な品は不要。全部こちらで用意する』と鼻で笑われたこと。
『ご自分の幸せを考えたことはないのですか』
セルマにそう聞いて来たのは誰だったろう。
『私の愛する者達が平和であることが私の幸せなのです』
そう答えた。それまでも自分の意志は決まっていたけれど、何故かこの時はっきりと、家族と国の為に隣国へ嫁ごうと心が定まったのだ。
(でも、その思いすら全部壊されてしまった……)
あの日見た。王城前にずらりと並べられた家族や親族の亡骸を思い出してしまう。
ただ一つの傲慢が国一つを滅ぼした。そんな悲劇が、再び繰り返されてしまうとしたら。
(もう二度とあんな景色は見たくない……!)
思い出したくもない過去が次々と蘇り、気付けばセルマはその場で立ち上がっていた。
「ユノ様は! もう一度きちんとご自分のお立場を考えるべきですわ!」
そうしながら、セルマの耳はどくどくという自分の心臓の音で塞がれる。
少しずつ呼吸が苦しくなってきた。体が強張り、動かなくなる。
(……あら? なんだか急に暗く……)
「セルマ、こればかりは貴女の意見でも……? どうした? セルマ!」
ユノの見ている前で。
顔色を真っ白にしたセルマはその場で床に崩れ落ちた。
遠くにユノの気配を感じながら、そのまま意識を失ってしまったのである。




