3 青い花畑
その翌日。
「これを君に」
皆で朝食を取った後、セルマと一緒に廊下に出たユノが、服の中から取り出した一つの指輪を渡して来た。
「これは屋敷の扉の鍵だ。この権限だと全ての場所で入室許可が下り施錠も出来る。君が部屋を出る時は必ず鍵をかけるようにしてくれ。魔術研究所の人間が君の存在を知ったら、研究の為にどんな罠をしかけてくるかわからないからな」
(どういう種類の方達なの……)
無法地帯の様な相手に思わずぞっとしてしまったが、ともかくここはわかりましたと頷いておく。
「……よければ僕に、つけさせてくれ」
「はい」
不思議な紋のついた金色の指輪をユノはセルマの人差し指に嵌めた。
それだけで、二人でもじもじしてしまう。
(男の方に装飾品、の様な物をつけて貰うなんて初めて)
気付いて恥ずかしさがさらに増す。
「ユノ様が! あの、ユノ様が自ら進んであのような行動をするなんて……!」
「母上、声を小さく」
「自動サイズ調整付きかあ、いいなあ」
まだ食堂の中にいた三人が廊下にいた二人を覗いていた。
むっとしたユノがその視線からセルマを隠すようにする。
「では今日は鍵の使用テストも兼ねて、屋敷と魔術研究所の案内をしよう」
そうして二人は屋敷内を歩き始める。
屋敷は全部で十数室程度のこじんまりした広さだった。無駄な飾りはないに等しく、屋敷と言うより役場の廊下のようだとセルマは思う。
(そう言えばこれまでは、飾る花を入手するのも手間なのだったわ……)
花瓶等が見当たらないのはそのせいかと考える。
「各人の私室と執務室以外は領民なら誰でも好きに使っていいことになっているが、ピート以外の魔術師はほぼここには来ない。そしてこの屋敷にいるのはランとソフィアと料理人のリックだけだ」
「少数なのですね……」
普段屋敷の清掃と洗濯はユノが開発した魔道具でソフィア一人で回しているそうだ。
食事は料理人が任されている。
魔術研究所の魔術師達は食に一切関心がなく、必要な栄養を最低限の労力で摂取出来るように作られた携帯食品だけで済ませていると言う。セルマが最初に口にしたあれだ。
さらにそれすらも忘れてしまう者がいるので、彼らに栄養と睡眠を取らせるのは魔術師内では唯一の常識人であるというピートの役目らしい。
そんな話をしながら二人はあっという間に屋敷内を周ると、次は外に出て隣接する真四角な白い建物に向かう。
「こちらには今十人ほどの魔術師が住んでいる。皆、魔法騎士団を辞めてついてきた者だ。個室に籠る者もあれば共同研究をしている者もいる。衣食住を保証する代わりに給金などは一切なし。研究費は申請すれば用意されることになっている」
「皆様、魔術が本当にお好きなのですね」
「ああ。……だからくれぐれも本当に、君はここの連中には警戒するように。……そうだ、ここには図書室がある。魔術に関する物がほとんどだが、それでも読みたくなったら私かランに言ってくれ。ソフィアはわからないし、ピートは自分の好奇心優先になるから。一人では来ないように」
「はい」
(久しぶりの本!)
それを聞いて少し嬉しくなった。
呪いの間も読書中の人の背後から覗き込むなどして本は読んできた。けれど自分のペースでないということが非常にもどかしかったので、それが解消されるだけでも大変喜ばしい。
結局、魔術師達には一人も出会わないままセルマ達は軽く内部を一回りして研究所を出た。向こうはこちらの気配に気付いていた筈だが、現段階では興味を持たれなかったのだろう。
「さてと。これで案内は終わってしまったな。次はどうしたい。敷地の周囲をぐるりと一周してみるか?」
「それでしたら。どこか日当たりがよくて広い場所に連れて行って下さいませんか?」
セルマの言葉で、二人は敷地を囲む塀の外へ出た。
そこは昨日から一面の草原となっていた。
しゃがみ込んだセルマは大地に口を近づける。
『野菜。それと林檎をお願い』
彼女がそう言うと。
それまでただの草むらだった大地がもりもりと盛り上がり、生えて来た草や木が一気に成長して実をつける。
(出来たわ!)
望み通りの成功に心が弾む。
「この場所がお邪魔だったら言って下さいね。後でご指定の所に移動させますので」
「これは……どういう仕組みなんだ? 種すら巻いていないのに……」
目撃したユノが呆然としていた。セルマは困ったように笑う。
「私にもよくわからないのです。この土地の地中に眠っている種を集めてきてここで芽吹かせてくれる、と聞いた覚えはあるのですが……」
そこで少し考える風だったユノが、片手を広げて何かを唱えた。
一瞬の小さな輝きの後、掌の上に小さな粒が乗っている。
「魔術で取り寄せてみた。これは特殊な環境でしか育たないと言われている植物なのだが……この花を咲かせることは出来るか?」
「やってみます」
種を受け取ったセルマはそれを畑となった場所の隅に置き、軽く土を被せる。
『咲かせて』
すると見る見る間に植物が腰の高さまでに成長し、透けるような青い花びらの神秘的な花を咲かせた。
おお、とユノが感嘆の声を上げる。セルマの方はその美しさに目を奪われる。
「このようなお花、初めて見ました。名前はなんと言うのですか?」
「ブーレルルー。高い山の最奥にしか咲かない幻の花と呼ばれている。何十年も前に種だけ持ち帰った者がいて、ずっと保管されていたのだが……本当に、咲くのか」
ふと、何かに気付いたようにユノはセルマの横顔を見つめる。
「この花は、貴女の瞳の色だな。……この世のものと思えないほどに美しい所がそっくりだ」
「!」
驚いて振り向いたセルマはユノと正面から目と目が合った。
お世辞を言って口説いている、と言う雰囲気は微塵も感じられない。ただ本気で思ったことをそのまま口にしたのだという様子を理解して、セルマは真っ赤になってしまう。
(ご自分の言葉の力をわかってらっしゃらない……!)
動揺を誤魔化す為に立ち上がったセルマは、近くに育った林檎の木の下に走った。
「ユノ様! ファンセンチの林檎です、一口如何ですか? 小ぶりだけどとても甘くて国の名産になっていたのです」
「そうか。では貰おうか」
セルマは捥いだ林檎を服の袖で拭い、ユノに手渡す。自分にも一つ同じようにした。
「ファンセンチの城の庭にも大きな木がありました。子供の頃は兄弟達とこっそり食べて……私だけ夕食が入らなくなって、よく叱られていました」
深紅の実にがりりと歯を立てる。わずかな酸味とはちみつのような甘さが口の中に広がる。
同じように齧りついたユノも、飲み込んでセルマに顔を向ける。
「うまいな」
「よかった。お口に合って」
「たくさん育てて誰でもいつでも食べられるようにしておくか。そうだ、せっかく畑も出来るのだし、幅広く農業に詳しい者を雇い入れよう。後でランに言っておかなければな」
「領民の食べる分だけでもここで賄えたら皆様喜んでくれるでしょうか……」
ふと思い出していた。
セルマが幼い頃、一年で最も楽しみにしていたのは収穫祭の一日だ。
この日ばかりは誰も彼もが無礼講で、王族であるセルマ達も民と一緒になって収穫を手伝い、夜になれば神々への供物と炎を囲み、歌い、踊って過ごしていた。
(この場所でまたあんな暮らしが出来たらいい……)
懐かしさに笑みが浮かんでしまう。思いついて、ユノに尋ねた。
「ユノ様は、ご兄弟はいらっしゃるのですか?」
「私か。同母兄が一人と、異母兄弟が7人だな」
「それは……随分と賑やかなお城を想像してしまいますが、実際はどのようだったのでしょうか」
「同母兄は歳が離れていたし……他は話が合わなかったからほとんど関わらなかったな。私の関心は魔術にしかなかったので、兄弟より、同じ興味を持つ貴族の子と話す方がマシだと思っていた」
「そう、なのですか」
王家の子供らに交流がない、などは珍しい話ではない。うっかり聞いてしまったが、これ以上話を進めるのはよくなさそうだとセルマは急いで次の話題を考える。
だが、そんなセルマの様子に気付いたユノも、慌てて話題を繋げた。
「ああ、そう言えば、すぐ上の兄だけはよくこちらに絡んでくるので話をしていたな。彼との話はいつも平行線で、どちらも折れようとしないので会う度に喧嘩のようになってしまうのだが……不思議と嫌な感じではなかった」
「まあ。ユノ様が言い争うというのは想像が出来ません」
セルマにとってのユノはただただ優しく美しい最愛の相手だ。
「……ピートが言うには怒った私は無表情さが逆に怖いらしい」
不満そうな様子のユノに、つい、笑ってしまう。
「では私はお話の最中にユノ様が表情を失くされたら警戒を始めた方がよいのですね」
「必要ない。私は貴女に怒ったりしない」
「そうでしょうか。心を開いた相手と暮らしていくならいつか互いに譲れない場面もあるかもしれませんわ」
「そういう時が来たとしても、私は感情的にはならずに貴女に自分の思いを伝えるだろう」
「それは……少し、安心しました。ですが、あの……私は感情の制御のやり方をすっかり忘れてしまったので、もしかしたら、嫌な時にはちょっと怒ったりしてしまうかもしれません。それは許して下さいますか?」
「私が貴女を許さないことなどない」
そう言ってユノはセルマの手を取った。
「私は人とのつきあいがうまくない。今後貴女が私のやり方に納得がいかないことがあるかもしれない。その時は遠慮なく、怒ったり喚いたりして気持ちを伝えて欲しい。それくらいでなければ私は問題そのものに気付けないかもしれないからな」
「……はい。ありがとうございます。必ずそうしましょう」
(ユノ様は、私の心も知ろうとしてくれるんだ)
かつてセルマの家族はセルマを大事にしてくれていた。けれどそんな彼らでも、セルマが貴族女性の型から外れた感情を表に出せば困ったように窘めて来るのが普通だった。
(……ユノ様が、ユノ様でよかった)
心がほっこりしてしまう。
セルマは間違いなく、体を取り戻せた恩人であると言う以上の意味で、ユノという人物に心を惹かれていた。
そこで、ときめくセルマとは反対に、何故かユノがふいに顔を背けた。
「……実はな。ランに注意を受けたのだ」
「? ランさんに?」
なんだろう、と首を傾げる。
「貴女のような状況で、この地の主人である私からの求婚は脅迫に近いのではないかとな」
セルマは驚いた。むしろ自分にとって都合がよすぎる、と思っていたくらいなのに。
ユノはどこか後ろめたそうな目のままセルマを覗き込むようにする。
「セルマ。……出会って数日で信じては貰えないかもしれないが。……私は、貴女を愛している」
「!」
「呪いを解き、初めて貴女を見た時、なんと愛らしいのかと思った。これまで生きてきて、私は魔術以外のものにそのような感想を持ったことはない。おそらくあれが世に言う一目惚れと言うものだったのだろう。貴女の神聖術に感動したのは恋をしたきっかけではない、むしろ、貴女に求婚する為の後押しだったのだ」
知らなかった。
ユノは魔術にしか興味がないと聞いていたので、てっきり姫巫女の力を見染められたのだと理解していた。
セルマはそれでも充分だった。この人と決めた相手に望まれたのだ。これ以上の幸せはない、とすら思っていたのに。
(私は、ユノ様に愛されている)
受け取った言葉を飲み込んで、涙が出そうになるのをぐっと堪える。
「だから……これが最後の機会になる。今ならば、貴女が私の求婚を受け入れたのは保身目的だったと言っても決して罪には問わない。今後どこか別の場所で暮らしていける用意もしよう。……貴女の本心は、どうなのだろうか」
「⁉」
唐突な方向転換に涙が引っ込んだ。
思わず抗議をしようとして、怯えた顔でこちらを見つめるユノの様子に気が付いてしまう。
(そうだわ。私がユノ様のお気持ちを初めて知ったように……ユノ様にも私の気持ちなんてわからないのだから)
セルマは自分の心を見つめ直した。精一杯の言葉で、ユノに思いを伝える。
「……三百年前。私は従姉に騙されました」
頭の中には従姉の声が蘇る。
『もうすぐお別れなんて寂しいわ。最後に貴女の幸せを祈るおまじないをさせてちょうだい? さあ、手を出して』
その言葉を真に受けたセルマは彼女と自分の掌を重ね、うかつに魔術を受け入れる用意をしてしまった。人を疑わない無邪気さの代償が、三百年の彷徨と喪失だったのだ。
どうしてあっさりと信じてしまったのだろうと、あの夜を悔やまない日はなかった。
「呪いを受けた間中、もう二度と、簡単に人を受け入れたりしないと心に決めておりました。……ユノ様が私の力を利用しようとしているのかもしれない。そう思わなかったと言えば嘘になります。でも……貴方になら、例え騙されていたとしても構わない。そう思ったのです」
セルマから、ユノの手を取った。
「私もユノ様をお慕いしております。どうか、私を貴方のお側において下さいませ」
「! ……ありがとう、セルマ」
二人は頬を紅潮させたまましばらく見つめ合う。
やがて恐る恐る伸ばされたユノの手がセルマの肩に置かれると、二人はどちらからともなく顔を近づけて……ふいに止まった。
「⁉」
二人揃って異変を感じ、周囲を見回す。
すると。
セルマたちの周りでは、ブーレルルーの花が辺り一面を埋め尽くして咲き乱れていた。
気付いたセルマは慌ててしまう。
「そんな、どうして、私は何も頼んでいないのに、」
「……待ちくたびれた末の再会に喜んで、土地が貴女に過剰な歓待をしているのかもしれないな」
「そんなことは……」
神殿の教えでは聞いたこともなかった。でも、目の前の光景を見てしまえばそんな想像がしっくりきてしまう。
(まるでファンセンチが私たちを祝ってくれてるみたい……)
幻と呼ばれる花々が風に優しく揺られている。
夢のような景色の中で、セルマとユノは今度こそしっかりと互いの気持ちを確かめ合うのだった。




