2 取り戻すもの
そうして翌朝。
セルマは清潔な寝台の上で目を覚ました。
しばらく状況が飲み込めずにいると、昨日も顔を合わせた女性が部屋に訪ねてきてくれる。
「おはようございます。ゆっくり休まれました?」
そこでようやく、自分が長い呪いにかかっていたことと、それを昨日ようやく解いて貰えたことを思い出した。
(悪いこともいいことも夢ではなかった)
大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
いつまでも過ぎたことに捕らわれていても仕方がない。今日からは、新しい日々を始めるのだ。
「家政婦長のソフィアと申します。この屋敷には他に女手がおりませんので、貴女様のお世話は私が担当させて頂きますね」
「セルマ・ファンセンチです。どうぞよろしくお願い致します」
(優しそうというか……とても頼もしい感じの方だわ)
かつての乳母を思い出してしまう。
それからセルマはちゃきちゃきしたソフィアの仕切りで手早く身支度を終える。
他の人々は既に朝食を取ったそうで、セルマは一人で用意された温かく柔らかな食事を完食した。
気持ちも体もすっかり人間らしさを取り戻してから、応接室へと案内される。
(素晴らしい朝だわ)
久しぶりの本物の睡眠のおかげで頭の中がすっきりしていた。今日と言う日は、目にするもの全てが輝いて見える。
(まるで、生まれ直したかのような気分)
踏みしめる真新しい絨毯の感触が嬉しい。窓から差し込む朝日はこれまでどんなに見たどんな光より清らかで、揺れるカーテンは打ち寄せる波のように美しい。頬に触れる空気までが、温かく柔らかで心を和ませてくれた。
セルマは思う。
(……あの方が、私に新しい命をくれた)
思い浮かべたユノの顔にふっと頬を緩める。
今からまた、彼に会える。そう思うだけで気持ちが弾んでしまう。
ウィード帝国第五皇子ユノ。それがセルマの恩人の名だった。
身支度と食事の間、ソフィアはこの地のだいたいの事情をセルマに話してくれていた。
この土地は現在ウィード帝国のマイカ領、と呼ばれているらしい。
セルマのうっすらとした記憶では、セルマの国を滅ぼしたのが隣国のマイカ王国だった。そのマイカがモリオ公国に併合されたところまでは認識していたのだが、その後、モリオはウィード帝国に吸収され大陸はほぼ統一されたらしい。
(いつのまにか大陸全部が一つの国になってたなんて)
それを成し遂げたのが、昨日セルマの魔術を解いてくれた人物、ユノであった。
ユノは幼い頃から凄まじい魔術の才を持ち、魔術以外には何も興味を示さない子供だったと言う。
15歳の時、「戦を終えれば好きなだけ魔術研究に没頭していい」という約束を父帝に取り付け、彼は魔術騎士団の最年少団長となった。
そして『相手を無条件で恭順させる』という驚異の魔術を使ってわずか数年で大陸中を支配下に置いてしまったのだ。
それが半年前の話である。
その後ユノは当初の願い通りに皇位継承権を放棄した。不毛の地と呼ばれるここマイカ領を自分の領地として、そこに閉じこもって生涯魔術の研究に没頭することを許されたのだった。
先にこの地へやって来た人間が受け入れの準備を整えて、ユノはまさに昨日到着した所だったそうだ。
(そんなお忙しい時に私なんかに時間を割いて頂くなんて申し訳ないわ……)
聞かれたことにはさくさく答え、出来るだけ手間を取らせないようにしようと決めておく。
(そして、とにかくここに置いて頂けるようお願いしなければ)
セルマは家事などしたことはなかったが、いつ元に戻れてもいいようにと様々な仕事の手順を見学して覚えることはした。どこまで役立つかわからないけれど神聖術の知識もある。
どんな些細な事でもいいからユノの役に立つことがしたい。心からそう願っていた。
部屋に入ると、そこにいたのはユノを含め、昨日見かけた顔ぶれと同じだった。
彼らに向かってセルマは王女の礼をしてみせる。
「ファンセンチ神聖国第一王女セルマでございます。この度のご厚情に深く感謝申し上げます」
「ファンセンチ神聖国……」
その場にいた全員が、声を揃えて繰り返した。
「あの呪われた国か⁉」
「密かに王族の血筋が続いていたのでしょうか」
「でも三百年も前に滅んだ王家なんて……」
「三百年⁉」
今度はセルマが声を上げる番だった。
(かなりな時間が経っていたとは思うけど。まさかそこまでだったなんて……!)
驚きのあまり開けっ放しになりそうだった口を急いで閉じた。
こうなってしまっては、セルマの身分を証明するのはセルマ自身でしかない。せめて王族らしい所作は維持していこうと気を抜かないようにする。
「そう言われてみれば、セルマ様のお召しになっていたドレスは今では使われていない仕様の物でしたね」
ソフィアが証言してくれる。
目覚めた時、セルマが元々着ていたドレスは片付けられていた。女性物の用意が他になく、急遽ソフィアの新品服を手直ししたのだと言う紺色の服を与えられた。ふわりと柔らかな生地で出来たそれは中身の締め付けもゆるく、セルマの感覚では少し落ち着かない。
(文化の違いではなく、時代の違いだったのね……)
軽く布地を触る。セルマの頃なら王族が着そうな軽やかな生地が使用人女性の日常着として使われていることにも驚いている。
「そう言やああいうぶわっとしたドレスの肖像画があったよね?」
「皇宮書庫の猫を抱いた貴婦人、だな。あれはマイカ王国時代だったか……」
昨日セルマを鳥籠に閉じ込めた魔術師らしき男性と、それを運び入れた文官らしき男性が発言した。
彼女の視線に、魔術研究所のピートとユノの執事のランだと紹介がされる。そのランがふと思い出したように言った。
「と言うか……セルマ第一王女であると言いましたね? 確かその名は破滅の王女と呼ばれていた筈……」
「知っているのかラン」
「この地へ来るにあたって土地の歴史を学びました。ファンセンチのセルマ第一王女と言えば、政略結婚を拒んで駆け落ちを果たし、その愚行で国の滅びを招いた当人だと……」
人々が先程までとは違った視線をセルマに向ける。セルマはぎゅっと掌を握る。
(……知ってるわ)
この国に残って。人々がセルマのことをどのように悪し様に罵っていたか、セルマは自分の耳で聞いていた。
セルマは国の民を愛していた。民達も、姫巫女として働くセルマを心から慕っていた。けれどあの日以降、彼女と関わりのあった者もなかった者も、全ての国民がセルマを激しく憎んだのだ。
彼らの目の前に立ち、あるいは耳元でどんなに言い返してもセルマの主張は届かなかった。
(でも。今は違う)
セルマは顔を上げた。
そしてユノ達に向かって、あの日に起こった事実を話して聞かせた。
唐突に見舞われた理不尽への怒りも悲しみも。家族や国を奪われるまま、何一つ抗えなかった苦しみも。
出来るだけ感情的にはならないよう、でも感じたことはそのままに伝えておく。
それは、セルマ自身の気持ちを整理する意味合いもあった。
「……以上が、私の身に起きた真実です」
話し終わってふうと息をつく。
信じては貰えないかもしれない。それでも自らの口で説明が出来たことにセルマの心はかなりすっきりしていた。
(ああ、でも、破滅の王女と思われたままではここに置いて頂けないかもしれないのだわ)
押し寄せて来た不安に口元を引き締める。
そこでランが「少々お待ちを」と言っていきなり退室した。彼はすぐに一冊の本を持って戻って来る。
「これはファンセンチ滅亡時の様子を記録した文書なのですが……そうだ。王族の姫の一人が処刑を前にして錯乱し、第一王女は駆け落ちなどしていない、呪いで姿が見えなくなったのだと訴え……死ぬ直前まで第一王女に出てくるよう呼び掛け続けていた、とありますね」
「!」
(ジェマ……!)
従姉の名を呼び、セルマは胸を押さえた。
ふむ、とユノは頷く。
「セルマ殿にかけられていた魔術と、双方の話の辻褄は合うな。魔術としての手応えも数十年では効かない感覚だった……」
自分の掌を眺めたあと、セルマに顔を向けた。
「セルマ殿。正直、私は過去の出来事などどうでもいいし、三百年も呪いに縛られていた貴女の気持ちを察することも出来ない。だが貴女一人くらいをこの場で休ませるくらいのことは出来るし、なんならずっとここにいて貰っても構わない。その場合は領民として誓約魔術に署名して貰うので、よく考えてから決めて欲しい」
「!」
突如言い渡された申し出に、セルマは飛び上がりそうになる。
「あ、ありがとうございます、皆様さえよろしければ、ぜひ私をここで働かせて下さいませ!」
「働く? そうか……そうなるのか。お前たち、何か王女に出来そうな仕事はあったかな」
きょとんとしたユノは周囲の者たちを見る。
そこでソフィアが身を乗り出した。
「ユノ様。王女であったお方に相応しいお勤めと言えば。皇子の妃になられることではないでしょうか!」
「⁉」
(何を言い出すのこの方は⁉)
セルマはびっくりしてそちらを見る。
ピートもまるで恐ろしい物を見るかのような目をソフィアに向けた。
「うわあ。ほんと、もはや誰でもいいんだね、ソフィアさん」
「失礼な! 未確認とは言え由緒正しい血統とご身分! 健康そうなお体! お美しい容姿! 親族がいなければプラスはありませんがマイナスもありません! というかもはや引退されたユノ様にはその方がよいでしょう! これ以上ない良縁ではありませんか!」
「ピート。母上を押さえて」
興奮してセルマに詰め寄って来るソフィアをピートが元の位置に戻す。
(ソフィアさんはランさんのお母様なのね)
混乱しながらセルマは一つの事実を知る。
その間にランがセルマに呼びかけた。
「セルマ殿。貴女が本当にセルマ王女であれば、神聖術とやらが使えるのですよね?」
「はい。まだこうなってからは試しておりませんが」
(神聖術をご存じなんだわ)
自分の唯一の特技を知っていてもらえたようで少し嬉しくなる。
「それはいい。神聖術は全ての魔術の大本となったものだと言われています。魔術研究所の所員となってそちらの研究に協力して頂くという道もありますね」
「まあ! 今でも実際に使えるのかは不明なのですが、知識だけは頭の中に残してあります。それをお伝えすると言う形でしたら喜んでお引き受けしますわ」
前のめりなセルマの返事にランがにこりと微笑んだ。
「充分ですとも。失われたファンセンチ神聖術ですよ、よかったですねユノ様……ユノ様?」
呼びかけられ、皆が見守る中で。ユノが突然立ち上がった。そのままセルマの手を取ると、こちらも席を立たせる。
「そうか、貴女は神聖術を知っているのだな? では試そう。今すぐ」
「は、はい?」
「まずはこれぞ神聖術というものを見せてくれ。ここじゃ何だな、どこがいい? もっと広い部屋か?」
「そ、それでは一度、屋敷の外へ!」
急かされて思わずセルマは言っていた。
そして一同はセルマの手を引くユノと共に敷地の外に出る。
高い塀に囲まれた屋敷の外側は、見渡す限りの一面の荒野となっていた。
このマイカ領には一切の植物が育たない。
戦の後、国中の植物が徐々に枯れていき、それ以降二度と育たなくなってしまったのだ。作物が育たない為に人々が土地を捨て、やがて誰も住まない広大な荒野と成り果ててしまったのをセルマはずっとこの目で見ていた。
それはファンセンチ王家の滅びと共に始まったので、無念の死を遂げた王族の呪いだろうと言われている。実際に、その後たくさんの魔術師達がどのような魔術を施そうとこの地が蘇ることはなかった。
(マイカ王国はうちの神を軽視してたから……)
王家を滅ぼした後のことなど何も考えていなかったのだろう。それが、この結果だ。
セルマは悲しい思いを吹き飛ばして、三百年ぶりに故郷の空気をその体に思い切り吸い込んだ。
「私に神聖術が使えるとなれば、身分の証明にもなりますね」
ユノたちに微笑んだ後、彼らから一歩前に出て地面に膝をつける。
大地に息がかかるほど顔を近づけて言葉を発した。
『萌えよ』
すると。
一瞬、まばゆいほどの光が辺りに弾けた。目が眩んだ人々の視界が戻った時には、周辺は一面の草原に生まれ変わっていた。
(よかった。まだ覚えていてくれたのね)
草むらをひと撫でしたセルマが立ち上がると、呆然としているユノ達に気が付く。慌てて説明をした。
「この土地はファンセンチ王族と契約をしているのです。私達がその血筋を示し、土地に願えば、緑を生やすことも絶やすことも可能なのです」
「土地と、契約……!」
「神話の時代の話だと聞いているので、普通の魔術とは成り立ちが違うのかもしれません」
植物が枯れ果てた理由はセルマには想像でしかない。けれど、おそらくは、侵略国にせめて一矢報いようと、セルマの父が唯一使える神聖術でそれを命じて死んだからなのだろう。王族の呪いと言うのは間違っていないのだ。
それでも民が苦しむのを見兼ねたセルマはなんとか再生させたがったが、声が届かない身では叶わなかった。土地が荒れていくのを文字通り黙って見ているしかなかったセルマはずっと歯がゆい思いをしていたのだ。
「えー! 何これ信じられないー」
言いながらピートが草原に立ち入り草や土を調べ始める。ランは頭を抱えていた。
「これは……領地の在り方を一から考え直さなくては……」
「! 畑を! まずは畑を作りましょう、近在から物資を運ぶ手間が省けます」
「その前に研究用の薬草!」
「いえ畑です! 後は牧場! まずは計画書を作らねば!」
ソフィアとピートが言い合いながら競い合うように屋敷内へ戻っていく。
(とりあえず喜んで頂けたかしら?)
セルマはわくわくしながらユノを振り返る。
「……セルマ殿」
ユノは美しい目を見開いてこちらを見下ろしていた。
そのままセルマの手を取ると、ユノはその場に跪く。
「素晴らしい。これほどの広大な魔術を繰り出す者を目にしたのは生まれて初めてだ」
「ユノ様にお気に召して頂けたのなら光栄ですわ」
答えながらセルマの心はほこほこしてしまう。ユノが興味を持つ分野で彼に認められたことがとても嬉しい。
「貴女は私に奇跡を見せた。貴女の魔術は世界一、いや、貴女は私にとって私が愛する魔術そのものだ!」
大袈裟ですわ、と言おうとして、おそらくは自分こそ世界一の魔術師であろうユノの言葉を否定するのは失礼にあたるのではと迷ってしまう。
そんな彼女の前で、ユノはきらきらした目でランを振り返った。
「ラン。私は決めたぞ。先程のソフィアの提案を受け入れよう!」
「ユノ様⁉」
ユノはすぐにその目をセルマに戻す。
「セルマ殿。どうかこの私、ユノ・マイカの妻となってくれないだろうか」
(何故⁉)
硬直したセルマの傍ではランが頭を抱えている。
セルマの頭の中では様々な考えが一気にぐるぐる巡っていく。
そうして混乱したまま口に出たのは、
「はい! 私などでよければ、喜んで」
そんな心のままの返答だった。




