1 放浪の終わり
「貴女は生ける亡霊となるのよ」
そんな従姉の声を最後に。
ファンセンチ神聖国第一王女セルマは突然、実体を失った。
セルマを妃とする為に、数日後には隣国の王太子が迎えに来る。そんな最悪のタイミングだった。
「聞こえてる? セルマ。私はね、あの王太子様に恋をしたの。あの方だって貴女なんかより私を妃にする方が嬉しいでしょう。皆には貴女は男と駆け落ちしたと言っておくわね」
堂々とした従姉の主張にセルマは愕然とした。
(本気で、それが通ると思っているんだ)
愚かな、と思う。誰も彼もが彼女の好意を有難がって当たり前と信じて生きて来た結果がこれなのだろう。
どうにかそんな彼女を止めたくても、自分で自分の体さえ見えず声も出せず物に触れることも叶わなくなってしまったセルマにはどうすることも出来なかった。
ともかく呪いを解こうとセルマは城を出て国の大神官の下へ向かった。生憎その人物が地方へ出向いていることを知り、馬車に潜り込んで何日もかけてそちらを追いかけた。
けれど大神官でさえも呪いの解除は無理らしいと悟ったセルマは再び王都に取って返し……
そこで。
ファンセンチ王家が隣国によって滅ぼされたことを知る。
ファンセンチと隣国はそもそも圧倒的な国力の差があった。第一王女で姫巫女でもあるセルマを差し出すということは、この国の恭順の姿勢を示していたのである。
その重大な意味を持つ婚姻が、駆け落ちなどというふざけた行為で駄目になってしまった。それは軍事国である隣国に『我が国の名誉を著しく傷つけた』という大義名分を与えてしまうのに充分だった。
その結果、ファンセンチの王族は一人残らず処刑となった。抵抗した兵士も民も捕らえられて国は隣国の手に落ちる。
たったひと月足らずの間に、セルマは何もかもを失ってしまったのだ。
(お父様、お母さま、皆……!)
泣いて泣いて泣き明かして、悲しみで蹲っていたのは数日か、数か月か。
ある時、ようやく顔を上げて、これからのことを考えた。
(……いつまでもこうしていても仕方がないわ。まずは、呪いを解きましょう)
姫巫女として数々の問題に対処してきた彼女はけしてか弱いお姫様ではなかった。
セルマはひとまず町へ出る。
そこでなら、誰か一人くらい自分に気付いてくれる人がいるのではないかと思ったのだ。
しかし残念ながらそんな願いは叶わなかった。
何日も何日も歩き続けても、セルマを見てくれる人はいなかった。
ごく、ごく稀に彼女の気配のようなものを感じてくれる相手はいたけれど、その人々はセルマの影に恐怖した。希望にすがったセルマがつきまとえばつきまとうほど相手は怯えてしまうので、申し訳なくなって離れるしかない。
魔術師ならばもしかして、と近づいてみれば、そちらは嫌な音や匂いを使って強引に追い払われてしまった。
セルマは悲しみに暮れる日々を送り、時には怒りを爆発させることもあった。
『誰か! 誰でもいいから誰か、お願いだから私の声を聞いてちょうだい‼』
通りの真ん中で絶叫する。
それでも彼女を見る人はいなかった。
ほんの少しの期待を持ったり、また絶望に突き落とされたりしながらセルマは国中を彷徨った。
(せめて私が私であったことを忘れないようにしよう)
それだけを心の支えにして、一人ではなかった頃の記憶を手放さないように努力を続けた。
気が付けば、全てをなくした日からとても長い年月が経っていた。
セルマはもうほとんど感情を動かさなくなっていた。
ぼんやりと漂い、いつまでも立ち尽くす。
(寂しい、と感じる力さえ無くなってしまった……)
いつかこの意識も消えて無くなるその時まで。
自分は空気のようにそこにあるのだろう。
……そう、思っていたのに。
気が付くとセルマは見たことのない不思議な鳥籠のような物の中にいた。
「……何だこれは」
この頃の彼女は人の声はほとんど聞き流すようになっていた。
にもかかわらずその声が耳に届いたのは、その言葉がまるでセルマ自身に向けられているように感じたからだ。
ゆっくりと声の相手へ顔を向ける。
(……まあ。綺麗な人)
セルマは随分と久しぶりに人らしい気持ちを動かした。
そうして改めて状況を確認してみる。
確か昨日、いつものようにフラフラ彷徨い歩いていたら、なんだかわからないけれど何故かその辺りだけとても居心地がよさそうに見える一角を発見した。その場に座って落ち着くとふうっと意識が飛んでしまう。
そして目覚めればこうなっていたのだ。
(そうか。あれは罠だったのね。まさかこんな私がそのようなものに引っかかるなんて……)
周囲を見回してみる。どうやらここは貴族の屋敷の中らしい。
今いるのは玄関ホールのような場所で、何人かの人間がセルマのいる鳥籠を囲んでいる。
先ほど口を開いた男性は、この中でも一番よい身なりをしていた。
暗い黄金色の髪と、同じ色の瞳。全身黒一色のゆったりした服には髪や瞳と同じ金色で装飾が施されている。
「ユノ様が領主になったお祝いに、って思って。珍しい魔術を集めてたでしょう? ちょうどその辺をふらついてたので確保してみたよ」
そう喋るのはユノと呼ばれた男性と同じ型で灰色の服装をした明るい金髪の若者だ。
「珍しい……確かにかなり珍しくはあるが、これは魔術ではない。これは……人だろう?」
「え? この黒いもやもやがですか?」
眉を寄せる文官らしき身なりの男性。ぴっちりと撫でつけた黒髪のせいでとても真面目そうに見える。
(私が人だとわかるなんて。大神官様でさえ無理だったと言うのに……。こちらの方はきっと優秀な魔術師なのね。と言うことはこれから魔術の研究対象にでもされてしまうのかしら?)
セルマは少しだけ嫌な気持ちになったが、もはや自分の扱われ方などどうでもよかった。むしろあらゆる魔術をぶつけられて消滅でも出来れば有難いのに、と思ってしまう。
「まあ、ピート。もしかして貴方、そうとも知らずにどこぞの刺客を捕らえてきてしまったのじゃない?」
上級使用人、といった服装の黒髪の中年女性が呆れたように言った。
「刺客⁉ これが⁉」
ピートと呼ばれた男性は驚き、ユノを庇うように前に出るのは文官風の男性だ。
けれどユノはゆっくりと首を振った。
「いや。それはないだろう。殺意は全く感じられない。と言うか、使われた術式が余りに古すぎて……」
金色の目を光らせてセルマを見つめながら、何かを解析しているらしい。
「……よし。いいだろう。ひとまず元にもどすぞ。……解除」
おもむろにユノが手を伸ばし、セルマに向かって魔術を放った。
「⁉」
その途端だった。
セルマは自分の体に熱が戻ってくるのを感じる。
思わず全身を見下ろしてみた。今まで透明だった自分の体が見えている。
それは、かつて王城の自分の部屋の中で、従姉から呪いをかけられたあの夜のままの姿だった。
「私……」
口から出た音に、自分でびくりとする。
(声が響く。私の言葉が、誰かに聞こえる……!)
セルマは全身を震わせた。驚きのまま顔を上げれば、唖然としたユノと呼ばれる男性と目が合う。
「そなたは……」
魔術を解いてみたものの、想定していた正体とあまりにかけ離れていたのだろう。その場にいた皆が言葉を失っていた。
最初に我に返ったのはユノで、彼は慌てたように鳥籠に近づくと、扉を開けてセルマに中から出てくるよう促す。
目の前が開かれた。するとセルマは考えるより先に体が動き、出口へ向かって駆け出していた。
(いや。怖い!)
しかし久しぶりの体やドレスの重さに足が縺れてしまう。結果、セルマはその場にぱたんと転がった。
「大丈夫か!」
すぐ傍にいたユノが手を貸してくる。だが反射的にじたばたしたセルマに気付き、ぱっと手を離す。
「恐れなくていい。何も嫌なことはしない。我々は、貴女に危害を加えるつもりはない」
そう言われてから、セルマはようやく我が身の状況に気が付いた。
(ああ……そうだわ)
生き延びる理由などもうないのだ。セルマにとって大切なものは全部失ってしまった。例えここで危害を加えられたところで、行きつく先は死という救いでしかないではないか。
「貴女がここを出て行きたいと言うなら私には止める理由はないのだがな。しかし、この屋敷は荒野に囲まれている。その足でただ飛び出してはどこにも辿り着けずにそのまま命を落とすだろう」
(ああ、それもいいかもしれない……)
家族達の眠るこの大地に、自分も一緒に還れるのなら。
セルマはしゃがみ込んだまま、まるで動かなくなってしまった。
その様子に困惑したユノがもそもそと動く。
「どうした、力が入らないのか? もしかして空腹なのだろうか。だったらこれを食べてみるといい」
「ユノ様それは、」
女性の止める声も無視して服の中から何かを取り出したユノは、その包み紙を剥き、セルマの口元に近づける。
ぐいぐいと雑に押し付けられ、セルマは腹立ちまぎれにその棒状の何かに齧り付く。
「!」
それはほぼ水分のない、甘みも塩気も薄いただ香ばしいだけのさくさくした何か、だった。
けれど、久しぶりに口の中に広がった食物の気配にセルマの全身が喜びの声を上げる。まるで生命の源が体の隅々まで行き渡っていくかのような、不思議な感覚だった。
(おいしくはない……けど、嬉しい)
最初の分を飲み込んだセルマは、まだユノの手に残っていた物にもう一度齧り付き、口の中に入れる。
頬を膨らませ、もぐもぐと咀嚼しながらいつしかセルマの瞳からは大粒の涙が流れ出した。
(……私の体は、生きたがっている)
それは長いこと見失っていた自分の身体の声だった。再び心と体が繋がった喜びに涙が止まらなくなってしまう。
「そうか。やはり空腹だったのだな。ソフィア、すぐに食べられる物を用意できるだろうか」
「厨房を覗いて参ります」
「えーと? これってそういうことかなあ?」
「ひとまず本人が落ち着いたら話を聞いてみましょう」
人々が自分について話している声が聞こえる。
顔中を濡らしながら、セルマは目の前の美しい男性を見上げた。
(この方が、私を亡霊から人間に連れ戻してくれた……)
かつての自分は、家族や民を喜ばせることが生きがいだった。
けれど今は、どんなに体が生き延びたくても、それをするだけの理由がない。
ならば。
(……そうだわ。これからの私は、この方の為に生きればいい。私の残りの人生全てをこの方の為に捧げましょう……!)
そうやって心に決めたセルマは。
その日は突然の復活に心も体もついていけないままその場で倒れ込んでしまった。
呼びかけるユノ達の声を耳にしながら、数百年ぶりに安らかな気持ちのままセルマは意識を失ったのである。




