11 皇子たち
(生きていた……生きていた生きていた!)
誰かに不審者と思われないよう、けれど貴族女性としてありうる精一杯の速度でセルマは足を進めていく。
(どうしてなの……せめてあれが亡霊であってくれれば……!)
三百年前のあの日、セルマは並べられた王族の亡骸を見た。けれど一人一人の顔を確認するまではしなかった。ジェマの逃亡を許してしまった誰かが、己の失態を誤魔化す為に身代わりで数を合わせたのかもしれない。
(あの時に死んでいて欲しかった。そうでなければ私は、自分で自分の心が抑えきれない……!)
広場の中ほどまで来て足を止めた。
巨大な皇宮を振り返れば、足元からぞわりと鳥肌が立った。
(……今ならまだ忘れ物をしたふりで戻れるわ。……向こうも油断をしているかも)
どこかで、武器になる物を調達して。それともあの部屋にあった美しい花瓶を振り上げて。
握りしめた指が震える。
(あの人間が、何一つ苦しまず、笑って暮らしていることがどうしても許せない……それを認めれば私自身の息が出来なくなってしまう)
家族や国の仇討ちという考えにさえ至らずに。
ただ、自分の心を救う為に、ジェマの存在をこの世から消してしまいたい。セルマの心はその欲望一色に染め上がっていた。
(どうすればいいの。きっと機会は一度きりなのに、不確実な方法しか思いつかない。何か、考えなければ、何か……)
ここへ来て見かけた使えそうな物を必死に思い返してみた。
そこで。ふと、脳裏に。ジェマの部屋に飾られていた女神の絵画が思い浮かぶ。
(あれは確か……女神、ダーヴィア……?)
確信するかどうかの所でセルマはその場にがばりとひれ伏した。セルマが歩いていたのは平らに磨かれた灰色の石畳の上だ。ひんやりしたその場に両手をつき、顔を寄せる。
(もしも、そうなら……!)
「おい! どうした、しっかりしろ!」
「!?」
突如、セルマは誰かに体を抱え起こされた。
驚いて目の前の相手を見つめてしまう。
セルマを支えるのは青年と少年の間くらいの年齢の男性であった。明るい金髪と青い目はジェマに似ている。だが顔立ちは見知った誰にも似ていなかった。男性は周囲に呼びかける。
「誰か、医療魔術師を呼んで来い」
「い、いえ! 大丈夫でございます、別に具合が悪い訳では!」
セルマは大丈夫を示す為にすぐに自力で立ち上がった。それを確認して相手は怪訝な顔をする。
「? ではこんな所に蹲って何をしていた」
(どうしましょう)
セルマは焦る。
よくよく見れば、相手の男性はとても手の込んだ服を着ていた。残念ながらダイデンとは違い、二歩も三歩も悪趣味寄りにはみ出してしまってはいるが高級品には違いない。
さらに周りを囲むお付きの者達を見て、これが相当に高貴な人物だとセルマは察する。いきなりこの手を振り払って逃げてしまう、という訳にはいかなそうだ。
なので無理矢理に考え出した言い訳をしてみた。
「う、生まれて初めての登城に感極まり、国と皇家の繁栄を願った祈りの口づけをしておりました……その、誤解を招くようなことになり申し訳ございません」
そんな文化がこの地にあるのかは知らない。相手は増々疑わし気な顔になる。
「城が初めて? 社交デビューはしている年齢だな?」
「長らく領地で療養をしておりまして……」
「療養。ではやはり体が悪いのではないか!」
「いえ! そちらはもうすっかりよくなったのです、本当に……」
セルマは視線を逸らしてしまう。言えば言うほどぼろが出る。
一瞬気まずい間があった。
「……それで。本日はどのような要件で城に?」
「……皇后陛下のお召しに寄り参りました。御用が済み、今から下がらせて頂きます」
「母上の?」
「!」
(この方は、皇子様なのだわ)
そうではないかと思ったがやはりそうだった。風貌からしてユノよりは少し年下だろう。セルマが皇家に関わる予定はなかったが、せめて家族の名前くらいは聞いておけばよかったと後悔する。
その間にセルマを観察していたらしい皇子が、ふと目を見開いた。
「……貴女は母上に似ているな。ゴーダ伯爵家の者か」
とりあえずここは黙って頷いておく。
すると皇子はセルマに向かって手を差し出した。
「そうか。それでは私と貴女は縁者ということになるのだな。……呼び止めてすまなかった。私が責任を持って貴女を馬車までお送りしよう」
「いえ! ありがとうございます、ですが屋敷に帰る前にこちらで寄らなければならない所がございまして……その、皇后陛下のお申し付けで……」
暗に親族の女性同士の私的な要件なのでついてきてくれるな、という雰囲気を漂わせてみた。
だが。
「……ほう。もしやそれは魔術騎士団ではあるまいな?」
「!」
まさかの名称が出て来る。
(どうして……!)
セルマの反応で、相手はそれが正解だと見抜いてしまったらしい。次に深々とため息を吐いた。
「全く、あの方は……ご自分が魔術騎士団に出入り禁止となったらこのような手で接触を図るのか。そろそろ不老の魔術など無理だと諦めてもいいだろうに……」
「あ、あの、私は、」
「ああ、いい、いい。引き留めはしない。行かなければ母上に叱られるのだろう? むしろあの母の我儘に振り回される者にはこちらが詫びる立場だ。……うむ。魔術騎士団だな。送っていこう」
何故かここで腕を差し出され、これがこの時代のやり方なのだろうかと首を傾げつつセルマは皇子にエスコートされる形になる。皇子の取り巻き達は特に口を挟まずにただぞろぞろとついて来た。
セルマは謎の皇子と共に再び王宮から離れ始めた。
(これでもう引き返す機会を失くしてしまう……)
気が付けば、セルマの中から先程までの激情は消えてしまっていた。けれど心に未練は残っている。
(やるのなら、今しかない)
ジェマはこの国の皇后だ。彼女を害してこちらも無事に済む訳がない。これからユノに再会したとして。その後で、もう一度、彼の手を振りきり、自らも破滅させる行為に飛び込むことが出来るのか。
(……いえ。出来ない。でも私には、もうそれしか道はない)
唇を噛みしめた後、セルマは心を固めた。そして大袈裟な身振りで声を上げる。
「まあ! うっかりしてしまいましたわ! 皇后陛下にお預かりした物を、お部屋に置き忘れてしまいました。急いで取りに戻らなくては……」
「おお、それは大変だ。では共に母上の所へ……」
「ジェイド」
そこで、セルマ達の後方から声がかかった。
全員が足を止めて振り返る。
「お前の女性好きは知っているが。いくらなんでも婚約者でもない相手との距離が少し近すぎるのではないか?」
皇宮の方向から、またもや煌びやかな服装をした一行が現れた。
話しかけて来た相手を見たセルマは驚く。
(ダイデン殿下の……お色違い……!)
その人物はダイデンによく似ていた。鮮やかな銀髪と青い瞳。色合いだけが違うものの、顔の造りはほとんど同じだ。年齢は、ダイデンよりもう少しだけ上に見える。ジェイドと同じように何人かのお付きの者を従えている。
(だとすれば……もしやこの方は……)
「兄上。この方は母上の親族だ。私がこのような対応をしておかしなことはないだろう?」
ジェイドと呼ばれた皇子の言葉に、兄上と呼ばれた男性は無遠慮にセルマを眺めてきた。
「……確かに似てるな」
小さく呟いたその一瞬、目が細くなる。けれどすぐに戻る。
「セルマ殿。私は第一皇子のレオだ。ユノに頼まれて貴女を迎えに来た。あれが合流するまで私の部屋で貴女を保護するよう言われている」
「ユノ様から……」
一瞬心を緩めかけ、やはり止める。ジェイドから体を離し、レオに丁寧に礼をした。
「……ありがとうございます。ですが、その前に、皇后陛下のお部屋に忘れ物を取りに行って参ります。殿下のお部屋にはその後でどなたかに案内して頂きましょう」
「……」
レオの答えは返らない。セルマは頭を下げ続けている。
しばらくしてからレオがようやく口を開いた。
「……せっかくここまで出て来られたと言うのに。貴女が今から戻る理由に、私は不穏なものしか感じない」
「?……」
セルマが顔を上げれば、そこに冷たいレオの目が待ち受けていた。
「貴女は既にユノの関係者と見做されている。なので貴女の行動の結末は全てユノへと直結する。その意味はわかるな?」
「⁉」
何故、とセルマは動揺する。
(私の思いを見抜かれている? どうして!)
セルマと皇后の因縁は、セルマ自身でさえここへ来て初めて知ったのだ。他の誰かに伝わっている訳がない。
レオは大きく息を吐いた。
「貴女が義母上の下にいるとユノから連絡があってな。救出の為にそれを父上に伝えた際、私とユノにだけ父上から事情が伝えられた。……まあ、尤も父上は過去の貴女方の立場を逆転して認識していたようだが……それも今となっては確かめようなどないだろう」
「‼」
反射的に、セルマは身を翻して皇宮に向かって走り出そうとした。それをレオが手を伸ばして引き留める。その手を睨む。
「お放し下さいませ」
「貴女の方の言い分が事実であれば、気持ちはわからないでもない。だが、困るのだ。あれは一応この国の皇后だし、ユノは私の大事な弟であり、勢力だ」
「ユノ様については。記憶の処理なりで私との係わりはなかったことに。あれに関しては、いずれあの時私の手を放していればと思う未来が来るでしょう、国の深部に置くべきではない、あれはそういう人間ですわ!」
「兄上。セルマ? 殿か。貴方方は何の話をしているのだ? どうも母上に関することのようだが……」
困惑するジェイドの前でセルマとレオは互いから視線を逸らさない。
「ユノを怒らせるのは避けたいのだがな。もしも貴女がそちらに突き進もうとするのなら、私は貴女を客人ではなく賊として拘束しなければならない」
「何を勘違いされているのか存じませんが! 私はただ忘れ物を取りに戻るだけですわ!」
セルマは精一杯の力でレオの手を振り払った。もう一度息を吐いたレオは片手を上げて周りの者に何か指示を出そうとする。
その時。
「セルマ‼」
声がした。
心を揺らすその声に全身で向き直る。
セルマ達から少しだけ離れた場所に、ユノが魔術で姿を現していた。
「ユノ様……!」
「よかった……また貴女に会えた!」
駆け寄って来たユノがセルマをきつく抱き締めた。しかしセルマはすぐに少しだけ身を離す。
「ユノ様、そのお怪我は……!」
走って来たユノの顔にはところどころ血の跡があった。着ているローブにもあちこち裂け目がある。
「ああ、これは……少しばたばたしていた」
言ってからユノが何かを唱えると、怪我や破れが一瞬で消えてしまう。
「それより、すまない。貴女に怖い思いをさせてしまった。レオ兄上に助けて貰ったのか?」
「いや。私ではないよ。彼女は自力でここまで来ていた。まあ、ジェイドに絡まれて困っていたようだが」
レオに名前を出されたジェイドは飛び上がる。向けられたユノの目にぶんぶんと首を振る。
「セルマ、彼らは第一皇子のレオ兄上と第……七? 皇子のジェイドだ」
「兄弟としては七番目だが皇子としては第六だぞ、兄上。さらに言えば兄上が皇籍を抜かれたので正式には第五皇子となる」
「だ、そうだ」
「そしてこちらはユノの大切な方らしい。残念だったなジェイド」
レオからの紹介にジェイドは少なからず衝撃を受けた顔をしている。
それを見て少しだけ表情を緩めたレオは、ユノを振り返った。
「さて。大事な者の回収も受け渡しも終えたし。私はこれから父上の所に行って話をつけてくる。お前達は私の部屋で待機しているといい。……ユノはその方から目を離すな。そして二人でくれぐれもよく話し合うといい」
はい、と答えるユノの傍で、セルマは複雑な思いになる。
(今度こそ……道は閉ざされてしまったのだわ)
いつの間にかユノに繋がれていた手が温かかった。この手を失う恐怖はジェマへの怒りに勝ってしまっている。もう、この手を振り払うことは出来ない。
「レオ兄上、私はいかがいたしましょうか」
レオは細めた目でジェイドを見た。
「……お前は、好きにするといい。と言いたいところだが、放っておくと余計なことをするのがお前の性分だからな。こちらに付いてくるように」
ジェイドが、は、と頭を下げる。
「ではセルマ。私達も」
「はい」
ユノに促され、セルマ自身も出て来た建物に逆戻りする。
近づくごとに重くなる足はユノに気付かれないようにした。




