#8 戦場の花嫁?
私がホワイト職場改革を決行してから数日後。
我が辺境の邸宅は、驚くほど平和な空気に包まれていた。メイドたちのよそよそしい態度はすっかり柔らかくなった。
「お嬢様。本日は一段とお美しいですね」
とまあ、メイドから朗らかな声がかかるようになった。
ああ、最高。
家に緊張感が漂っていないって素晴らしい。
そんな穏やかな日常をぶち壊すように、一通の招待状が届いたのはある日の午後のことだった。
「スノーローズ本家からの、大饗宴の招待状……?」
蝋封を切り、豪奢な金箔押しのカードを読み上げた私は思わず目を丸くした。
なんで急に実家でパーティー?
「……って、え!? 今日の夜!?」
さらに驚いたことに、招待状とは別に大きな箱が届けられていた。
添えられた手紙には『スノーローズ家の令嬢として恥ずかしくないよう、こちらで用意したドレスを着てくるように』と書かれている。
「なんだ〜、お姉様たち意外と優しいところあるじゃん」
そう呑気に構えながら、ベリンダに箱を開けさせた私は絶句した。
中に入っていたのは、全体が煤けたような茶色にくすみ、裾が不自然に擦り切れた、薄汚れてヨレヨレのドレスだったのだ。
「えっと……なにこれ。ヴィンテージ品?」
「お、お嬢様! このような酷いものを着る必要はございません! これはあまりにも……っ」
ベリンダが顔を真っ赤にして怒ってくれたけれど、招待状には『このドレスを身に纏い、一族の絆を示すこと』とご丁寧に念押しまでされている。
着ていかなければ、何を理由に糾弾されるか分かったものじゃない。
「と、とりあえず着るしかないざますね……っ」
私はベリンダの制止を振り切り、急いでその汚ドレスに身を包んで馬車へと向かった。
鏡に映った自分の姿を見て、私は深い絶望を抱いた。
「う、ひどい……」
あえての汚しに見えなくも……いや、それにも限度がある。
確実にウェザリングの域を超えている。
これじゃ完全に戦場を駆け抜けた花嫁だ。
「はぁ……憂鬱すぎる」
重い足取りで屋敷の馬車に乗り込んだその瞬間。
「すごい邸宅ですねえ。ここがエリザ様のご実家ですか」
ふかふかの座席にふんぞり返り、窓の外を眺めている亜麻色の髪の少女がいた。
「アリス!? いつの間に馬車に!?」
「あ、エリザ様。また遊びに来ました〜って言いたいところですけど、私の家にもスノーローズ家から招待状が来ていたので便乗しちゃいました。馬車代浮いてラッキーです!」
「いや、自分の家の馬車で行こうよ」
令嬢が単独で他人の馬車に忍び込むとか、行動力カンストしすぎでしょ。
呆れる私をよそに、アリスは楽しそうに窓の外を指差した。
「それにしても、とんでもない数の馬車が停まってますよ。外からでも豪華絢爛なのが分かります……ただ、大丈夫ですかね?」
「大丈夫って、何が?」
「あの大饗宴の資金ですよ」
アリスは小首を傾げる。
「十中八九、この前エリザ様から奪ったディアエル様の財宝で開いたはずです。貴族は面子が大事ですからね〜。羨望を集めるためならどんな大金でも使う。それが貴族ってもんです」
「うーん……?」
「要するに見栄っ張りってことです。莫大な財宝を手に入れて、気が大きくなっちゃったんでしょうねえ」
アリスの解説に私はサァーッと血の気が引いた。
使い込み……!
あの財宝は、そもそもディアエル様が私に贈ってくれたものだ。
それを実家が横領して、身の丈に合わない大宴会を開いている。
(ヤバい……使い込みがバレたら、ディアエル様が激怒するんじゃ……!?)
あの絶対零度のラスボスが「私の贈った金貨を勝手に使ったな」とキレたらどうなるか。
スノーローズ家は破滅。
そして、その一族である私も連帯責任!
「処刑が早まる〜!!」
私が頭を抱えて悲鳴を上げていると、アリスの視線が私の着ているドレスへと注がれた。
「アリス?」
「エリザ様。いくらなんでも、そのドレスで饗宴に参加したら……それこそ、ディアエル様に泥を塗って大恥をかかせることになりますよ?」
アリスは戦慄したように呟いたが、その瞳の奥はどこか輝いており、完全にこの状況を楽しんでいる。
面白がっているのが丸わかりだ。
「わ、分かってる! やっぱり無理! 屋敷に戻って着替える!」
「いやいや。もう本邸の敷地に入ってますし、時間ないですよ! 行きましょう!」
「ちょっとマジでこのままはヤバいって! アリス笑ってない!? 楽しんでるよね!? ねえ!」
ぐいぐいと私の背中を押すアリスに抗えず、私はついに、薄汚れたドレス姿のままスノーローズ本家のエントランスへと足を踏み入れてしまった。
大広間の扉が開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、目が眩むほど煌びやかな世界だった。
黄金の燭台、天井を覆い尽くす豪奢なシャンデリア。給仕たちが運ぶのは、見たこともない高級な酒と料理の数々。
そして、色とりどりのシルクのドレスや燕尾服に身を包んだ何百人という高位貴族たち。
「あ……」
そんな完璧な空間に、煤けたボロボロのドレスを着た私が現れたのだ。
音楽が、一瞬だけ止まったような気がした。
「嘘だろう……あれはスノーローズ家の末娘か?」
「なんというみすぼらしい格好だ。氷の麗人と聞いていたが、ただの浮浪者ではないか」
周囲からひそひそとした嘲笑と、蔑むような視線が容赦なく突き刺さる。
そこに、待ってましたとばかりに二人の姉が現れた。
彼女たちは純白のドレスを身に纏い、扇で口元を隠しながら私を見下した。
「まあ、エリザベート。本当にそのドレスを着てきたのね」
「本家の言うことを素直に聞くなんて、あなたにもまだ一族への忠誠心が残っていたのね。安心したわ」
笑いを堪えるような……それでいて呆れているような声音。
完全にバカにされてます。
「ふふっ、公爵閣下のお気に入りだか何だか知らないけれど。今日という日は、あなたがどれだけこの場に相応しくない思い上がりだったか……身の程を知る良い機会になるでしょうね」
姉たちの言葉に、周囲の貴族たちがくすくすと嫌な笑い声を上げる。
「うわぁ……お姉様方のドレス趣味悪っ」
アリスは私の背中に隠れながら小声で毒を吐いてくれているが、今の私には言い返す気力もなかった。
屈辱で顔が熱い。
唇を噛み締め、俯くことしかできない。
「義姉上達、いい加減になさってください!」
その時、人混みを掻き分けて進み出てきたのは、近衛騎士の制服を着たジュリアンだった。
彼は顔を怒りに染め、私を庇うように姉たちの前に立ち塞がった。
「同じ血を引く家族に対し、このような仕打ちはあまりにも卑劣です! エリザ義姉上が何をしたというのですか!」
「黙りなさいジュリアン。分家風情が本家に盾突くおつもり?」
姉が冷たく言い放ち、ジュリアンが歯噛みしたその瞬間だった。
「──そこまでにするんだ」
低く、甘く──そして恐ろしい声が大広間全体を震わせた。
嘲笑がピタリと止む。
姉たちもジュリアンも何百という貴族たちも、まるで呼吸の仕方を忘れたように一斉に入り口へと視線を向けた。
そこに立っていたのは、この世のものとは思えないほど美しい威風堂々たる銀髪の絶対者だった。




