#7 仮面が剥がれるとき
私がこの屋敷を最高のホワイト職場にしてやるぞと決意した翌日のこと。
「エリザ様〜! 遊びに来ました!」
窓の外から聞こえた元気な声に、私は目を丸くした。
エントランスに出ると、そこには質素な馬車から身を乗り出して、大きく手を振るアリスの姿があった。
「アリス? どうしてここに……」
「エリザ様に会いたくて来ちゃいました!」
えへへと花が咲くように笑うアリス。
来ちゃいましたて。
仮にも男爵令嬢が、伯爵令嬢の邸宅にアポなしで突撃訪問してきます?
あーでも、舞踏会での悲恋はお断り宣言からして、彼女がそんな面倒な身分差やルールを気にするタイプじゃないことは分かってたか。
「行動力がすごいねアリス。まあ、立ち話もなんだし中でお茶でも飲もっか」
「わぁい! お邪魔します!」
私は苦笑しながら、アリスを応接間へと案内した。
さて、お客様が来たならお茶の用意だよね。
私は部屋の隅に控えていたメイド長に向き直った。
「あ、えっと……紅茶の用意をお願い。アリスは甘いものが好きみたいだから、お茶菓子もたくさんね」
「かしこまりました、お嬢様」
恭しく一礼するメイド長を見て、私はふと気づいた。
(あれ、そういえば……この人の名前、なんだっけ?)
転生して数日、私はずっと彼女をメイド長としか認識していなかった。
でもホワイト職場改革の第一歩は、部下を名前で呼ぶことから始まるはずだ!
「そういえば……あなたの名前、なんて言うんだっけ?」
私が気軽に尋ねた瞬間、メイド長の肩がビクッと跳ねた。
「え? あ、ああ……ベリンダでございます……」
ベリンダは、見るからにシュンと肩を落として、暗い顔になった。
「幼い頃からお仕えしておりますのに……覚えておいでではないのですね……」
あ、しまった。
元のエリザベートなら当然知っていたはず(多分)なのに、転生者の私が素で聞いてしまったせいで、長年の忠義を無に帰すような冷酷な仕打ちになってしまった!
「ち、違う! 家名! 家名までを聞いたのよ!」
私は何かで見た『相手の名前を忘れた時の画期的なごまかし方』を咄嗟に叫んだ。
「か、家名でございますか?」
ベリンダはぽかんとしながらも、何度か瞬きをして答えた。
「ベリンダ=モレルでございます」
「そう、モレルね! ありがとう、ベリンダ。これからもよろしくね」
私は女神のような(引きつった)微笑みを浮かべた。
ベリンダは「は、はぁ……」と首を傾げながら、紅茶の準備のために退室していった。
ふー、危なかった。
冷や汗びっしょり。
「画期的な方法ですねえ」
ソファーに座ったアリスがニヤニヤしながら私を見た。
「今のメイド、普通に名前忘れてましたよね?」
「ふぇ!?」
私は心臓が止まるかと思った。
「な、なんのことかな〜? 私はちゃんと家名を知りたかっただけで……」
「ふふっ。エリザ様って、氷の麗人なんて呼ばれてますけど、本当はすごく素直で分かりやすいですよね」
アリスが楽しそうにケラケラと笑う。
過程はどうであれ、結果が大事なのよ。
相手が傷付かない嘘ならついても平気なの。
私はそう何度も頷いて誤魔化した。
「お嬢様」
数分後、ベリンダともう一人の若いメイドが、紅茶とお茶菓子を運んできた。
「失礼いたします。ダージリンティーと、焼き菓子の盛り合わせでございます」
テーブルに置かれたのは、三段の立派なケーキスタンド。かなりの重量があるはずだ。
よしきた。ここでお礼を言うのよエリザ。
「ありがとう。重かったでしょ、運んでくれて助かるわ」
私がそう労いの言葉をかけると。
カチャンッと、若いメイドの持っていたティーカップが激しく音を立てて震え始めた。
「お、お嬢様に感謝された……!? も、もしかして私、何か粗相を!? も、もも、申し訳ございません! どうか手打ちだけはご勘弁を……!」
メイドは顔面を蒼白にして、ガクガクと震え出したのだ。
何故そうなる! どんだけひどかったのよエリザ!
「いやいや違うから! 純粋にありがとうって言っただけだから!」
「で、では、明日には私めは解雇されてしまうのですね……! これが最期の優しさなのですね……!」
「飛躍しすぎぃ!」
私が優しくすればするほど、使用人たちは「あの氷の麗人が微笑むなんて、裏に恐ろしい罠があるに違いない」と曲解し、余計に怯えてしまうのだ。
部屋の隅で控えていた執事に向かって──
「いつも部屋を綺麗にしてくれてありがとう」
と微笑めば──
「これは『少しでも埃が落ちていたら命はない』という暗黙の脅迫……!」
……と執事が戦慄してひれ伏す始末。
ダメだ。
完全に逆効果になっている。
「エリザ様、めっちゃ怯えられてますね」
アリスが紅茶を啜りながら、愉快そうに笑った。
「だって……普通に優しくしてるだけなのに」
「貴族の優しさって回りくどいですからね。特にエリザ様は誰にも心を開かないお方として恐れられてきたわけですし、急に態度が変われば警戒するのも無理はないかと」
「うぅ……どうすればいいの」
私が本気で肩を落としていると、アリスは立ち上がり、ベリンダたちの前へ歩み出た。
「皆さん、安心してください。エリザ様は裏表なんてないただの不器用で可愛いお方ですから!」
「なっ、アリス! 可愛いとか言わないで!」
「ほら、見てください。今も恥ずかしがって耳まで真っ赤ですよ〜」
アリスに指摘され、使用人たちの視線が一斉に私に集まる。
私は居たたまれなくなって、両手で顔を覆った。
「あーもう! 本当に、ただみんなに感謝してるだけなの! 今までキツく当たってごめんなさい! これからは仲良く平和に暮らしたいの!」
ヤケクソになってそう叫ぶと、応接間に奇妙な沈黙が落ちた。
恐る恐る指の隙間から覗き見ると、ベリンダや執事たちが、目を丸くして私を見つめている。
「……お嬢様。それは、本心でございますか?」
ベリンダが、恐る恐る尋ねてきた。
「本心だよ! 嘘ついてどうするの!」
私が涙目で訴えると、ベリンダはふっと表情を和らげ、どこか懐かしむような優しい笑みを浮かべた。
「……そういえば、幼い頃のお嬢様は、今のようによく笑い、よく泣く、素直で可愛らしいお方でございましたね」
「えっ」
「いつからか心を閉ざされてしまいましたが……あの頃のお嬢様がお戻りになられたようで、私共は本当に嬉しゅうございます」
ベリンダの言葉に、他の使用人たちも深く頷いている。
そっか。彼らは、昔からずっとエリザベートを見てきてくれたんだ。
本邸の家族からは見放されていたかもしれないけど、この辺境の屋敷の者たちは、冷たくなった彼女の奥底にある優しさを、心のどこかで信じてくれていたのかもしれない。
「ベリンダ……」
「さあお嬢様、紅茶が冷めてしまいますよ。本日は、お嬢様のお好きなダージリンを特別に淹れましたから」
「うん、ありがとう。いただくわ」
私が一口紅茶を飲むと、ベリンダたちは心底ホッとしたように柔らかい表情を見せた。
その光景を見て、アリスが隣で「良かったですね」とウインクしてくる。
「うん。ありがとアリス」
私の『氷の麗人』の仮面。
少しずつ溶けてはきた……のかな?




