#34 嘘はつかない
あれから、約一年が経過した。
私が支配人代行を務める『銀の梟亭』は、公国でも有数の超高級サロンへと成長を遂げていた。
「ちょっとジュリアン! 三番テーブルのお客様のグラスが空いているじゃない! ぼーっとしてないでさっさと注ぎなさいよ!」
「も、申し訳ありませんカトリーヌ義姉上!」
「エリザベート! 今日のチーズの仕入れはどうなってるの? 品質が落ちたら店の名前に傷がつくわ。さっさと市場に行ってきなさい!」
「はいはい……ジョスリーヌ姉様は接客をお願いね」
すっかりお店に馴染んだ姉様たちは、相変わらず傲慢で偉そうで……顎で私たちを使っている。
でも不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、その高飛車で堂々とした振る舞いが手強い美女の給仕として公国の貴族たちの間で大ウケし、連日彼女たち目当ての客で溢れ返るようになったのだ。
「もうっ、お二人とも働き者なんだから」
「全くだ。俺なんて、近衛騎士時代より足腰を酷使している気がするぞ……」
アリスとジュリアンも苦笑いしながら、手際よくテーブルを片付けていく。
「うう……こんなにも店が大きくなるなんてぇぇ!」
そしてカウンターの奥では、店長が嬉し泣きしながらガンガンと頭を打ち付けていた。
流血してるからやめてほしいけど。
(みんな生き生きとしているなあ)
あの絶望の底にいた人たちが今こうして笑って働いている。
その光景を見ながら一息ついた。
「ねえ、エリザ様」
休憩時間。
裏口で休んでいた私に、アリスが不思議そうな顔で問いかけてきた。
「ずっと聞きたかったんですけど……どうしてエリザ様は、ディアエル様のためにここまで必死に動いているんですか?」
「え?」
「だって、公爵様はエリザ様を死に追いやり、無理やり鳥籠に閉じ込めようとした人ですよ? 何故あの方の隣に立つためにそこまで必死になれるんですか?」
アリスの純粋な疑問。
ジュリアンも、気遣わしげに私を見つめていた。
確かにそうだ……彼らの目から見れば、ディアエル様は私を力で屈服させようとした恐ろしい独裁者だ。現に私もあの人に怯え、逃げ出したはずなのに。
「……なんでだろうね」
私は、自分の胸に手を当てて首を傾げた。
ディアエル様に恩を返すため?
それとも、自分の意地のため?
まだ、はっきりとした答えは言葉にならなかった。
そして、一年という約束の期限を迎えた日。
公国へと出立しようとする私を姉様たちが見送りに来てくれた。
「……本当に行くのね、エリザベート」
「はい。カトリーヌ姉様、ジョスリーヌ姉様。お店のことはよろしくお願いします」
カトリーヌ姉様はフンッと鼻を鳴らし、腕を組んだ。
「別に心配してないわよ。ただ、お前が本当に公爵夫人になれば、私たちのところにも上位貴族からの良い縁談が舞い込んでくるかもしれないからね」
「その通り。スノーローズ家の令嬢として、恥ずかしくないよう振る舞いなさいよ」
相変わらずの打算と見え隠れする微かな嫉妬。
でも……その奥にある不器用なエールが伝わってきて、私は思わず笑ってしまった。
「ええ。最高の旦那様を捕まえてきます」
私は二人に向かって手を振り、迎えの馬車へと乗り込んだ。
────
──
森の奥深くにある離宮。
重厚な扉を開けると、そこには一年間ずっと待ち続けていた氷の公爵が立っていた。
「……私の愛しい小鳥。よく戻ってきたね」
一年ぶりの再会。
ディアエル様は私を見るなり、花が綻ぶような笑みを浮かべ、私を強く──けれど壊れ物を扱うように優しく抱き寄せた。
「あっ……」
甘く耳をくすぐるような声。
絶対的な権力と冷徹さを持ちながらも、私に一目惚れしたと真っ直ぐに告げ、どんな時も私を命がけで守り……一途に愛してくれた。
彼の大きな体に包まれ、その温もりと匂いを感じた瞬間。
アリスに聞かれた問いの答えが私の中でストンと腑に落ちた気がした。
(ああそっか。私、ディアエル様のことが──好きなんだ)
ずっと怯えていたけれど権力に屈したからじゃない。
完璧で、底知れなくて、かっこよくて──私は私自身の意志でこの人に惹かれていたんだ。
「ディアエル様。私、約束通り公国で有数のサロンを作り上げました。王弟殿下の猶子という身分もあります。あなたの隣に立つ準備はできました」
私は彼の胸から顔を上げ、その蒼い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「でも、私はリザという偽名のままで結婚したくはありません……私はスノーローズ家のエリザベートとして、堂々とあなたと結婚したいです」
私の言葉にディアエル様は微かに眉をひそめ、重い息を吐いた。
「エリザベート……君の気持ちは痛いほど分かる。だが、それは難しい」
彼が悩むのは当然だ。
ディアエル様は建前として、私を公国に対して不敬を働いたため処刑したと公表している。
その大逆人が実は生きていて、しかも正妻に迎えるとなればあまりにも不自然。
公国の民を欺いたことになるし、彼の統治者としての威厳が揺らぐ。
「ディアエル様は嘘偽りなく私を愛してくれています。だから……私も、あなたや公国の人たちに嘘をついたまま生きていくのは嫌なんです」
「……」
「私も一緒に泥を被ります。処刑が嘘だったと民の前で説明しましょう」
私の無謀な提案にディアエル様は目を見開いた。
「正気か? 民がどう反応するか分からないよ。暴動が起きる可能性すらある。君を危険に晒すわけには」
「大丈夫です」
私は笑って彼の手を強く握りしめた。
「一年間、公国の街で働いて分かりました。ディアエル様の治めるこの国はとても強くて……温かいです。だから絶対に分かってもらえます」
私の瞳を見てディアエル様はしばらくの間、何も言わずに立ち尽くしていた。
やがて彼は小さく笑みをこぼし、降参したように私の額にキスを落とした。
「……本当に君には敵わないな」
やれやれといった様子で苦笑いすると、その顔を綻ばせる。
「分かった。ならば明日、本城のバルコニーから公国の民すべてに向けて真実を語ろう……私の隣に立つ覚悟はいいかいエリザベート」
「はい。もちろんです!」
ついにすべての嘘を終わらせる時が来たんだ。
絶対に幸せになるんだ……もう少しだよエリザベート。
私たちは、公国の民が待つ広場へと向かう決意を固めたのだった。




