#3 1級フラグブレイカー
まばゆい光を放つ巨大なシャンデリア。
室内管弦楽団が奏でる優雅なワルツ。
色とりどりのドレスが花壇のように揺れる、ディアエル様主催の舞踏会。
その会場の中心で、私は完全に借りてきた猫……いや、チワワみたいにブルブルと震えていた。
「どうしたんだい? そんなに硬くなって」
耳元で甘い低音が囁かれる。
見上げれば、この世のものとは思えないほど美しい銀髪の公爵様が、極上の微笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
やっぱり……彼はホントに美しい顔をしている。
見てるだけでため息が出るような芸術作品。
眩しすぎて直視できない。
「私の腕は頼りないかな」
ディアエル様にエスコートされて会場入りした瞬間、周囲の貴族たちから一斉に悲鳴みたいな歓声と、信じられないものを見るような視線が突き刺さった。
「そ、そんなことないです……ただ、皆様の視線がちょっと……」
「気にする必要はないよ。本当は、私の可愛い氷の薔薇を誰にも見せたくはないのだけれど。君が私のものだと、彼らに知らしめておく必要があるからね」
相変わらず息を吐くように激重ポエムを繰り出してくる。
私は引きつる頬を必死に持ち上げて、乾いた愛想笑いを返すしかなかった。
(それにしても、やっぱりすごい人だなあ……)
ふと視線を巡らせると、壁際で何やらトラブルが起きているのが見えた。
派手なドレスを着た数人の令嬢たちが、ひとりの小柄な少女を取り囲んでいる。
(あの子は……!)
淡いピンクの質素なドレス。ふわふわの亜麻色の髪に、大きな琥珀色の瞳。
彼女がこの世界、古いロマンス小説の本来の主人公──男爵令嬢のアリスだ! 表紙と全く同じアリス!
原作のアリスは、天真爛漫で花のように愛らしい、正統派の健気なヒロイン。
でも身分が低いため、こうやって社交界ではいじめの標的にされてしまう。
そしてこの後、彼女を助けに入る『運命の相手』と出会い、身分差の悲哀に満ちた恋に落ちる……はずなんだけど。
(推しが困ってる! 助けなきゃ!)
私は咄嗟にディアエル様の腕から離れると、アリスたちの方へ向かって歩き出した。
扇を開いて口元を隠し、背筋をピンと伸ばす。
中身はビビりな小市民だけど、外見は泣く子も黙る『氷の麗人』だ。
「ごめんあそばせ。彼女にご用があそばせ。私とお話しあそばせ?」
あれ? あそばせってこんな多用していいんだっけ? まあ、細かいことは気にしなくていいや。
そうやって冷たい視線を向けるだけでいい。
令嬢たちは「これはエリザベート様……!」と蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ふー、緊張した。
壁際に残されたアリスは、怯えたように肩をすくめて、ギュッと目を閉じている。
「あの、お怪我はありませんか?」
アリスが、恐る恐る目を開ける。
「あ、エリザベート様……」
「そんな緊張しなくて大丈夫。エリザでいいよ。平気だった?」
「え?」
きょとんと私を見たあと、彼女は何度かパチパチと瞬きをして。
「噂の恐ろしい『氷の麗人』様って、もっと血も涙もない怖い人かと思ってました……」
「えっ?」
「フフッ、私アリスって言います。助けていただいてありがとうございます、エリザベ──エリザ様っ」
アリスは無垢な少女のように微笑んだ。
「実は私、こういう堅苦しい場所って本当に息が詰まっちゃって。早くお家に帰りたいなって思ってたんです」
「あ、そうなんだね」
それは私も同感。
「ええ。それに、誰かと運命の恋に落ちて悲劇のヒロインになるなんて、絶対にお断りですし。私はもっと自由に楽しく生きたいんです」
さらりととんでもないことを言う。
ヒロイン自身が原作の悲恋ルートを全力で拒否しているじゃないの!
「あ、そうだ。エリザ様って呼んでもいいですか? 私、エリザ様となら仲良くなれそうな気がします!」
グイッと距離を詰めてくるアリスに、私が戸惑っていると。
「エリザ義姉上」
カツカツと硬い足音を響かせて、ひとりの青年が近づいてきた。
輝くような白藍色の髪に、真面目さを絵に描いたような碧眼。
隙のない近衛騎士の制服。
エリザの従兄弟であり、本来ならこの舞踏会でアリスと運命の出会いを果たす騎士──ジュリアンだ。
「何やら騒ぎがあったようですが……そちらのお方は?」
本来の小説なら、ここでジュリアンがアリスを気遣い、二人の視線が絡み合って恋に落ちる。
「お気遣い痛み入りますわ、騎士様。ですが、エリザ様が助けてくださったのでもう大丈夫です」
「そうか。エリザ義姉上が……それは良かった」
ジュリアンもホッとしたように微笑んだ。
けれど……それだけだった。
二人の間に火花が散るような情熱的な視線の絡み合いも、頬を染め合うような初々しい反応もない。
ただの『見知らぬ礼儀正しい男女』の会話で終わってしまったのだ。
(あれえ? 運命の出会いは?)
私は内心で激しく首を傾げた。
天真爛漫なヒロインと、真面目な騎士の恋。
それが始まる気配が微塵もない。なんで?
記憶の糸を必死に手繰り寄せる。
おばあちゃんの小説だと、たしか……ジュリアンが意地悪な令嬢たちからアリスを庇って追い払い、震える彼女に優しく手を差し伸べる。
そして感謝するアリスと共に踊り、身分差の恋に落ちるのだ。
(……あっ。私が先に助けちゃったから、ジュリアンの見せ場が消滅してる!?)
しまった。私が『主人公を助けなきゃ!』と余計な手出しをしたせいで、彼らの運命の出会いを私が疎外してしまったのだ。
激しく後悔する私をよそに、アリスはジュリアンから視線を外し、私の腕にギュッと抱きついてきた。
「それよりエリザ様。私と一曲どうでしょうか? せっかくの舞踏会ですし、堅苦しいお話よりエリザ様と舞いたいですわ」
ヒロインに熱烈に懐かれ、腕を引かれる悪役令嬢。
なにこれ? どうしてこうなったの?
そしてその奇妙な光景を、少し離れたバルコニーから、ディアエル様が底知れない蒼い瞳で静かに見つめていたのだった。




